銀行強盗、あらわる4
車が一台、私たちの横を通り抜ける。ヘッドライトの光が見えて、テールライトの光が消えるまで、私とメガネの男は何も喋らなかった。
ところで、魔法少女の正体について探ることは法律で禁じられている。
通称「魔法少女保護法」が施行されてからもう8年ほどになろうか。細々した改正は重ねてきたものの、「いかなる場合も魔法少女及びその関係者に関する情報を探ってはならない」の一文は、最初から今までずっと変わってはいなかった。
一昨年、インターネットの掲示板において広く情報提供を呼びかけた男が逮捕された事件もあり、魔法少女については進むアイドル化と個人情報保護についての相反する動きが問題になってきていた。
音声を録音していれば、この男を署までご同行コースに出来たのに。
今からでもスマホの録音アプリを起動させておくべきかと手を鞄にやると、男も同じく動き出した。
「おっと。通報しても無駄だ。ここから半径2キロメートルの周辺電波を妨害させてもらった。端末を使った通報も、街頭カメラによる通報システムも作動しない」
「なんて迷惑な……」
この近くにSNSでのやりとりに熱中している女子中学生がいたらどうする。いきなり既読すらしなくなったら明日からシカトの対象にされてしまうかもしれないというのに。
「魔法少女に関する情報を求めることは禁止されていますよ」
「さすがは法学部の才媛といったところか。しかし何か勘違いをしていないかね? 私は秘密結社の男だぞ。そもそも法が脅威だと思ったことはない、一度もな!」
「あっ、もしかして銀行強盗をやってた……」
「今頃気付いたのか!! とぼけているのだと思ったら貴様!!」
メガネ男のツッコミが激しかったので、ツバが飛んできた場合に備えて私は一歩下がった。
昼間の銀行強盗の代表者だと知って、私は安心した。やたらと芝居がかった、しかも自分から秘密結社だのと暴露してしまう抜けた人間がこの世に2人もいなくて心底ホッとした。世の中にはまだ希望が残っているようだ。
「確か、何とかジェネシスの何とか博士とかいう……」
「Sジェネラルのドクターシノブだ!! 適当に覚えるのはやめろ!」
「すみません、もうちょっと声落としてもらってもいいですか。恥ずかしいので」
21時を回ろうかという夜の住宅街で大声は頂けない。日頃、アパートの前にある道を通る夜中の酔っぱらいなどには不満を溜めているだけに、自分が不満を溜めさせる立場にはなりたくなかった。
抑えるようにジェスチャー付きでお願いすると、ドクターシノブはヒクヒクとこめかみを痙攣させながらも静かになった。話の通じる相手でなによりである。
「……良かろう。貴様の良心に免じて場所を移してやる。乗れ」
男が指を鳴らすと、どこからともなく黒塗りの高級車が現れた。電気自動車は静かすぎて危ない。
銀行強盗をしていたような黒いマスクを被った男がうやうやしく後部座席のドアを開け、ドクターシノブが私に手を差し出す。
「いや、流石にそういうのはちょっと……」
「何を年頃のか弱い娘のような反応をしている……!! 貴様が騒ぐなと言ったから移動するのだぞ!」
「ここで静かに話せばいいだけの話では」
こういう、不審な男の誘いに乗って乗車した場合、何か事件になると被害者側の油断を責められる風潮がある。なにより、私の胃袋がそろそろおにぎりを完全消化して次の料理を期待しているのだ。こんなところで時間を潰している場合ではない。今日の復習と明日の予習も進めておきたいし、洗濯もしなければ。
「クッ……一筋縄ではいかないところは、さすが元魔法少女というところか」
「ごく一般的な判断だと思います」
「いいだろう! その態度……いつまで保つか見ものだな」
また男が指を鳴らすと、部下がすっと何かを取り出した。グローブをしているにしてはやけにいい音が鳴るのは、やはり謎の特殊技術を使っているからだろうか。研究熱心な秘密結社である。
男はその何かを受け取ると、私に向けて上にかかっていた布を取り払った。
私は驚愕する。
「そ、それは……!」
ほんわかとした甘い香りが夜の住宅街を漂う。
よくよく泡立てたクリームを無造作に掬って更に落としたようなそれはクリーム色で、ところどころに焦げ目がある。黄金のシロップが細やかにかけられていて、砂糖と小麦粉とバターと卵の焼けた匂いに蜂蜜の香りが混ざっていた。男の手から伝わる僅かな振動でぽわわんと可憐に揺れ、その繊細な柔らかさが視覚からも伝わってくる。
「え、駅前に新規開店していた『メイクミー・カステラ』のホイップカステラ!」
「そうだ。出来たてだぞ……どうだ? 出来たてホカホカのホイップカステラを食べたくはないのか?」
「くっ……卑怯な……!」
「今なら期間限定いちごホイップもあるぞ? ん?」
男は更に渡された美しい銀のフォークで惜しげもなくホイップカステラを崩し、プルプルと震えるそれをあっさりと自分の口へと入れてしまった。柔らかく、しかし中までしっかり加熱されているそれは断面から湯気を上げ、男の口はまるで歯ごたえなどないかのように飲み込んでいく。
「どうだ、三科(みしな) ヒカリ。賢明な判断を下しこのドクターシノブに大人しく従い、ホイップカステラ食べ放題、ドリンク飲み放題を堪能するか? それともこのまま逃げ帰り、私の情報網と監視に怯えつつ、深夜スーパーで割引された惣菜を買い溜めし冷凍したものをチマチマと摘む貧しい食事をするかね?」
「なぜ私の夕食についてそんな詳しいんですか」
「今はそんなことどうでもいいだろう」
実物を見せ、さらにつましい倹約生活という現実を突きつけることで欲望を刺激するとは……。
まさに悪魔の所業。秘密結社というのは悪の組織そのものだった。
「さあ、どうする?」
「行きます」
いい匂いに耐えられなくなった私はあっさりと頷いた。
いつの時代も、悪が力を持つのかもしれない。嘆かわしい世の中である。
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