銀行強盗、あらわる3
日がとっぷり暮れた街を、私はまた走っていた。
「すみません、道をお伺いしたいのですが」
「この先の角を曲がって約73メートル先に交番があるのでそこで訊いてください。急いでいるので失礼します!」
途中でゼリー状の栄養食品を買ったため2分ほど遅刻した必須科目では教授に課題を出され、そのレポートをやっていたおかげで夕食を食べそびれた。腕時計と睨み合いながら住宅街を走り、大きな一軒家のインターホンを押す。
「はーい、いらっしゃい」
「こんばんは、遅れてしまって申し訳ありません」
「いつも遅くまでみるるの勉強見てもらってるんだから、5分の遅刻なんて気にしないでいいのよ」
大学に入ってすぐに始めた家庭教師の教え子、みるるちゃんのお母さんは非常に面倒見のいい人だった。こちらのスケジュールも汲んでくださり、あれこれと融通を利かせて頂いている。今日も息を切らせてきた私をまずリビングに通して冷たいお茶を入れ、それからろくに食事をしていない私のために大きなおにぎりを握ってくれている。現代の聖母といっても過言ではない。
「みるるもごはん食べてないのよ。帰ってくるなりグーグー寝ちゃって。一緒に食べてやって」
「部活で疲れてらっしゃるみたいですね」
「そうなの。もうそろそろ引退の時期なのに、張り切っちゃってもう。体操してるか寝てるしかしないんだから」
濃い味のそぼろを沢山詰め込んだ大きなおにぎり。海苔は2枚貼り付けてある。それを4つ並べたお皿と飲み物をお盆に載せて運ぶ役目は買って出た。聖母のおにぎりは普通の作り方なのにやたらと美味しいのである。
「みるるー? 先生いらっしゃったから起きなさい」
「うーん……うわヤバ!」
「あなたまた着替えないでままで! もう……ごめんなさいね」
いかにも「全然やってなかった宿題を時間までに仕上げようとしたもののベッドの上で寝転びながらやったせいで寝落ちしました」といわんばかりのみるるちゃんが、私たちが入ってきたことで慌てて起き上がった。頬に黒い線が付いている。いつものことである。
「テスト近いんでしょ? ちゃんとお勉強しなさいね」
「はぁーい。うわおにぎり? せんせー早く食べよ!」
大きな三角形に釘付けになったみるるちゃんの返事は母親にも心がこもっていないと伝わったらしく、呆れた溜息を吐きながら退出していた。いつものことである。
「みるるちゃん、先に着替えちゃったら?」
「うん、ちょっと待って」
ローテーブルにお盆を置いて、コップにお茶を注ぐ。スカートの下にスウェットを履いてブラウスの上からトレーナーを被り、制服を器用に脱いでいくみるるちゃんから視線を逸らして、壁一面を占領するポスターに目をやった。
「また張り替えたんだね。こんなのどこで売ってるの?」
「ネットでデータ買ってプリントアウトするんだよ! 学校の近くにある画材屋さんにでっかいプリンターあるんだ」
「好きだねー」
制服をハンガーに掛けたみるるちゃんが、大きな口でおにぎりに齧り付いてから頷く。
「うん! 魔法少女プリンセスウィッチ、私の憧れの人なんだ!」
紺色の髪をポニーテールにして、青色のひらひらした服を着ている少女。やる気ない表情がややぼやけているのは、隠し撮りだからだろう。明らかに合成のきらびやかな背景をしたポスターの右下には、きらびやかなロゴも付けられていた。
「ヒカリちゃんせんせー、同年代でしょ? プリンセスウィッチ見たことある?」
「ないよ」
「私、ちっちゃい頃見たことあるんだよ!! 一回だけ! かっこよかった〜私もあんな風になりたいなあ」
うっとりと頬を染めながら、パクパクとおにぎりを食べているみるるちゃんは相当な魔法少女ファンである。15歳らしいファンシーな部屋にはいたるところに魔法少女の関連グッズで埋め尽くされていた。彼女の脳内は、体操、寝る、魔法少女で埋め尽くされているようだ。
「そういえばヒカリちゃんせんせー、今日大丈夫だった?」
「え、何が?」
「だって昼間、銀行強盗に縛られてた……んでしょ?! ニュースで観たよ! ニュースで!!」
お米が喉に詰まったのか、言い終わるなりみるるちゃんは慌ててお茶を飲んだ。
「よく知ってたね」
「ほ、ほら、同じ区の事件だから、同級生とかも呟いたりしてて、そこで見たって人がいてね」
「そうなんだ。私は大丈夫だよ、魔法少女が助けてくれてすぐ出られたし」
「そっか! よかったね!」
ウンウンと頷いたみるるちゃんが、3つめのおにぎりに手を伸ばす。平等精神のある聖母はそのおにぎりを私のために握ったと思うけれど、食欲旺盛な思春期に譲ることにした。
「なんて言ったっけ……なんとかミラクルっていう子が助けてくれたの。すごく嬉しかったよ」
「そっ……そっか。そっかぁ〜!!」
みるるちゃんは真っ赤になってさらに高速でウンウン頷き出した。いつもよりもおにぎりが消えていく速度が速い。この分だと、今日の分の授業もきちんと進められそうだった。
おにぎりでエネルギーをチャージしたみるるちゃんを高校受験対策を徐々に視野に入れた授業でまたぺしゃんこにして、次はちゃんと宿題を片付けておくようにと毎度の指示を出してから私は唯川家を辞した。
ぽつぽつと立っている街灯の他は暗い住宅街だけれど、慣れた道である。
夕食の献立を考えながら歩いていると、暗がりから声を掛ける人物がいた。
「もし、そこのお嬢さん、道をお伺いしたいのだが」
「はい?」
立ち止まると、その男性が街灯の下へと進み出る。
黒いスーツは闇に溶け込み、眼鏡は街灯で光っている。くいっとそれを中指で押し上げた手には革のグローブ。不敵に笑った目は漆黒といっていいほど黒い。
その姿を見て、私はハッと気付いた。
「あなたは……」
「流石に気付いたか」
「さっきも道に迷ってらっしゃいましたよね」
私がみるるちゃんとおにぎりを食べたり勉強を教えていた間、ずっとウロウロしていたのだろうか。可哀想である。
すぐ近くに交番があるというのに、そこにすらたどり着けなかったのだろうか。男性のほうが方向感覚は良いと聞くけれど、この人には当てはまらないらしい。
「すみません、今度は交番まで案内しますね」
「違う、私は迷子ではない!! その哀れみを込めた目をやめろッ!!」
この人家に帰れるのだろうかと心配していたのを察して気に障ったのか、男性は声を荒げた。それから一度咳払いをしてメガネをくいっと上げ、余裕げな態度を作り直す。
「私の目的地は、君にしか答えられない」
「そんなにこの辺詳しくないですよ」
「黙って聞くがいい」
薄く形の良い唇が引きつった。また怒られそうなので、私は黙る。
「私が探しているのは、魔法少女プリンセスウィッチの居場所だ」
黒い瞳がメガネ越しに私をまっすぐ射抜いた。
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