第3話
こじんまりとした部屋がある。男と女がいる。テーブルを挟み、二人とも椅子に座っている。男のほうは、うな垂れたような姿勢で、じっと下を向いている。女は、カタカタと凄まじい勢いで、端末に何かを打ち込み、黙々と作業をしている。端正な顔をした女である。顔だけでなくその仕草・立ち振る舞いもまた端正である。欠けたところやとりわけに目立つようなところがいっさいない。完膚なきまでに均整がとれている。ゆえにこれといった特徴がない。ほっそりと伸びた指だけが滑らかにキーボードの上を滑っている。部屋の中には時計がなく、片隅には嘘くせえパリッとしたグリーンの葉っぱをつけた、申し訳程度に飾られた観葉植物がちょこんと置かれている。
カタリ、と打ち込み終えると、女が男に向かって言う。
「この度は、誠にお悔やみ申し上げます」
おお、デジャヴだな。と高木は思う。いやもしかすると、こういったやりとりを、覚えていないだけでもう俺は幾度も繰り返しているのかもしれない。いったい、自分はどれくらい転生を繰り返したのだろうか。あるいは、この先、幾度転生するのだろう。
「ハハ……」乾いた笑いだ。それだけを高木は返す。
「いやしかし、今回は早かったですね。まだ、前世の、失礼、前々世の記憶がはっきり残っていますもんね。お名前も覚えて?」
「ええ、まあ、お陰様で……」
会話が途切れる。なんて重たい空気だ、そう思うのは、あれだけ意気揚々と、制止する彼女の話も聞かずに全く未知の異世界へと転生し、早々この部屋、面談ブースに戻ってきた高木だけなのだろうか。エージェントの彼女はといえば依然と変わらず、終始柔和な笑みを静かに浮かべているだけなのだ。いやこれはあれだ。能面が見る角度によって笑っているようにも怒っているようにも見えるのと同じなのかもしれないな、などと思う。彼女には何の感情のおこりもないのかもしれない。しかし、確かにそうだ。早すぎるのだ。ついこのまえ、この部屋にいたときのこと、目の前のこの彼女とのやりとりだって鮮明に思い出せるのだ。そして、その後に起きたことも。
「……面接の印象はよかったんですけどねぇ」
「あー……まあ、ああいったところはそうですよね。最初の印象は。皆さんそう言われますねぇ」
「でもまあ、確かに、今となっては、変だなと思うところもありましたね。殆ど何にも聞かれなかったし」
「ええ」
「これまでの経験とか。どんなことをやりたいかとか。まあ言っても未経験だったんですけど」
「ええ、ええ」
「転生した先での暮らしぶりとか、どんなことをすればよいのかとか、こっちが幾ら聞いても、大丈夫大丈夫、とか。まあそれは後ほど、とか。なんかこう、曖昧に、はぐらかす、というか」
「なるほど、なるほど」
「最初はその、やっぱり修行なりなんなりをする感じですかね? みたいなことを聞くと、あーまあそうだね、修行、うん。まあウチは原則OJTだから。習うより慣れろ、みたいな。やっぱり現場がね、一番だからね、みたいな。お前は悪徳SESかつってね、ワッハッハ」
「……」
スルーなのか。身を削った渾身のジョークだぞ。なんか言えよ、いや逆に突っ込みづらかったか。高木は何とか次の句を続ける。
「……で、面接終わって、早速転生、いきましょう! つって。もういきなり。なんか事前に準備とかないんですか? って聞いたら、いやもうすぐだからって。で何か光に包まれて、あ、これもう転生してるんだな、と思って、いやいきなりかい、まあやるしかないな、よっしゃ、やるぞ、みたいな感じで」
「で、気が付いたら、この部屋だった、と言う感じでしょうか?」
「はい、仰る通りです……」
「えーっと、一応生まれはしたんですよね?」とエージェントが端末を見つつ尋ねてくる。
「それが……よくわかんないんですよ、ほんと。あれ? これ生まれてるのかな? 俺生まれてます? これ生まれました? と思ってたら、ぷつんと。急に真っ暗になって。で、なんの感覚もないし、誰もいないし。すんません、誰かいますか、なんつって騒いでたら、もうここにいたので」
「えーっと、高木さんは、結局どうなったんですかね……」
彼女が素早く端末のキイを打ち込む。画面が切り替わる。
「あー……なるほどなるほど。分かりました。93秒、ですね。これまでで……最速です」
「93秒……享年93秒……」
「死因は……ドラゴンですね」
「ドラゴン」
「はい、火球で一撃。高木さん含めて、あたり一帯消滅したみたいです」
「あー……ははっ」
高木は笑おうとする。実際は乾燥した笑いが喉をひりつかせて、僅かに痙攣したような掠れた音が響くだけだ。どうにもこうにも、死因だけは、ぼんやり憧れてきた、あの異世界っぽいやつだな。ここまでくれば最早笑うしかない。ははっ。
「ああいった、人をたくさん、それも勇者職みたいなのをやたらめったら集めているところは、とにかくたくさん人を集めて、ドシドシ転生させて、そのうち一人でも戦力になればまあ御の字、みたいな感じでやってますからねえ」
「あー、なるほど……」
「まあ、人を育てている余裕がないということなんですが」
「はあ……」
本当に悪徳SESそのものではないか。高木は再び、がくりとうな垂れる。しかし即死。即死とは。活躍もクソもないではないか。畜生。やはり、まともな異世界に行くには暫くは何処かで修業をして、実績を積んでから面接に臨むべきなのだろうか。しかし修行と言ってもこんなところで、一体どうしろというのだ。筋トレでもすれば良いのか? 剣でも振るか? そもそも今は肉体を持っていないのだからトレーニングをしても意味がないではないか。
「で、早速で恐縮なんですが、前回の反省も踏まえまして、こちらが今回ご紹介する新しい求人先になるのですが……」
エージェントがテーブルの上に資料を広げる。見慣れたA4フォーマットだ。高木はそれらに目を通していく。その顔がみるみると曇っていく。
「あの、これは……」
高木は何かを言おうとし、留め、改めて求人の内容を見直す。が、特に読み違いをしているわけではない。明らかに求人の、グレード、とでもいうのだろうか。質が、待遇が、前回のものより数段下がっているのだ。
「その、何と言いますか、ちょっと申し上げにくいのですが」
困ったような笑みを浮かべてエージェントが切り出す。
「高木さんの場合はその、前回の離職が少々早かったものですから、それで」
「それで?」
「まあ、端的に言いますと、足元を見られている、ということですかね」エージェントの爽やかな笑み。足元、足元だと! 第一、前回はほぼ何もできずに即死ではないか。ノーカンだろう。享年93秒だぞ。どうしろというのだ、離職もクソもあるか。それなら、前々回の記憶があるのだから、むしろ試用期間内の離職扱いになるのでは。保険はどうした保険は。などといったあれやこれやを高木は思うのだが、そこはぐっと耐えて口には出さない。押し黙って求人資料を捲る。しかしあれだ。どれも中世暗黒時代を煮詰めたような、どろどろじめじめとした後ろ暗さがある。これなら三食いちおう食べるに困らない、いやそれでも食べられない日も多々あったのだが、前々世のほうが幾分ましなのでは、という気もしないでもない。だがしかし、あれはあれで、魂にボディブロゥのように効いてくるのだ。そう考えると皆が皆、横並びに暗い面持ちのほうが幾らか救いはあるのかもしれないな、いやそれにしてもこの暮らしぶりは……あっ。そんな馬鹿な。高木は一枚の求人を手に取り、エージェントのほうへ見せる。
「こ、これ、これ!」
「どうされましたか?」
「ひっ、ひどすぎる! サル、サルですよ!? もう人間じゃない!」
「ああ、高木さん、落ち着いてください。ほらここ。これ、軍の研究施設で、ヒトとサルの知性の違いに関する研究、そこで働くサル、とのことなので、結構いいんじゃないですかね? 逆に」
「逆に?! これの、何がいいんですか?! サルですよ! こんなの、いくら何でも、あんまりじゃないですか!」
「いやでも、高木さん、以前の面談でも言ってらしたじゃないですか。何かこう、新しいことに挑戦したいって」
「それとこれとは別でしょう! 実験動物じゃないですか!」
「嫌ですか? 実験動物」
「そんなの、あ、当たり前ですよ!」
「うーん……でもこの求人の内容、別に切り刻まれたりするわけじゃないし、そこまで待遇面で悪いとも思いませんけど……」
エージェントは困り顔だ。そんな綺麗な顔して、困り顔してればすべて許されると思っているのか。あいにくこっちはそんなのにだまくらかされるような肉の欲など持ち合わせていないのだ。いまや俺は魂だけの存在なのだから。しかしどうにも会話が噛み合わない。高木は暫し頭を抱える。そんな高木を余所に、あ、ほら、モデルケースでは……人並みの知性を得て……人類を支配……といったような、エージェントのはしゃぐ声が聞こえてくる。今となってはその適度に抑揚の聞いた美しい声色も幾らか軽薄な、喧しい、不愉快なものとして響いてくる。畜生。本当にこの女は俺の人生のことをちゃんと考えているのだろうか。サルか。サルだぞ。人間ですらないなんて。こんなことなら前回の転生時に素直に、前職と似たような世界に行くべきだったのだろうか。いやしかし。こんなような状況になっても、いやむしろ前々世の記憶が、特に今際の際に抱いたあの強い後悔が、はっきりとしている分、余計に、もう二度とあんな詰まらない人生を幾十年送るなど全くごめんこうむりたい、その思いが高木のなかで反芻され、煮詰められ、濃く、強く、その魂に深く刻まれていく。あの時、死ぬ瞬間、最も強く願ったことだ。俺だって、その気になればもっとやれるはずなのだ。こんな、こんなはずではないのだ。俺は、もっと……。
「みてみて高木さん、これ可愛いです! これなんてどうですか?」とエージェントが端末の画面を向けてくる。画面の中で、可愛らしいイルカが数頭、施設のプールだろうか。そのようなところを悠々と泳いでいる。飼育員らしき人間が近寄ってきて、エサをこう、イルカたちへと投げ与える。きゅいきゅい、きゅい。甲高い鳴き声をあげ、イルカがエサを頬張り、くるくるとまわってみせる。高木は思わず寒気と、同時に怒りを覚える。この女。他人事だと思って。人の足元をみて。畜生! しかし、とはいえどうすればいいのか。いま、ここにある求人のうち、どれかを選ばなければならないのだろうか。そうやって妥協してきた結果が、前々世の、高木トウノの人生ではなかったか。このまま、何も変わらず、全て忘れてまた生まれ変わるのか。
ただただ、時間だけが過ぎていく。過ぎていく、というのは高木の主観であるから、実際のところどれくらい経過したのかは定かではない。あるいは時間と言う概念自体、この部屋では意味をなさないのかもしれない。目の前の女。エージェントは相変わらずニコニコとしている。見れば見るほど美しい顔。この世のものとは思えない。こうも完璧に整っているとある種の芸術作品のような、美術の教科書で見たような、ギリシャ彫刻のような印象を受ける。あるいは仏像の類か。エージェント。俺と異世界とを繋ぐ代理人。底知れない寛容さと忍耐、あるいは軽薄さと無責任さの持ち主。最早信じられるのは己自身の心、魂、慟哭だけなのだ。それが、高木に言っているのだ。ここじゃない。こうじゃない。もっと俺は。やれるのだ、と。
「あの」と高木が切り出す。
「あっ、いよいよ、決められましたか?」
「いえ、その、なんといいますか……」
再び、高木は沈黙する。ぐっと、膝の上で拳を握る。言え。いうのだ。己の運命を今、変えるのだ。
「その、今すぐじゃないと、駄目ですかね……?」
高木は漸く、それだけ絞り出す。
「はっ?」
「いえ、あの、その、転生のこと、なんですけどね」
それだけいうと、高木はゆっくりと顔を上げ、目の前の彼女の顔を見る。果たして、彼女の顔はいつもと変わらず、柔和な笑みを湛えているだけである。
「ああ……分かります。そういうときも、ありますよね」
「そ、そうですよね、ハハハ……」
てっきりその優柔不断さを詰られるものとばかり思っていたから、その反応に高木は脱力する。良かった。あまり怒ってはいないようだな。よしよし。
「こちらこそ、あんまり急かしてしまって、申し訳ありません」
エージェントはそういいつつ、手早く、テーブルの上に広げた資料を纏める。
「いえいえそんな、滅相もない」
「ただ、あんまり空白期間が空いてしまうと、色々と」
「えっ? ええ、まあそれは、はい」
エージェントが資料と、端末とを脇に抱え、席を立つ。そしてそのまま高木に背を向け扉へと向かう。
「あの」と高木。
「はい?」彼女が振り向く。
「あの、それで俺は、その、ここで次に、どうしたらいいですかね?」
高木の問いに、エージェントの彼女は、出会った時から終始変わることのない、静かで、柔和で、完璧な微笑を浮かべる。
「特に何も。どうぞ、ごゆっくりお過ごしください」
それだけ言うと、エージェントは部屋を出ていく。扉が閉まる。
そして部屋に高木だけが取り残される。
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