第33話 剣と槍
「待ちきれないな。血が
「その
ドミナに肩を指されたミリティアは、優勝と書かれた襷をいそいそと脱いで、頭からも簡素なティアラを外した。
彼女が身に着けていた装備は、学祭のイベントで優勝をした際に貰った副産物だ。
前しか見えないミリティアは、己が他人の目からどう映っているかなどは意識しておらず、ちんどん屋の一歩手前のような姿で往来を闊歩していた。
「ええと、このペナントも要らないな。首飾りも置いていこうか」
「はいはい、それでは動かないでくださいね」
ミリティアに細かい日程調整や、イベントの前準備は無理と判断されていたため、注目度が高そうな催しの直前は、お目付け役のドミナと行動することになっていた。
第一武道館の一室を貸し切った選手控室で、ドミナから薄化粧を施されながらミリティアは尋ねる。
「さて、次はどんな相手かな」
学祭の目玉でもある交流戦は、参加人数が多いため待ち時間が長い。
2回戦を突破したミリティアは武道館を後にして、アクション系のイベントを総ナメして帰ってきたところだ。
そんな彼女は「まあ誰が相手でも勝つがね」という、不適な態度でいた。
「次の対戦相手は、伝統剣術研究会の会長です」
「いいだろう、完全勝利で終わらせる」
本戦トーナメントの初戦では、相手との実力差が離れすぎていたために、前方に駆け抜けるだけで終わる試合となった。
しかし2回戦の杖術使いとはそれなりに打ち合えており、次のステージに進むほど、猛者が現れる公算も高くなる。
そろそろ実力者が選び抜かれる頃だと、ウキウキしながら待っていたミリティアは、次の相手が剣士だと知った途端に、好戦的な真顔になった。
「油断し過ぎないでくださいね? 相手も大手から選ばれた精鋭なので」
「分かってるよ。心配はいらないさ」
槍に人気が無いのは剣のせいである。そんな歪んだコンプレックスは無いでもない。
そんなミリティアは気合を入れてから控室を出て、悠々と選手用の通用口を進んだ。
「しかし剣対、槍か」
第一武道館は円形闘技場の造りをしており、会場は快晴に照らされている。
絶好の観戦日和でもあるため、観客はほぼ満員だ。
相手選手と反対側から会場入りしたミリティアは、客席に手を振りながら、舞台の中央に歩みを進めた。
「さて、何とか剣技研究会の部長と言ったな」
「……伝統剣術、研究会です」
ミリティアの挑発を受けた青年は、多少むっとした顔で答えた。
知名度ゼロの弱小研究会が、学内最大手の団体に何を言うというプライドと、相手が王女なので無礼は働けないという理性が喧嘩した結果だ。
結局のところ不機嫌という形で表出したが、反応を見たミリティアはあからさまに落胆した。
「この程度で心を乱すとは、どうにも未熟者のようだ」
「では一手、御指南いただけますと幸いです」
「いいだろう。本気でかかってこい」
この挑発は負けた後に、相手が無名だから油断していたと、言い訳の余地を残さないための措置だ。
しかし相手の佇まいや重心の置き方、筋肉の付き方から大体の実力を予想したミリティアは、指南という言葉に関連付けて零す。
「ときに槍と打ち合ったことは?」
「いえ、我々が扱うのは実戦剣術ですので」
「なるほどな」
実戦であれば当然のこと、魔物と戦う場面が想定される。つまり対人の異種模擬戦にはそれほど慣れておらず、槍の怖さを知らないということだ。
少なくともミリティアはそのように受け取ったが、試合前の挨拶にしては不穏な雰囲気が流れていた。
「双方、用意はいいですか?」
「問題ありません」
「無論だが、最後にもう一つ尋ねておこう」
空気を読んだ審判は所定の位置に着くように告げたが、ミリティアは付け加えて聞く。
「刃物を持った暴漢と相対した際の、護身術を教える場合。最初に徹底させることは何だと思う?」
「分かりかねます。ご質問の意図もです」
「そうか」
互いに下がって位置に着き、武器を構えてからすぐに、試合開始の合図が下された。
しかし今日のミリティアは自分から攻め掛からず、開始から数十秒は打ち掛かってくるのを待つことにしている。
「では後学のために、よく覚えておくといい」
「何を!」
「先ほど言っただろう。刃を持つ相手に対して、素手の時にはどうするのか……という話だ」
今回は剣士が突進して槍士が待つ構図になったが、ミリティアは防御を重視した下段の構えで、全ての攻撃を的確に捌いていく。
そして戦闘の傍らで、彼女は講義を始めた。
「手にしているのが短剣でも、拳3つ分くらいは間合いが広がる。
積極的に攻めないのは、短時間で次々に決着してしまうと見せ場が少なく、宣伝にならないというのが一つ。
そしてもう一つは、剣で槍に立ち向かえばどうなるかをじっくりと教える、教育のためだ。
「どれだけ鍛え上げたたところで、勝ち目は薄いだろう。空手で制圧するには相当の実力差が要る」
ミリティアは淡々と水の槍を振るい、迫り来る火炎の剣に打ち合わせていた。反対属性の魔法で効果を打ち消して、純粋な武術勝負に持ち込みながら彼女は言う。
「だから無防備な時に暴漢と出会ったならば、立ち向かおうなどとは思わず、逃走を最優先にするべきなんだ」
「それが、何だと仰るのですか!」
ミリティアは余裕の顔で打ち合いながら、堂々と講釈を述べた。
崩れる気配がない鉄壁の守備を前にした青年は、焦りながら問い返したが――その解答は単純だ。
「今の状況と似ていないか? 剣で槍に挑むという行為は、素手で剣士に襲い掛かる暴挙と、大差ないということだ」
素手の人間が剣士と対戦するならば、攻撃を当てるまでが遥かに遠い。一方的に主導権を握られ続けるため、生殺与奪の権利は間合いを支配している剣士の方にある。
しかし剣と槍が対峙したのなら、素手と剣よりも更に射程距離に差が出るのだ。
もちろん互いの得物によるが、少なくとも今回はそうだった。
「ふ、懐に潜り込んでしまえば、こちらの間合いです!」
「潜り込めればな」
一般的に言う攻略法だが、これには穴がある。要は槍を操る側がハンドリングや間合いの管理に失敗して、隙ができた瞬間に仕掛ける戦法だからだ。
あくまでミス待ちでしかなく、待っている間にも槍は自由に攻撃が可能となっている。遠距離から崩し技が飛んでくるのだから、隙ができるのは主に剣を持つ側だ。
「さて、どう潜り込む? 貴様が駆け抜けるよりも、私の引き手の方が速いぞ。一歩退いて仕切り直してもいいな」
「くそっ、このっ!」
そしてミリティアは集中力に精密動作性、筋力や持久力といった、全ての項目で彼を上回っている。
剣が槍に勝つには、三倍の実力差が必要と言われるほどであるため、槍士側のスペックが高い現状では――まるで打つ手がなく――何もできないのが当然だ。
間合いの外から淡々と攻め手を封殺しながら、思い出したようにお仕置きをするだけで、完封勝ちが可能となるのが基本だった。
「いたぶる趣味は無い。君個人にも恨みは無いが、これが現実なのだよ」
「く、くそぉぉおお!! こ、こんなはずが! 俺の剣が!!」
彼にとっては深い落とし穴に嵌められた挙句、上から一方的に石や砂利を食らっている気分だ。
何とか防御を突破しようと強引な攻めを展開して、籠手を打たれる。焦って更に雑な攻撃を仕掛けて、また叩かれる。
いつしかその無限ループに突入してしまった。
「……急に小物感を出されると、それはそれで困るんだが、まあいい」
勝利に価値を持たせるならば、あくまで相手にも大物であってほしいのだ。
醜態を晒す前に終わらせるべく、ミリティアは槍の柄を青年の足元に引っ掛けて、尻餅をついた彼の眼前に穂先を突き付けた。
「実戦を知らないな。想定外の事態に陥ろうとも、勝負事の最中に動揺を見せるものではない」
「うぐっ……」
「さらばだ。鍛え直してから、再戦を申し込みにくるといい」
決め台詞は風魔法で拡声されたが、その威容には歓声が上がった。
しかし試合を終えたミリティアが舞台を去るなり、脇で見ていたドミナは小首を傾げながら確認する。
「ティアちゃんの実戦経験は、10回もないですよね?」
「大物ぶるだけなら無料じゃないか?」
「それはそうです。宣伝の目的は十分過ぎるほど果たせましたし」
同意しながら肩を竦めたドミナは、正直に言えばこの辺りでリタイアしてもいいと思っていた。
準決勝、決勝の相手と激突すれば、姫が負傷する事態になりかねないからだ。
「まあ、折角だから優勝するよ。最後の試合がこれでは不完全燃焼だしな」
「怪我には気をつけてくださいね」
「どうだろう、相手の心配をするべきじゃないかな」
雑魚狩りに近い試合の数々は、ミリティアの精神面に良くない影響を与えていた。
しかしこれは反対ブロックに優勝候補が固まってしまったことで、実力者と当たれないストレスが蓄積したものであり、言ってしまえば油断や慢心ではなく欲求不満の類だ。
そう片づけたドミナは、頬に手を当てながら呆れた。
「これは多少、お灸を据えられるべきでしょうか」
「むしろ、そうなることを願うよ」
準決勝、決勝ともなれば、流石に猛者が出てくるはずだ。
同世代で最強の相手を討ち、名実共に最強を名乗りたい。
そんな武人としての矜持を抱えたミリティアは――はたと気づいた。
「そう言えば次の催しは?」
「15分後に正面玄関前で開催です」
「時間がないな。このまま行こう」
「鎧は仕方ないとしても、せめて槍は置いてきましょう。警備員に足止めされそうですから」
宣伝に力を入れ過ぎたせいで、折角の祭りは分刻みで動いている。
彼女たちは忙しなく動き回りながら、膨大な予定を着々と消化していった。
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