第30話 新たな伝統を



 更に2週間の時か経ち、10月の学校祭に向けた準備が本格的に始まった。校内では特有の作業風景が広がっているが、これは槍術研究会も例外ではない。


 とは言え彼女らの出し物は槍さえあれば成立するので、極論を言えば宣伝用の看板だけ作れば済むくらいの規模だ。

 槍の選定から輸送の手配も数日で完了したため、準備にはゆとりがあった。


「よし、できたぞ」

「どんなもんです?」


 日程には余裕があるのだから、それほど効率にこだわらなくともいい。そのため手分けや分担の割合を少なくして、全員が一通りの作業を体験しようという運びになった。


 これは何のかんのと言いつつ全員がお嬢様なので、初めての経験に興味津々だったからだ。


「さあ見てくれこの力作を。これをどう思う?」

「前衛芸術ですかね」


 人生初の日曜大工を敢行したミリティアは、校内を練り歩いて客引きするための手持ち看板を仕上げた。

 しかし肝心の意匠はキュビズムに近く、お世辞にも絵心は感じられないものだ。


 本人はお洒落にデザインしたつもりだが、完成品を見たマレフィは視線をやや外しながら、当たり障りのない表現で絵が下手だと告げる。

 この芳しくない反応を見て、ミリティアは首を捻るばかりだった。


「芸術鑑賞の時には、こんな感じのものが持て囃されていたはずなんだが……?」

「それは適当に見えても、厳密に計算して描かれているものですから」

「そういうものか」

「へぇ」

「なるほど」


 まともに芸術を解している、違いの分かる女はドミナくらいのものだ。

 この点ではスペルビアとマレフィも感嘆の言葉を漏らすだけだった。


 しかしそのドミナですら武道寄りの人生を歩んでいるため、彼女らの手で高尚なものが描けるはずがなかった。

 なので細かいことは気にせずともいいと言わんばかりに、ミリティアは看板を軽く叩いてから片づける。


「うむ、まあ、いつかこれの良さが理解される日もくるだろう」

「姫様本人にも良さが分からないのにですか?」

「評価を受けるには、出土しゅつどされたと言われるほどの月日が必要そうですね」


 さりとて学校祭に美麗な絵など必要ない。下手なら下手で構わないため、特に力を入れずに楽しんでいた。

 要するに彼女らはエンジョイ勢であり、普通の学生らしい活動をしているだけなのだ。


 普通の学生らしくない行動と言えば、物品の用意にミリティアが王宮の人手を使ったこと。そして交流戦でのシード権を獲得するために、ドミナが行った裏工作くらいだった。


「そう言えば交流戦に出るのは、本当に私だけでいいのか?」

「何人も捻じ込めませんからね。当日の人手も足りませんし、残念ですが我々は応援に回ります」

「いや、伝統ある催しに、常設の決め事を策定してきただけで快挙だとは思うんだが……」


 ドミナは2週間の交渉の末に、武芸の大会で受賞歴がある人間などの、優勝候補となる人間の予選免除制度を創設した。


 本来であればバトルロイヤル形式の予選を勝ち抜き、予選トーナメントを通過して、ようやく決勝の舞台に進める。しかし出場者の実績に応じて、それらをスキップできる制度を作ったのだ。


 よく何とかできたなと感心するミリティアに足して、ドミナは簡単に言う。


「現状では不正がまかり通っている部分があったので、揺さぶりやすかったんです」

「と、言うと?」

「研究会同士で談合があったり、徒党を組むことが常態化していたり……そんなところでしょうか」


 ドミナはシード権の在る無しから調べたが、その過程で大手の研究会が有利になる仕組みが、そこかしこに用意されていると気付いた。

 対する主催側は、ある程度は把握しつつ黙認という状態だ。


「組織的にやっていたのなら、なおさら難しいと思うんだが」

「微妙に既得権益化し始めていたので、確かに反発はありましたね」


 武芸の大会に学内政治が絡んでいると知った彼女は、下手に出てお願いをする立場をやめて、大会のルールを決める側の――ゲームメーカーになる道を選んだということだ。


「ですがまあ提案者が私だとは知られていないので、不満の矛先は纏まりませんよ」

「参考までに、何をされたんです?」


 木っ端のような槍術研究会が大会の在り方に物申したところで、パワーバランスには何ら影響ない。海に一石を投じた程度の効果しかないだろう。


 だから提案の方向がそもそも、実行委員を始めとした学内側に向いていなかった。


「学内政治のお話を、国内政治のお話にしただけです」

「政治」

「はい」


 大会の流れが三段階に分かれるほど人が多いのだから、質はどうしても落ちる。


 しかしスカウトを目的にやって来る軍閥の人間からは、目立った人間を獲得するだけで宣伝広告費が浮くという節約的な面も込めて、できる限り公式の場で有望株を確保したいのが本音だ。


 そのためドミナは自治会や教職員の頭越しに――後援者の方に――特に騎士団関係者に手を打った。


 そもそも学内での発言力とは、所属する団体の影響力に依るものだけなのか。

 否、そこにはもっと分かりやすい指標がある。


「資金力の差が、権力基盤の決定的差となることを教えて差し上げた。それだけです」

「お、おおぅ」


 学内のことは学内で解決すべきであり、自治が基本だ。しかし自浄作用が働いていない場所があるならば、当然のこと外部からのメスは入れられる。


 学内にせよ学外にせよ、そこで物を言うのは何を置いても実弾よさんだ。


 ドミナが調査を始めてから幾らも経たないうちに、倫理的に少しおかしいグレーゾーンがぽろぽろと見つかったのだから、彼女は淡々と大鉈を振るった。


「ミリティア様。この辺りで」

「ああ、そうだな」


 非常に不穏な空気を察したスペルビアは、ここでミリティアの袖を軽く摘まんで引き留める。

 猪突猛進の王女様とて、この場面で敢えて押すことはしなかった。


「……私は深くは聞かない。あくまで良きに計らえ、だ」

「それが正しい姿勢ですけれど、安全策を採っていますから。そこまで不安がらなくとも大丈夫ですよ?」


 実際に学校にクレームを入れたのも、周囲を巻き込んだ改革を要請したのも、ドミナや実家とは無関係に見える・・・家からだ。


 ミリティアも得意とする「良きに計らえ」が数回ほど繰り返されて、出所が不明になるまでロンダリングをされた末の圧力となった。


 そのため、絶対に発覚しない自信があるドミナは小首を傾げたが、ミリティアたちからすると問題はそこではない。

 しかし実情を軽く聞く限りでは、突っ込むような問題でもなかった。


「ま、まあいいさ、今年は実力通りの相手が来るということだろう?」

「仲が良い研究会同士が徒党を組んでいた程度なので、多少改善されるくらいでしょうか」


 実力者が人の波に紛れて、ラッキーパンチで脱落する。その根本は変わらないが、大した実力もない選手に下駄を履かせる行為は排除できた。


 しかし代わりにシード権という新たな利権を生み出してしまったので、五十歩百歩なのではないか。

 そんなマレフィとスペルビアの考えを見透かしたように、ドミナは追加で主張を述べた。


清濁せいだく併せ吞むことも、時には必要ですから」

「にごりが強いような気がしないでもないですけど、きっとそうですね」

「今回不幸になった人間は、前々から談合していた層だけです。――悪人が困って、何か問題が?」

「ええ、ございません……かもしれません」


 ミリティアは近衛騎士団の訓練を10年以上も続けているので、間違いなくシードに選ばれる実力がある。

 そのため仕組みを合法で作り、その後の不正は一切やらないのがドミナの方針だ。


 つまりは選定に関わらないことが最低限の線引きであり、ドミナの中ではそれでセーフとなった。この辺りの判定基準は人により違うが、彼女の中では、適法であれば基本的に許せることだ。


「そ、そうだな。あはは、しかし難しい話をしていたら喉が渇いてきた」

「紅茶をお淹れします」

「お茶菓子持ってきまぁす」


 ドミナと政治哲学を語らうのはやめよう。そんな意味合いも込みにして、これ以後この話題に触れるのは何となくのタブーとなった。


 そして槍術研究会は人の断絶によって伝統が途切れているため、彼女たちの習慣やお約束が新たな伝統となる。

 そこいくと初めて創設された伝統は、次いでミリティアが呟いたこれ・・だった。


「……細かいことには拘るな。我々は武のいただきを追求するのみだ」

「……承知しました」

「……あーい」


 気まずさを打ち払うための言葉であり、何の含蓄がんちくもありはしない。ミリティアはただ、「私たちは部活動に専念しようね」とお茶を濁しただけなのだ。


 しかし数世代後にもなれば、先達のエピソードは随分と美化されて伝わる。


 久方ぶりに母校を尋ねた彼女らが、この伝統を胸に刻み訓練をする在校生を見て、苦笑いをすることになるのは――まだかなり先の話だった。


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