第19話 登山開始



 あくる朝、彼女たちは快晴の中で登山を始めたが、今回のために用意した装備は普段と少し違った。


 魔物と同じく天候や気温も敵となるため、ミリティア以外の3名はトップスの下にインナーを着こんだ上で、急所だけをカバーした革製の軽装鎧を着用している。


 各自の槍がストックの代わりにもなるため、登山に向いた装備による行軍はスムーズだった。


「さて、そろそろ休憩しようか」

「承知しました」


 ミリティアだけは薄手のトップスの上に、対大型魔物用のフルプレートメイルを着こむという、山をなめた格好で歩みを進めている。


 だが、彼女は体力と頑丈さに優れているので、例え雪山でもこれで問題なかった。


 生息する魔物の情報も、事前にあったマレフィからの聞き取りや、図書館などを利用しての下調べを終わらせていたため、接敵した際のシミュレートも万全だ。


 しかし一度も敵と遭遇していない上に、天気が安定しているので、完全に行楽の雰囲気が流れていた。


「肩透かしではあるが、眺めが格別なところはいいな」

「そうですね、たまにはのんびりするのもいいものです」


 昼食時の大休憩を取ると決めた彼女らは、中腹の付近を流れる、水深が深い川辺に腰を下ろした。

 荷物も降ろして、歩んできた道を振り返ると、そこからは雄大な自然が一望できる。


「少し冷たいが、風も心地いい」


 南に続いていく街道はどこまでも真っ直ぐ延びているが、その左右には花畑が広がっており、風景画にできるほど壮観な景色でもある。


 ハイキングとしては悪くないが、ミリティアは少しばかり残念そうに呟いた。


「合宿にきたのだから、もう少しこう何というか……戦う機会が多くてもいいんだが」

「こればかりは水物ですからね」


 近辺には木々も生えていない岩肌が広がるばかりで、視界は良好。


 周囲への警戒が少なく済むこともあり、彼女らの気は緩みつつあったが、事実として間引きという名の殲滅作戦は完全に実行されているのだ。


 言うなれば、ただの登山を楽しめる環境が整備されていたことで、ミリティアの望みとは少しばかり違う現状があった。


「さてさて昼食ね。今日は意外と寒いんで、こんなものを用意しちゃいました」

「お、チーズフォンデュか。悪くないな」

「うぃ、地元は乳業でも有名なもんで」


 そして食事担当のマレフィは野営道具から、調理器具と食材を取り出した。

 夏に出されるのは珍しいメニューだが、今日の気候を考えれば正解だ。


 まず北部地域の気温が低い以前に、今の彼女らは標高が1kmほどの地点に差し掛かっている。


 地上と比べて気温が6°ほど下がっているが、それを差し引いても今日は、夏にしては涼しい日なのだ。

 体が温まる食べ物を用意してきたのは、寒冷地生まれらしい配慮だった。


「あたしは火属性の扱いが苦手なので、着けてもらっていいです?」

「せいっ」

「わー、独特」


 地面に置いた薪にミリティアが人差し指を向けると、先端から小さめの火柱が迸った。


 通常は両手を向けて魔法を発動するので、こんな方法で着火するのは、よほどのズボラか横着者のどちらかだが――しかしミリティアはこの両方に該当している。


「もう、お行儀が悪いですよ」

「身内しか見ていないんだから、いいじゃないか」


 淑女がやる方法ではないとドミナは嗜めるが、今更だ。


 淑女ならば屋敷で社交に向けたお稽古でもしているはずであり、こんな僻地に赴いてまで、大物の魔物を狩りにいこうなどとは考えない。


「やあ、普段ならもっとドバっと出てくるはずなんですけどねぇ。討伐隊が出張ってきたのは、間が悪かったというか何というか」


 手際よく調理の用意をしていくマレフィは、宛てが外れたと言いたげな顔だ。


 しかし半ば、王族と公爵令嬢の護衛という立ち位置にいるスペルビアとしては、悪いことばかりではない。


「目標を考えると微妙なところですが、危険が避けられるという意味では良いですね」

「まあ、そうかも?」


 もちろん実力は日々の稽古で把握しているが、実戦では何が起きるのか分からない。だからこそ不確定要素は、少なければ少ないほどいいのだ。


 彼女の理想を言えば、ミリティアが満足できるサイズの魔物が、一体だけポツンと出てきてくれればそれが最高の展開となる。


「そうは言うがな、たまにはビアちゃんも存分に槍を振るいたいと思わないか?」

「……否定はしませんが、安全第一です」

「あらあら、もう、真面目なんだから。かわいいねー」


 スペルビアは出会って1月以上経ってもまだ、マレフィとの距離を掴みかねているが、マレフィとしてはいたくスペルビアを気に入っていた。


「はいはい。食材を切るから離れてください」

「あう、いけずー」


 スペルビアは親しくなるまでのハードルが高い分、友誼を結んだ後は義理堅さを発揮するタイプだ。

 しかし彼女から動くことは滅多にないので、黙っているといつまでも仲が進展しない。


 あくまで受け身の人間ということも、マレフィは入部当初から察知している。


 そのため彼女は多少強引に、アグレッシブに距離を詰めていっても構わないだろうと思い、グイグイとひっ付くことが増えていた。


「鍋の方をお願いします」

「あーい」


 呆れ顔で引き剥がすスペルビアも、あしらい方が固定されてきた分だけ対応が楽になっており、以前よりも気安く過ごせるようになっていた。


「なんとも平和な光景だ」

「そうですね」


 ドミナは微笑ましそうな顔をしているが、闘争を求めて北までやって来たミリティアは、いささか複雑な心境でいる。

 さりとて部員の仲が良好なのは良いことだと、彼女は首を振った。


「マレフィさんのことは警戒していましたが、あの様子を見る限り、当面は大丈夫そうです」

「……本当に用心深いな、ディーちゃんは」

「慎重と言ってください」


 近衛騎士の娘であるスペルビアにはすぐに信用を置いたが、前情報のないマレフィの出自は徹底的に調べていた。

 特に問題ないという調査結果が出ても、ドミナは念のための再調査まで行っていたほどだ。


 いっそ執念深いとまで言えるが、しかし彼女は幼い頃からこの調子なので、ミリティアとしてはいつものことという印象だった。


「まあいい、我々は配膳でもしようか」


 山の中腹にまでは来ているが、連なった山を越える毎に標高が高くなっていくため、標高が最も高い地点からすると3合目辺りとも言える。


 まだ先は長いため、休めるところはゆっくり休むのも戦う者の心構えだ。

 彼女はそう思いながら、行軍用に用意した木製の食器を手に取った。


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