第48話 暗根ヤミは、逃げ出した。

「──がっ、あ゛」


 どれくらい、飛んだんだ……?


 薄暗い空間に、石が崩れる音と、粉塵が舞い散る。

 滅多に壊れる事のない迷宮の壁。その壁が、ヤミを中心に5メートルほど崩れ落ちていた。


 あれは、蹴りなのか?


 見えなかった。ツルギの姿がブレた瞬間に、咄嗟に防御をしたおかげで助かったけど、キロ単位で吹き飛ばされたかもしれない。


 ヤミの激突した衝撃で、ボロボロに崩れた石を押しのけ、ヤミは何とか這い出た。


【白蝶】は左腕ごと見るも無惨に折れ曲がっている。これまでは、運良く重傷を負う事のなかったヤミは、初めて頭が燃えるような痛みを体感していた。


 本当は蹲って叫びたい気持ちを押し殺して、ヤミは身体を起こす。


「……逃げ、なきゃ」


 ヤミが攻撃の瞬間をほとんど認識できないような相手だ。絶対に、ヤミがどこまで飛んだのかは、分かっている。

 それでも今、ツルギが手を出してこないのは彼の気分だろう。


 ツルギはヤミの視聴者を確認したがっていた。

 そしてツルギには、カメラを預けてきたことは伝えている。彼がカメラの在処を見つけるまでは、生かしてもらえる可能性が高い。


 ガレン師匠に会わないとっ……!


 ヤミとガレンの距離は、ツルギを単独で追った分+プラス攻撃によって吹き飛んだ分。

 合流出来るかは賭けである。


 しかし、合流さえ出来れば。

 銃原ガレンであれば、ツルギをどうにか出来るかも知れない。


「──ッ、誰かっ!誰かいませんか!」


 ヤミはリスクを承知で声をあげる。

 モンスターが寄ってくる気配を感じながら、全力で身体を駆動させた。


 赤武さん、ツルギが処理してくれていたお陰で、モンスターの数は少ない。

 しかしその群れは確実にヤミへと近づいてきているし、ツルギも何処かでヤミを見ているだろう。気を抜けば即死してもおかしくはない。

 加えて、ヤミにはガレンがいる正確な場所は分からない。


 この階層のマップは把握しているが、ガレンがヤミを探しに動いた場合はすれ違う可能性が大いにある。更にはイレギュラー的モンスターやツルギが進行方向にいた場合は進路を変える必要も出てくる。


 モンスターに関しては万全の状態なら問題なかったが、片腕を折られ肋骨にもヒビを入れられた状況では厳しい。


「絶対に生き残るんだ」


 そんな絶望的状況下にいるヤミを奮い立たせているのは、ガレンへの信頼でも朧げな希望でもなく。


「話さないと、分からないからっ!」


 信じていた人達、信じたい人達から、直接真実を知りたいという願望だった。

 その強い願望が、ヤミの持つ力を目覚めさせる。


 身体の治癒が進み、骨折の痛みが和らぐ。このまま何事もなく行ければ、単独での生還という希望が見えてきた。

 ──しかし、


「へぇー、それがお前の特技か」


「──ッ」


 ヤミの代わり。別のおもちゃとして神々に改造された、ツルギの尾を踏んだ。


「確かに大したもんだけど、亜神になった俺には及ばねぇな。まぁ、更に成長すれば結果は違っただろうがな」


 ツルギの拳が、ヤミの顔面へ迫る。

 前回は反応できなかった攻撃。しかし『想いの力』で強化されたヤミはその速度に反応した。


 迫る攻撃に左足を引き、右手をツルギの拳に添える。

 手のひらが摩擦で焼き削れていくのを感じながら、ヤミは手のひらを押し込んだ。


「おっと」


 踏み込みも特にない攻撃だったのが幸いし、ツルギの拳はヤミの横をすり抜けた。風圧で地面が割れ、それに遅れて冷や汗がどっと流れる。


 師匠から攻撃を逸らす訓練を受けていなかったら、今ので死んでたな……。


 そして、事態は特に変わっていない。死ぬ時間が数秒増えただけの可能性が非常に高いが、諦めるわけにはいかない。

 ヤミは血の滲む手のひらを握り込んで、戦闘態勢を取った。


 身体能力で勝っている点は一つもない。重要なのは、読みと技術。

 プライドが傷ついたツルギがやってくる行動は、


「調子こいてんじゃねぇよッ!」


 回避の難しい横蹴りッ!


 即座に身体を浮かせて横向きにする。ツルギの蹴り足に腕を置いて、その威力を回転運動に変換する。


 ホルスターから【獣王レグルス】を抜き、今あるほぼ全魔力を用いた弾丸を装填する。

 その狙いはツルギの頭。高速回転中であっても問題なく狙いを定めたヤミは、その引き金を引こうとする。


「舐めんなッ!」


「クッ!?」


 直前、蹴りをいなされたツルギは地面が焼けるほどの高速回転で、2発目の蹴りを繰り出してくる。

 銃弾で撃ち殺せたとして、その蹴りは回避不可能だ。


 ヤミは狙いを修正し、ツルギの足を撃ち抜いた。吹き飛ぶツルギの足。太ももから先を失ったツルギは、その切断面から激しく出血している。


 魔力をほとんど持ってかれた。でもこの威力なら命に届く。どうにか補給するか、時間を稼いで1発をツルギに当てないと──は?


 ヤミがツルギの足から視線を外す寸前、吹き飛んで欠けた筈の場所に、があった。


 なんで、足が……生えて──


 それは、吹き飛んだ足と異なり、何もつけていない。しかし血の通った足だった。


 ──衝撃。




「……あ゛」


 意識を失い切らなかったのは不幸か幸いか。

 腹部への蹴り。それによって内臓が複数破裂し、口からはドス黒い血液がドボドボと溢れる。


 最早、痛みを感じない。

 ヤミの発動している力では再生が間に合わず、意識を保つだけで精一杯であった。


「■■■」


 ツルギが何かを言ってくるが、今のヤミには聞き取ることが出来なかった。


 あぁ……死んじゃうのか、結局。


 光の消えかけたヤミの瞳を見て、ツルギがつまらなそうに背中の大剣を抜き放ち、構える。


 やれるだけの事はやった。そんな言葉で納得できたら良かったけど、やっぱり悔しいや。


 嬲る気すら起きないのか、ツルギはそのまま無感情に大剣を振り下ろそうとして。




「──よう、生きてるかい。愛弟子?」


 閃光が迸る。


 光はツルギの頭を貫き、その衝撃でザクロのように弾け飛ばした。


 それを行った人物は灰色の髪をなびかせながらヤミを抱き起こす。

 ツルギの近くから即座に離脱させた彼女は、コートのポケットから取り出した何かを、ヤミにふりかけてくる。


「──ゴホッゴホッ!」


 その液体がヤミの身体に触れた途端、突如として身体の感覚が戻ってくる。

 

 喉に詰まった血液を咽せながら吐き出し、ボヤけが治った視界でその人物を見た。


「大変そうだったな、元気か?」


「師匠……!」


 その人物、銃原ガレンはヤミへと明るく笑いかけてきた。


「本当なら泣きながら抱きつかせてやりたい所だが、事態は一刻を争う。お前はコレを持って逃げろ」


 ガレンは真剣な表情になり、ヤミへと物を手渡してくる。


「大体の事情はから聞いた。お前は緊急事態を協会に伝えろ。『銃原ガレンが助けを求めてる』ってな」


 言いたい事は沢山ある。きっとガレンも沢山あるだろう。だけどその言葉を言っている時間すら惜しんでいるのが分かる。


 ヤミは頷いて、走り出した。


「ご武運を」


「やるだけやったら逃げるさ」


 気楽に返事を返すガレン。その視線の先には、首から上が無くなったにもかかわらず、直立を続ける人型の怪物。

 その切断面は血液が沸騰したように泡立ち、逆再生のように頭が復活した。


「亜神ねぇ……頭無くなっても死なないなら、ガチっぽいな」


「やってくれたな」


「すまんね、それが私の仕事なんで」


 元人間、ツルギの視線はヤミを向き、ガレンはその間に立った。


「お前を殺せる奴が来るまで、お前を止めるのがさ。よろしくね」





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