2章
第22話 暗根ヤミ、交渉人です。
三十を超える階層を持つ、高層ビルのエントランス。陽光を十分に取り入れてキラキラと輝くその場所に、1人の青年がいた。
青年は子供の様に顔をキョロキョロと動かして呟く。
「……ここが、協会本部」
青年、ヤミが連れてこられたこの場所は、人類が迷宮という未知と対峙するためのあらゆる支援を行なう国際組織。【迷宮探索協会】の本部。
役所の様な役割もこなすが、魔石の研究や植物の育成。モンスターの生態調査といった迷宮関係の物から、武器防具の技術開拓に貸金庫まで存在している総合施設である。
「私についてきてください」
先程まで車の運転をしてくれていた職員が、内ポケットから取り出したカードキーでエレベーターを開くと、ヤミに渡してくる。
「このカードが身分証代わりになります。無くさない様に」
「は、はい」
言われるがままにエレベーターに乗ると、最上階とは言わないが、かなりの高層階まで向かっているようだ。
ほぐれた緊張が、エレベーターの上昇と共に高まっていくが、深呼吸する事で自分を保つ。
大丈夫。暗根ヤミは【氾濫】を乗り越えた探索者だ。自信を持って、言いたい事をきちんと言おう。
そんな風に気持ちを作っていると、目的の階に着いたようだ。
扉が開くと、会議のために使われている階なのか、均等な感覚で扉が左右に置かれた通路が目に映る。
連れてきてくれた職員は、エレベーター先にいる警備の職員に頭を下げた後に、ヤミにエレベーターから降りる様に言ってくる。
「私はここまでです。ご帰宅の際にはお送り致しますので、下で待機しています」
「わかり、ました。ありがとうございます」
カードキーを警備に見せると、一番手前の部屋へと通される。
部屋の内装は執務机が一つに、来客用の机と本革の椅子が2つ置かれている。
高価さが漂いながらも、上品にまとめられているその部屋は、ヤミに相手の立場や今回の話の重要度を何となく感じさせた。
執務机に改めて視線を向ければ、そこには1人の男性が待っていた。
「やぁ、病み上がりだというのにご足労かけて申し訳ない。どうぞ座ってください」
その男はメガネにスーツとキリッとした見た目とは裏腹に、人の良い笑顔と声音でヤミを歓迎してくる。
「ありがとうございます」
今後の状況を田中から伝えられていなければ、何の危機感も抱かない様なふんわりとした雰囲気。ともすれば、田中の予想が外れているのかもしれないと、ヤミは錯覚してしまう。
ヤミが席につくと、その男性職員直々に飲み物を渡してくる。
「それじゃ、早速で悪いんだけど、今回の【氾濫】下で、ヤミ君が体験した事を報告して貰いたいんだ。録画をしても構わないかな?」
「はい、大丈夫です。えーっと、そうですね……」
ヤミは人の少なさを感じた事。職員たちの慌てよう。そしてその後の作戦から【氾濫】時の戦闘の流れを、ボスモンスター討伐まで覚えている限りを伝えた。
もちろん、【魔石砲】や魔力の操作なんて細かい技術的な事を自慢げに話しても意味はないので、説明は省く。
「──それで、上昇したステータスと
「ふむふむ……なるほど。協会の職員も十分な活躍はしていたが、やっぱり君の功績がデカいねぇ」
ヤミの話を聞いて、事前に職員の報告であがってきたものと、殆ど差異がない事を確認しながら頷いていた男性は、そこで話は一旦区切りだとでも言うように、咳を一つした。
「──コホン、実はね。今回は状況報告だけじゃなくて、君と商談をしたいと思ってこの場を用意させてもらったんだ」
「商談……ですか?」
「そう。まぁ、端的に言うと──君の手柄を協会に売って欲しいんだ」
ヤミの反応を見ることもなく、男は話を続ける。
「『協会の支援を受けた探索者が、【氾濫】を終わらせた』ではなく。『協会が、探索者を指揮して【氾濫】を終わらせた』そんな風に功績の比率を変えたいと我々は思っている」
【氾濫】という災害への対処を、今回の協会は完全に失敗している。
予兆に気づいた時には現場に戦力は無く、対策部隊編成中には既にボスモンスターが外に出てきていた。
もしもヤミがいなかったら、ボスモンスターや大量のモンスター達によって、
「勿論、我々としても今回の事は重大な問題として捉えている。放置したりはしない。だが、市民の不安が残るのも……よろしくは無いだろう?」
「……そうですね」
職員の男性の畳み掛ける様な話術に惑わされない様、心に壁を作りながら、ヤミは頷く。
「タダで、とは言わない。君にとって今回の事は誇りに思う成果だった筈だ。私たちもそれに報いる準備はしている」
男は机の引き出しからいくつかの書類と、机の下に置いてあったアタッシュケースを取り出してテーブルに置く。
「今回の【氾濫】を終わらせた報酬金として、私たちが集めていた対策部隊の隊長の成功報酬と同額を、君に渡す。探索者のランクとしては、県で1番の探索者と同レベルの金額だ。大体500万くらいかな?」
本来部隊に払うはずだった金額を考えれば安上がり。そんな考えがヤミの頭に浮かんだのが分かったのか、男はそのまま言葉を続ける。
「しかし、部隊でやる様な事を1人で達成して見せたんだ。これだけでは足りないよね?ボスモンスターの遺土や魔石。モンスター達の分も合わせて売るとして。協会が最大限で出せるのが、1000万だ」
1000万円。
1日で稼ぐにはあまりにデカすぎる金額に、平静を装っていたヤミの喉が思わず鳴ってしまう。
「本来なら、それだけで終わらせろと言われていたんだがね……流石に街を救った英雄に出来うる限りのことはすべきだろうと、交渉してきた」
男はヤミに見せていた書類を脇に寄せ、アタッシュケースの蓋を開く。
「あの迷宮はボスモンスター討伐禁止の迷宮だ。本来ならボスモンスターを倒したものにはペナルティを課すような制度になっていた迷宮だから、手続きは色々と面倒で手間はかかったが……これを君に」
アタッシュケースに入っていたのは、高級な布に包まれた20センチ程度の大きさの物。
手に取るように促されたので、ヤミは恐る恐る包みを開いた。
「ボスモンスター、【キマイラ】からドロップしたマジックアイテムだ」
「……リボルバーですか」
それは銃身に獅子の顔を取り入れ、撃鉄に蛇の刻印が刻まれたリボルバーであった。
獅子と蛇、それぞれの目には赤い宝石が埋め込まれており、獅子の開いた口から出る様に伸びた銃身は、銀色の中に淡い青色の光を纏っている。
グリップ以外は金属の色そのままに銀色だが、グリップ部には獅子の立髪のような茶褐色の皮が滑り止めに用いられている。
「君が今回の功績を売ってくれるのなら、武装型のマジックアイテムであるそれは、問題なく君の物になる。どうだろう、取引に応じてくれないか?」
「……」
──すごい。
ヤミはリボルバーを手に震えていた。
武器タイプのマジックアイテムが探索者の中で1番人気の物だから──ではない。
ここまで、全部読み切ってるなんて……!
金額提示、そこからの値上げ。追い討ちの如くマジックアイテムの譲渡。その流れの全てを、田中は読み切ってヤミに教えてくれていた。
『字面だけ見たら、ヤミくらいの探索者には考えられないくらいの高待遇だ』
田中は車内で、ヤミのスマホにそんな文字を打ち込んでいた。
ヤミも、スマホ下手の演技を忘れてつい頷いてしまうほどに、田中の予想は夢の様な好条件に思えた。
『だけどな、これって──ただお前の正当な報酬を並べてるだけ、だぞ』
ボスモンスターの討伐報酬、モンスターのアイテム売却額。そして【氾濫】を終わらせた報酬。そこに今回の成果の売却金をプラスした感じ出してるけど、実際のところはほぼ誤差みたいな額を付け足しただけにされている。
加えて、ボスモンスタードロップのマジックアイテムだって、あの緊急時の戦いで勝利した奴から奪い取るなんて世論的に出来るわけがない。多少の手続きがスキップされただけなんだと、田中は言う。
『端的に言えば、もっと取れるぞって事だ』
『……望んだら、マジックアイテムくらいは取れそうじゃないですか?』
ヤミは言葉の魔法に騙されていた事に頭をクラクラさせながら、冗談としてそんな事を言ってみる。
……ヤミは、文章上なら自分もユーモアを少しは出せるんだと初めて気付いた。
『多分いけるぞ』
『え!?』
そして冗談で言ったことが冗談で済まない事態だったことに驚いた。
田中の考えとしては、上位人気のマジックアイテムは無理だが、ヤミに合っていて、なおかつ低人気なマジックアイテムなら貰うことは出来るだろうという。
いくら迷宮がポンポン生まれて消えていくといっても、1ダンジョンにつき1マジックアイテムしか無いのだ。貴重なのに間違いはない。
『そのくらいの価値が、お前の功績にはあるってことだよ。……って言っても、お勧めはしないけどな』
出来るけど、がめつ過ぎる。
美味しいけど、協会を敵に回すほどじゃない。
『そこはバランスだ。協会から得してやろうと考えれば、間違いなく今後の探索者の活動に支障が生まれる。損を減らす程度に考えた方が良いぞ』
ヤミが今相手取っているのは、そういう機関なのだと、田中は忠告してきていた。
そしてヤミは、その忠告を胸に交渉のテーブルについた。
「──協会に功績を売却するのは、構いません」
「お!そうかい。それなら「ただ」──」
ヤミは食いついてくる男の職員の言葉を一度止め、息を吸う。
「ただ、余りにも此方の損が多い気がします」
探索者のキャリアとして、初期の頃から頭角を表せられるというのは、今後なんらかの集団での作戦やグループへの加入のしやすさというのに非常に有利になる。
その分の価値が足りないと、ヤミは職員に申し立てる。
譲る事には異存は無いぞ、と。敵対するほどの事は要求しないぞ、と。あくまで
「それじゃあ、君は何を望む?」
「マジックアイテム。……は、流石に強欲ですから、求めません」
ヤミの言葉を聞いた瞬間、職員の目が見下す様な視線に変化するのを察知して、ヤミは言葉を続けて撤回した。
「魔法書、【グリモア】が欲しいです」
ヤミが要求したのは、魔法を覚えることができる神秘の本。
マジックアイテムとは異なり迷宮産のみで無く、高位の魔法使いであれば自作できる【
「魔法を習得してもいない君が、自分で良い魔法を選べると?」
「いいえ。ですから、アドバイザーも用意してもらう事を含めて、私は報酬の追加を要求したいです」
ヤミがきちんと目を見て要求を伝えた後、しばし静寂が訪れる。
男の職員は少し目を瞑った後に、ゆっくりと頷いた。
「……分かった。まぁ、そんな所だろうね。報酬に関しては了解した。他の人の聴取もあるから下で待っててくれたら、正式な書面にして渡すよ」
「あ、ありがとうございます」
張り詰めていた空気が弛緩し、ヤミは緊張していた身体から力が抜けるのを感じた。
退室を促され、扉をくぐる直前に、職員から呼び止められる。
「──君の事を調査した際には、僕と面と向かって話すような事はできないと思っていたんだけど。何が君を変えたんだい?」
「……自信、です。今回の事が僕に、僕の意見を他人に伝える自信をくれました」
ヤミは胸に灯る炎を感じながら、一礼をした後にその部屋から退室した。
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