第十話:怪異


「時雨くぅん、それトモダチ?」

「丁度いいじゃん、ゲーム参加させるか」


 徐々に近くなる声にピク、と眉が動いた。

 この人らにさっきから僕は感じてるものがある。

 既視感……かな。以前にも聞いているような。

 ゲーム? ゲーム……。


 ふいに東雲の言葉が過った。

 夏休み前、話題に――

 そして今更思い出した。どこかで聞いたような気がしていたけど、体育館だ。

 女子が気持ち悪いと話してた。


「……!」


 そうか……。体育館。あの時耳にしたんだ。

 この感じ、ニヤついた声を。

 ちらりと見てもいる。二人に挟まれていたのは、まだ出会う前の時雨くんだ。


 笑っていた……? 違う。

 体育館とあの帰り道、見えた顔は同じ。前髪に隠れていない口角が少し上がっていただけ。


 彼の笑顔を僕は知っているのに、何で時雨くんに友達がいると思ったんだ。

 あれは笑顔じゃなかったじゃないか!


「五十嵐くんといるとコイツなんていらないと思った。だけど俺に必要なのは友達じゃない」


 湿度の混じった風が木々を揺らす。

 瞬間、腕にぷつぷつと鳥肌が立った。


 時雨くんを映す僕の目は震えている。

 だって、彼の背中に、見えてしまった。

 時雨くんと僕、二人をすっぽり包んでしまう大きさのそれはぐんっと伸びた影のようで。

 でも影じゃない。

 僕は、目が、合っている。


「やっぱり見える人なんだね」


 真っ黒な輪郭の上部、まつ毛のない大きな目玉の中に自分の姿を見た。

 こんなにハッキリとこの存在を目視したのは初めてだった。

 二つの目と口。顔だと分かる。

 だけどそれらのサイズは人間とは、僕の知る生物とはあまりに違い過ぎだ。


「五十嵐くん、邪魔はしないでね」

「待っ……何するつも……」

「とりあえず四肢を取ろうかなって。殴る蹴るしか使い道ないんだし」


 この人らへ怒りはある。

 時雨くんを傷つけた奴らだ。許せるわけがない。

 だけど感情とか理屈とかそんなもの飛び越えて、この場から離れなきゃと思う。


 でもどうやって……――


 その時、僕の緊張を和らげるのほほんとした声がした。


「何やってんのーキミらー」

「万里さ……!」

「あ、祓っちゃった。雑魚の分際で俺の目に映るから」


 振り返ると万里さんの両腕に二人がもたれかかっていた。

 ぽかんとしてる間に二人を木の根元に座らせて、いつもと変わらない足取りでこちらへ来る。


「あん時より育ってんね」

「え?」

「紅葉が柴犬? 祓った時。微かに別のが残っててさ、気になってたんだよねー」

「……東雲はそんなこと」

「アレは一個のもんしか見えなくなるからね~」


 あの時、僕は東雲から時雨くんを庇おうとした。

 でも今は違う。

 頭の中で東雲が言う。人が人ならざるものになるのを阻止したいと。僕もそう思う、強く思う。


 人を怪異なんかに染まらせたくない。


「時雨くんだね? 意識ちゃんとしてんね。ソイツのことも認識してんだ?」

「……あなたのこと嫌みたいです」

「へぇ、意思の疎通まで出来ると。すごいねー」


 万里さんが時雨くんへ視線を落とすと、俯きかけていた顔が突然、ガバッとあがった。


「! ……ぅ、うぐぇ……っ」

「しぐ……!」


 先の尖った指が時雨くんの首を掴んでいた。

 長い指は首を一周しても余裕があって、ピンと伸ばした指先をゆらゆらと遊ばせる。


「ふうん、人質? 知恵つけちゃってまぁ」


 思わず万里さんの腕を掴む。

 お願い早く祓って。そんな短い懇願は声にならなかった。


「お前に裏切られたらせっかくのご飯に不純物混じっちゃうよー。いいの? お前らときたら食べることしか能がねぇのに」

「グアアアアアアアアアアアッ!」


 言葉が理解できるのか輪郭を引き裂かんばかりに開いた口が叫び声をあげた。

 すぐそばを飛行機が低空飛行したみたいに、振動がビリビリと地面から頭の先まで駆け抜ける。


 首への圧迫がゆっくり強くなっていた。

 時雨くんの顔が歪む。


 このままじゃ、このままじゃ時雨くんが……。


「時雨くん!」


 背中に両手を回して抱きしめると「ギャギャギャ」と甲高い音が響く。笑っているんだと思った。

 時雨くんの頭を肩で支えながら背中に広がる闇を手で掃う。上下左右、ぶんぶん振り回しても、それはただ空気をかき混ぜるだけだった。


「離れてよ! この、このっ……」

「いがらしくん……」


 なんでだよ。見えてるのに触れられない。

 時雨くんに絡まってるこの指を、どうして僕は解けないんだ。


「な、なんで、こんなおっき……なんでこんなになるまで」

「いが、ら……くん?」

「ごめん、ごめんね……あの時なんで……ごめ、時雨くん……」


 ボタボタと大きな粒が零れ落ちる。

 喉の奥が締め付けられて声がうまく出せない。


「時雨くん、ソイツのこと可愛がってんのかもしんないけど祓わせてもらうよ。お別れしな」

「……っ、い、やだ……!」


 万里さんの言葉に時雨くんは僕の肩をドンッと突き放した。

 膝に手をつきながらゆらりと森へ入っていく。


「時雨くん! 待って!」


 追いかけようとした足が止まる。

 一歩前に出た万里さんの手が真っ白な光に包まれていたから。

 バチバチと焚火のような音がする。


「万里さん……?」

「櫂、お前の役目は」

「え……、ぼ、僕は何もできな」

「役目は」


 抑揚のない声に僕は背を伸ばした。

 残っていた涙を腕でゴシゴシと拭う。


「……時雨くんを。器になってしまった人を保護、する」

「いいねぇ」


 万里さんは歯を覗かせて笑うと、人差し指と中指を突き立てた。

 光が細長く、一本の線へ形を変える。


「呪縛」


 低い声と共に稲光みたいなそれが森の中へ走ると時雨くんの体が止まった。



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