第七話:終了
ぶわっと風が吹いた。
ここに在るものを知らなければただの強めの風。だけどこれは自然発生なものじゃない。
僕らの頭上で旋回を始めた球体のせいだ。
「空中戦、苦手なのよね」
「そりゃまぁ、僕ら人間は飛べないもの」
「万ちゃんならあんなの簡単に縛るんだろうな」
「縛る……!?」
「あぁでも万ちゃんはあんなの引きずりおろすか」
「どういうこと……。相手浮いてるんですが」
親指で上唇を弾いていた東雲は「櫂」と僕へ目の端を向けた。
「その友達、担げる?」
「え? 今?」
「そう」
言われるがまま時雨くんの体に触れる。
完全に脱力した人間の体はこんなにも重たいのか。腕を自分の肩に回すだけで何度も声が漏れた。
「で、でき、た」
少しでも力を緩めればズリと滑る時雨くんの体をしっかり固定させるべく腰に手を回す。
僕と東雲の背中がトンとぶつかった。
「あたしはあっちに走る」
「うん」
「アンタは入り口。その人を連れていくの」
赤い光が東雲の方から漂ってくる。
背中が、熱い。
「あそこからならここは見えないでしょ。その人が視えるとも限らないけど」
「……」
「櫂の友達だもの。怖い思いはさせたくないわ」
「東雲……」
「一発ぶつけたら合図よ、走って」
「……了解!」
東雲はもたれるように僕の背中へ負荷をかけると勢いよく走り出した。
振り返ると真ん丸になった赤い光が奴を覆って、旋回がピタと止まった。
僕にはあの怪異の表情は見えていないけど、東雲へ目を向けているように思った。
今だ……!
時雨くんの足が引きずられていることにごめんと何度も思いながら、僕は必死に入口へ向かった。
徐々に遠くなる背後でズザザッと地面を滑るような音が数回聞こえた。
*
二台の自転車が並ぶ脇に時雨くんを寝かせ、「ごめんね、待っててね」と声をかけて踵を返す。
プルプルする体を懸命に動かして、ようやくベンチまで戻ってきた。
その先に見えた赤に染まる怪異。
まるで火の玉のようなそれが今、東雲に大きく被さろうとしていた。
「しの……!」
思わずあげた声は続かなかった。
カカッと閃光が走る。あまりにも強い光は閉じた瞼を越えて眼球に刺さった。
ゆっくり、やがてそれは弱まる。
心地よい風が体を包み込んで僕は目を開けた。
「はぁっ、はぁ……」
ゆっくり近付くと東雲は地面に足を投げ出し、両手を後ろについて体全部で呼吸をしていた。
だけど僕に向けるその顔は、笑っている。
「見てた!? あたしが祓う瞬間!」
「いえ、眩しくって」
「あぁんもう! だから櫂は櫂なのよ!」
「なんだろ、すごく侮辱されてる気がする」
そうは言いながら僕の顔にも笑みがあった。
「わ、大丈夫? 口、血出てる」
「ちょっと何発かもらっただけよ」
「何発かって」
「もう少し避ける訓練すべきじゃない? 打って蹴ってばっかじゃなくガードの練習」
「……」
僕と東雲は顔を見合わせた。
言っておくけど今のダメ出しは僕じゃない。
声の方へ振り返るとベンチに大きく股を開いて座る姿があった。
「はぁい、どういう状況?」
僕が放置していたスマホをひらひらと振る万里さんはいつもの調子で言う。
でも、距離があっても分かった。
顎をあげた顔は笑っているのに笑っていないと。
「昔から企んだりできねーよなぁ。知ってる? お前って隠し事すると鼻ひくつかせんの」
「えっ!」
「いや今隠してもおせーから」
万里さんはいつも通りポケットに両手を突っ込んで僕らの前に立ち、「状況説明」と短く促す。
「はよ」
「……実、は」
*
東雲は経緯を全て話した。
全てだ。覗きもゲロった。
「ご、ごめんなさい……」
ハァと息を吐いて、万里さんは髪をかきあげる。
雲の隙間から月が覗いて、まるで彼を照らすために現れたのかと思った。
「紅葉、お前個人で動きたい?」
「……え」
万里さんはそう言うと咥えた煙草に火を点けた。
ゆらりと紫煙が漂うと東雲が立ち上がる。
「説教とかそういうのタリぃからお前決めな」
「え、決め……? え……」
「こっから先もこのチームでいく?」
「あ……当たり前よ!」
「ア?」
万里さんが僅かに目を細めただけで向けられていない僕も肩が揺れた。
「ごめんなさい。何でも屋続けたいです!」
東雲が頭を深く下げればすぐ万里さんはコロッと満面の笑顔を見せた。
「そ。じゃ紅葉、夏休み終わるまで雑用」
「え……」
「なーに、その不満げな目は」
「ごめんなさい、つい」
「櫂がやってくれてることをお前がするだけだよ。掃除、買い出し、来客対応」
「ど、どうしよう……。とても、とても嫌だわ」
そんな力を込めて本気で嫌がらなくても。
僕が普段してる仕事を何だと思っているんだ。
「櫂、巻き込んで悪かったな」
「ごめんね、櫂……」
「あーあーもー、お前ら傷だらけじゃねぇか」
「……意外と育ってたの」
「万里さん、あのね僕も見えたんだ。大きかった。ドォンて」
「相変わらず小学生みたいな感想だね、お前は」
「ねっ東雲! 柴くらいだよね?」
「また随分可愛い怪異だったのな、小さいじゃん」
「待ってよ万里さん。想像してみて。柴犬が自分の上に被さってきたら、大きいでしょ?」
三人空を見上げ目を閉じた。そっ。
「……可愛いな」
「可愛いわ」
「可愛いですよね」
後日、怪異の器となった男性は人間の体をバラバラにしたい願望があったことが分かった。
部屋には切断された人形と、暴力を受け弱っている母親がいた。
怪異を祓われ放心状態のまま男性は逮捕となった。
動物虐待のニュースは見なくなっていた。
幸い、この町で被害は起きていない。
東雲は雑用をこなし僕は万里さんに格闘技を教わったりしている。
男性を殴ってしまった時、無我夢中だから出来たことなのかと思っていたけれど、どうやら東雲の訓練に付き合ううちに僕も学んでいたようだった。
夏休みが過ぎていく。
ただその日々に、時雨くんはいなかった。
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