第三話:夏休み


 ***



「えー……というわけでね皆さん、明日から夏休みが始まりますが、えー気を引き締めて、えー、本校の生徒としての自覚をですね、えー」


 体育館の壇上で校長はまだ喋る。もう意識が限界だよ。何回えー言うんだろう。


 さて、明日から夏休みです。

 だから体育館に閉じ込められていようが話が長かろうが生徒の空気はどこか浮かれている。

 あの東雲だって朝からウキウキしてたもの。思う存分訓練が出来るって。いやぁ、東雲らしいね。


 東雲は普段から訓練を怠らない。格闘技関連の教室に通ったり、ふらっと走りに出たり、とにかく自分を鍛えている。

 何でも屋事務所にあるサンドバッグ支える係をやることがあるんだけどね、拳も蹴りも強いの。

 おかげで僕も足腰鍛えられて、踏ん張る力がついてきたと思う。

 それ以外にもたまにお寺とか行くらしい。心の方も怠らない。いやはや。


 怪異相手にそこまで体を鍛える必要があるのか聞いたら「アンタ現場で何見てんの」と冷ややかに言われたっけ。

 何って、何も見えてませんけど。キミや万里さんが動いているだけですけど。

 そりゃ現場同行してんだから五感を集中させて何かしらを感じようとしてはいる。でも悲しいかな、僕は平々凡々なんだ。


 全く必要ないとは思っていない。

 ちゃんと分かってる。

 なんせ僕が唯一目撃した怪異が祓われた時はまさに肉弾戦だったから。


 初めて化け物を見て、そして初めて万里さんと出会った日。

 ……あの光景はきっと一生忘れられないな。

 忘れたくても無理だろうな。

 事象を理解出来ず恐怖に脳と体を支配された僕は腰を抜かすという初体験もした。


 真っ黒なのに赤みを感じる不思議な色をした塊は、球体ではあったけど針のように細くて長い手足が複数ついていた。

 いや、もしかしたらあれ全部足だったのかも。

 その足は人間の腹部の辺りに纏わりついて、球体のサイズは人間を半分以上覆うものだった。


 万里さんは平然と軽い足取りでそいつに向かって行ったんだ。

 何なら笑っていたような気もする。

 ダブルで怖いよね……。



「この後どーする?」

「あそこのクーポンあるよ」


 脳内であの時の記憶を再生していると辺りが騒がしくなってハッとした。

 いつの間にか式は終わり、壇上を見ているのは僕だけだった。

 熱心な生徒だと校長に認識されたらどうしよう。嫌すぎる。


「海の計画どうなった?」

「水着買わなきゃ~」


 ぞろぞろと体育館を後にする生徒に続いて足を動かす。

 そこかしこから聞こえる声はどれも弾んでいた。


「最近ちょっと気持ち悪いよね」

「分かる。せっかくの夏休みなのに、ちょっとね」


 気持ち悪い話をしているらしいこちらの女子たちの声もやっぱりどこか楽しげだ。

 これが夏休みの力である。


「決めた、私絶対告白する」

「えっ、まじで! 頑張って!」

「ダメだったら慰めてね……」

「大丈夫だって!」


 こちらは僕には全く無縁の話だけど、こういう話を聞くといつも思うことがある。

 この「大丈夫」とか「イケるって」みたいな応援は、本心なのかな。


「休みとか関係なく集まるぜ~」

「とりあえず今日はゲームでもしますかっ」


 外に出ると痛いくらいの日差しに照らされる。

 あぁ視界が白い。快晴だ。


 夏休みの予定なんて何でも屋くらいしかない僕だけど、周りに感化されたのかな。胸がとくとく高鳴っている。

 ワクワクしてきた。



 **



 ワクワクしてきた。

 と思ったのはなんだったのか。


 夏休みも数日が過ぎたけど僕は毎日ダラダラしている。

 だって何でも屋の招集ないんだもの。

 どうやら暇みたいで、万里さんは毎日ギャンブル出来て喜んでいるし東雲はどこぞのお寺に泊りで行っている。


 そんな僕は母から掃除機で吸われたり埃取りのもふもふで攻撃をされていたのだけど、ついに「昼間っからゴロゴロしてないで外行け!」と追い出されてしまったよ。


 外に出たからといってアクティブな活動なんて出来ない僕が向かうは近所のコンビニ。

 漫画雑誌をパラパラ捲ったり外の眩しさにため息吐いたりしても大して時間は経っていない。


「おっ、ラスト一個だ」


 外出るか、とアイスケースの前で足を止める。

 目に入ったモナカに挟まれたチョコのアイスに手を伸ばした。


「あ」

「え」


 が、僕の手にもう一つ手が重なる。

 パッと横を見れば同じ年頃と思われる男子が同様に僕を見ていた。

 長めの前髪で目がハッキリしないけど、多分僕と同じで戸惑っている。


「あっ、もしかして、これ……」

「え、あっ、はい……。あ、でも大丈夫ですっ」

「……」

「……」


 先にアイスに触れたのは僕だった。

 だからか、遠慮しますと言ってくれているのだと思う。


 本屋さんで同じ本に手が伸びて振り返ったらそこには可愛い女の子――なんてのはフィクションだ。

 だけどこんな、ラスト一個のアイスを同時に欲するというのもまた、なかなかにレア体験で。


 なんだろう。きっと僕は嬉しかったんだと思う。テンションがあがったんだと思う。


 せっかくの夏休みなのに何もない日々がちょっと嫌だったのかもしれない。

 だって普段の僕なら絶対こんなこと言わない。

 知らない人なのだ。なんなら僕の方が遠慮してさっさと去ると思う。


「良かったら半分こします?」


 手にしたそれを顔の位置まであげて言えば、ちょっと驚いたのか口を開けたまま数秒置いて「じゃあお願いします」と、少し笑った。




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