第二話:力のある者たち


「はいっ、これにて解散!」


 外に出ると空はオレンジ色に染まっていた。

 アパートの駐車場に着くと万里さんはパンッと手の平を叩いて、東雲は「バイバイ」と進んでいく。


 ローファーのアスファルトを蹴る音が次第に遠くなって、僕はくるりと万里さんへ振り返る。

 首を僅かに右へ倒して、ふわふわと風に揺れる柔らかそうな髪の奥で垂れた目が僕に向けられた。


「あの、僕、結局何の役にもたてなくて、その、すみませんでした」

「あはは、んなん分かってるよ」

「え」

「だって櫂、何が出来るの」

「……」


 パンツのポケットに両手を突っ込み体を曲げて笑う万里さんにぽかん。

 からのイラッは早かった。


「ちょ、ちょっと待ってくださいよ。それは、それはないと思うね!」

「えぇ~?」

「今日突然、『めちゃんこ小さくて弱いやつだから櫂でもダイジョーブ。よろしこ』ってメッセージ送ってきた人の台詞じゃない!」


 某ケーキ屋のマスコットみたいにベロ出した猫だかなんだかのスタンプと共にさぁ!


「ぎゃははっ、ごめんごめん。怒んないでー」

「……万里さん、まさかですけど。スロット行きたかったから僕に行けって言ったんじゃ」

「まさかァ」

「……」

「もう既に打ってたもん、俺」

「万里さん!」


 この人は容姿もスタイルも能力も抜群だ。

 だけどそれ以外がちょっとほんと、良くない! いや、ほんっとに良くないね!

 適当だし怠惰だし口悪いし何でもズケズケ言うし、そりゃ彼女がいないのも納得だよ。

 最後のは怖いから絶対に言わないけど。


「で。どーだった。実践デビューは」

「……正直、実感ないです。部屋の空気は嫌な感じだったけど、あの人からは何も」

「まぁねぇ。お前に向いてないもんね」

「僕がいる意味はほんっとうになかったですよ」

「小さかったしねぇ」

「僕にはそれすら分かりませんでした」

「そりゃそーだ」

「ただでさえ何も出来ないのに、東雲の集中を削いだだけだったんじゃないかと、思います」

「ほぉん」


 ここに来るまでにも東雲に散々言ったよ。僕なんかが行って力になれることあるのかって。

 でも東雲は「万ちゃんがそうしろって言うならそれが正しい」だって。


 でも結果。やっぱり僕は何も出来なかった。

 それどころか邪魔になっていた。


「何も出来ない、ねぇ。じゃあそんなお前が今すべきことは」

「え?」

「紅葉、送ってやってよ。アレ女の子よ?」

「あ、いやぁそれは万里さんの方がいいんじゃ」


 今しがた話していたでしょうに。

 僕は自分が何も出来なかったことで東雲に迷惑をかけたと自覚している。

 なのにそんな奴が送る?

 何もしてないのに返り討ちにあうよ、僕。


「役立たずプラス馬鹿なの、お前」

「……し、つれいな」

「普通に見えるものも見えないのかっつってんの」

「え?」

「アイツが今近くにいてほしくないのは俺だよ」



 *



「東雲!」

「……」

「ま、待ってよ……!」


 万里さんの言葉の意味が分からないまま駅へ続く住宅街を走って、ようやく東雲の隣に並ぶとその横顔はいつもと違った。

 どんな時でも前を向いて歩いているのに、目線が地面に落ちている。

 思わず覗き込めば唇をぎゅっと噛んでいた。


「……東雲? え、な、泣いてる……?」

「まだ泣いてない」


 まだって。え、何で。


「東雲、どうしたの……」

「う……。うううっ、悔しい!」

「へ」


 歩を止めた東雲はダンダンとその場で足踏みをすると、手の平で目頭を一瞬抑えてキッと前方を見つめる。


「何であたし気付けなかったのよ!」


 カンカンカン、と遮断機の下りる音がしたのは叫びの後。東雲の大きくて、けれど少し震えた声は万里さんまで届いたんじゃないだろうか。


 電車の通過する音が微かにして、辺りはしんと静まった。

 前方から空へ少し顔をあげた東雲の目は潤んで見えて、僕はちょっとだけ戸惑う。

 だって、


「……そんなに悔しがらなくても、さ。ちゃんと退治は出来たわけだし」


 あの人の悪意は祓ったんだ。

 だからそんな、完全に逃がしてしまったかのように嘆くことはないのでは……。


 僕の言葉に東雲の目がちらりと動く。

 空から僕へ。

 その目は潤んではいたけど、明らかに不愉快を訴えていた。なんでよ。


「意味わかんないこと言わないでくれる?」

「へっ」

「事件解決と自分の不甲斐なさはどこにも繋がってないじゃない」

「不甲斐なさ、て」


 大袈裟な。との言葉は喉の奥に閉じ込めた。

 東雲の奥に広がる空が動く。燃えるようなオレンジ色は瞑色に侵食され始め、夜が訪れようとしていた。


「あたしね、小さい頃から化け物がうろちょろしてる世界が怖くて仕方なかったの」

「……それは、そうだよね」

「だけど大体の人間はそれを把握してない。もう自分がおかしいんだと悲しくて絶望してたわ」


 東雲の感情は僕にとって現実味がない。

 だけど僕は……以前、一度だけ怪異をこの目で見ている。

 声も聞いている。


 ぎゃぎゃぎゃと車のブレーキのような音に甲高い鳥のような鳴き声が混ざったようなものが、耳ではなく直接脳に入って来た。

 頭を抱えたよ。うるさいなんてレベルじゃなかったもの。


 だけど周りは普通に動いていたんだよね。

 あの時の不安と恐怖は分かる。


 だけど僕のあの一瞬の出来事と東雲の苦しみはあまりに違い過ぎる。

 当然ながら何も口に出来なかった。


「でもこの力が誰かを救えると知った時、あたしは自分の存在に価値があるんだと思った。許されたような気さえしたのよ」


 自分の存在に価値が……。

 肩にかけた鞄の紐を強く握る、この気持ちはなんだ。羨望?


「だから自分に誓ったの。この力から逃げない、存分に使ってやるって」

「……」

「なのにこのありさまよ。もう自分にムカついて仕方ないったら」


 そう言うと東雲は歩き出した。

 つられて足を動かす僕の顔には自嘲じみた笑顔があった。


「……すごいね、東雲」

「ハ? 何が」

「いや、……うん、なんか、かっこいいなって」

「何言ってんの? あたし今さいっこうにダサいんだけど?」


 東雲の声はもう震えていない。

 闇を連れてきた空のせいで顔をハッキリと見えなくなったけど、多分いつもの東雲に戻っている。


「櫂、聞いてくれてありがとう。なんかすっごくスッキリした」

「……うん、なら良かったよ」

「ここに来たのが櫂だけで良かった。万ちゃんがいたらこの悶々を家に持ち帰ってたもの、そんなの御免だわ」


 僕はそっと後ろを振り返った。

 勿論そこに彼はいないけれど、怠そうに背を曲げて両手をポケットに突っ込んでいる姿は簡単に脳に浮かぶ。


 かっこよすぎるだろ、二人。そう改めて思った。



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