第一話:何でも屋
七月某日、とあるアパートの一室。
部屋の住人がベッドに横たわる傍らで、
「
「どこも何も、見えてないもの!」
「ああああもおおおおおお! 逃げちゃったじゃん! バカ櫂! バカイ!」
「アッ! 一番嫌な呼び方したな!」
僕、
こんなに騒いでいても住人の目が覚めることはない。何も知らない人が目撃したら通報しちゃうかもしれないね。
だけど違うよ。この人はちゃんと生きているし怪我もない。ちょっと気を失ってるだけ……ん? 失わせて、が正しいのかな。
……あの、無事だよちゃんと!
僕らは事件を起こしたのではなく解決しにきているのだから。
僕らは『何でも屋』なるものの人間だ。お客様のお困りごとを解決するのが仕事だね。
男性の母親から「息子の悪さを止めてくれ」との依頼を受けてやってきた。
といっても説得をしにきたんじゃない。
悪さをする原因を退治しにきたのだ。
「東雲さぁ、僕への指示がアバウト過ぎるよ。もっとこう、サイズ感とか方向とか具体的に」
「言ったし。小さい奴って。こんくらいって。方向もちゃんとそっちって言ったし」
先ほど倒してしまった空き缶をキッチンに持っていきながら抗議する。
結論から言うと僕らは失敗した。
僕のせいだ。だけどもコイツだってその責任の一端はあると思う。
だって東雲ときたら、「あたしこっちからこっちに追い込むから!」「そっち行ったよ!」ってな感じの指示を出すんだもの。
そんなんで目に見えないものを捕らえるなんて無理ゲーにも程がある。
「見えてないの分かってるでしょ」
「でもアンタ、ちょっと空気違う的なん分かるじゃん。風が吹く感じとか分かってきてんじゃん」
「走り回ってるのを捕まえるのは無理だよ!」
「無理なことあるか! 意識の問題よ、ちゃんと集中してれば向かって来るのも横を抜けるのも感じられた!」
「……もう一回やろ。他所にはいかないんだしそのうち出てくる」
僕の言葉に大きなため息を吐いて東雲はその場にしゃがむと叫んだ。
「なんで
そんなのこっちの台詞だ。
人間には悪が潜んでいる。
例えば車も人も全くいない横断歩道、赤信号をずっと待つ? それともちゃちゃっと走っちゃう?
中身が結構入った財布を拾った。一瞬よからぬことが過ること、ない?
悪といっても本当に様々で、笑っちゃえるものから大きな罪になるようなものまである。
それは子供から大人まで皆に等しく生まれる。
でもそこにベクトルが向かなければ問題はない。
向いてしまったら――人の中に生まれた悪を栄養に成長する奴らのお食事タイムだ。
基本的に人間には見えない、怪異。
奴らは悪意が大好きなのだ。
悪意を自覚して事に接する。その時の人間はまるでとり憑かれたかのように熱心だと思わない?
これ比喩ではなかったんだね。
さて。もうお気付きだとは思うけど。
東雲は奴らを見ることが出来てなおかつそれを祓う力を持っている。
こちらもお気付きだろうけど僕はその存在を目視すらできません。
なんとなくいやぁな空気が分かるくらいだ。
でもこれって僕に特化した能力なんかじゃない。嫌な感じの目線とかさ、分かる人は分かるよね。
「そもそも最初から無茶なんだよ……。突然実践だなんてさ」
「何ぶつぶつ言ってんのよ、ぶっ飛ばすわよ」
「……」
肩甲骨下まである黒髪をかきあげながら東雲はスッと立ち上がった。
飛ばされる? と身構えた僕に「何やってんの」と大きく真ん丸な目が呆れたものになる。
「あー、明日学校行きたくなーい」
「何で?」
「こんな簡単な案件失敗しちゃって。授業受ける気になれない」
「……すいません。あの、ノートちゃんと取るんでコピーする?」
僕らはクラスメイトでもある。その事実は東雲にとってうんざりなものだ。
一六〇の身長を半分に前屈、屈伸すると長い手足をプラプラさせながら東雲はため息を吐いた。
ああ、これは相当苛立っている。
早く事態をどうにかしないと。
ちょっと怪異さぁん。
そろそろ出てきてもいい頃では?
緊張せずに頑張るから。だからそろそろ――
半ば縋るような思いで天井を仰いだ時、ガチャと玄関のドアノブが動いた。
「やってるぅ?」
「万ちゃん! 遅いよ!」
「いやァ、今日はバカ勝ちしましてぇ。変な数字出たからやめたけど」
顔を見せた人物に僕は心底ホッとした。
あぁようやくおでましだ。
何でも屋社長、
透き通るように白い肌に目尻が少し垂れた二重。スッと通った鼻筋は高さもあり、正面から見ても横から見ても整っている。
何度見ても「かっこよ」と思ってしまう。
しかも身長だって一八〇ちょいあるんだ。僕とは十センチ以上も違う。
服着てるとひょろっとして見えるのに脱いだら筋肉バッキバキの彼は、まじで二次元から飛び出してきたんじゃないのかな。
肘まである袖丈の長い黒のTシャツ、僕も似たようなのを持っているけどあぁは決まらないよ。
「うわっ、酒くさっ! 万ちゃん、また飲んでた!?」
「いや~常連のおっちゃんクソほど負けててさぁ、可哀想だから奢ってやったわ」
「うう……煙草くさいです……」
「なァに? 次から次へとうっせぇな、文句あんならシュッシュしろ」
ふわふわと癖のある黒髪をかきあげた万里さんは黒のパンツのポケットに両手を突っ込んで怠そうに扉にもたれると部屋を一瞥した。
「で、どーよ。ちゃんとお仕事した?」
「無理! 櫂と二人なんて、一人より大変!」
「す、すみません、万里さん……」
「ふうん。紅葉、お前本当に一人ならできたの」
「え」
玄関の真横にあるキッチンに腕を伸ばすと万里さんは人差し指を突き立てた。
あれはさっき僕が置いた空き缶……。
「!」
突き立てた指がスッと上下になぞられた瞬間、空気が変わった。閉め切っていた部屋に風を取り込んだみたいに、それはもう明らかな変化。
そういえばここに入った瞬間は少し喉の奥が苦しかったと、呼吸がしやすくなって思い出した。
「ここに隠れてたの視えなかったの」
「う、うそ……。気付かな……」
万里さんがこの部屋に入ってきたのは今だよ。
なのにもう、解決?
そんなバカな。そんなのって。
「櫂、アンタがあっちに持ってったりするから!」
「どこだろうと気配はあったでしょー」
「……ご、ごめんなさい」
「俺にじゃなーい」
「か、櫂……、ごめん、ね」
「え、あ、う、うん」
万里さんは容姿やスタイルがいいだけではない。
怪異を退治するこの界隈で知らぬ者がいない、実力とセンスを持つ人である。
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