第409話 臨界39(パルマサイド)

「答えることが出来る範囲であるのならば」


 前置きをしてガネーシャは答える意志があることを示す。何を訪ねてくるのかは、凡そ予想が出来ている。


「アンタは、俺の体に何が起きていたのか…知っていたのか?」


。ですが、これは知らない方が良いことです。自分が自分でなくなるというのは、言いようのない恐怖です」


 剣を握る手に無意識に力が籠る。自分を捨てる、自分をなくす。それはガネーシャにとって同義で、認めがたい話だ。騎士として戦場に出してもらうことが叶わないという屈辱にあっても捨てることが出来なかった誇りだ。


「本当に、甘いな。死んだも同然だぜ?こっちは…」


「騎士として死者に鞭打つ行為は是とは出来ません。それ以前に好敵手には最善の礼を尽くす。それが私の在り方です」


「好敵手、か。そんな風に言われたのは初めてだぜ」


 しっかりと、強い口調で返したガネーシャの言葉に心の底からパルマは驚いた。だが、不思議と悪い心地はしなかった。


「生きてりゃ不思議なこともある。まあ、この話は全部終わったら…聞かせてもらうぜ」


 瞳が光を失う。同時に炭化していた体は限界を迎え、文字通りに粉々になった。粉末状になった『好敵手』が最後に求めた問いに答えられなかったことが心苦しかった。


「約束です。酒でも交わしながら、この戦いを、貴方という人を聞かせてください。『アレッサンドロ・デ・パルマ』。私は、生涯忘れなどしませんよ」


 もう遺骸すらない粉を一悪握るとガネーシャは体力が底をついているサードニクスを肩に担ぐ。その揺れで気を失っていたサードニクスがゆっくりと瞼を開けた。


「止めを譲ってやったってのに、美味しいところばっかり持って来やがって」


「面目ありません」


 死にはしないにしてもボロボロの体で悪態を吐く姿にガネーシャは苦笑し、すぐに面持ちを真剣なものに戻す。揺れがまた強くなっているのだ。


「油を売っている暇ではありませんでしたね」


「いや、この体じゃ売っていなくても脱出は難しいだろうな」


「つまり、飛び降りるしかないということですね」


 熱によってドロドロに溶けた壁に手を付けながら前へ進むとガネーシャとサードニクスは窓ガラスに近づく。蹴破ると穴から冬の冷たい空気が流れ込んでくる。下を見ると小さな明かりがぽつぽつと見えた。上を見上げると屋上までの距離はガネーシャが足を付けている場所と大して距離は離れていない。


「バンジージャンプの経験はあるか?」


「穴倉に閉じこもっていた私にそんな経験はありません」


「だろうな」


 返した直後にサードニクスは咳き込む。何を言うこともなく自らが吐き出した掌を汚す血を見ている顔がどのような状態に置かれているかを雄弁に物語っていた。


「お前だけが行け」


「それは出来ない相談です」


 サードニクスの頼みににべもなくガネーシャは1秒の時間も挟まずに拒絶する。


「アンタなら、そういうと思ったぜ」


 サードニクスが言わんとしていることは、ガネーシャにも分かっている。この状態のサードニクスでは30階近いここから飛び降りてはもう戦闘は出来ないということだ。


「私が抱えて降りましょう」


 大人の体を抱えて高さ30階を飛び降りるとなると1人であっても厳しいのが現実だ。ましてや、サードニクスは重傷だ。着地しても戦闘の継続は不可能だろう。


「アンタは、俺が殺されそうになったら助ける。だから…」


 踏みしめていた感覚が何もかも無くなった。次に目に入った光景は、満足気なサードニクスの顔だ。吹き荒れていた冷たい空気が飛び込んできたガネーシャを歓迎した。


                  ♥


 ガネーシャの体は小さくなっていく。驚きと非難を綯交ぜにした顔がサードニクスの胸に突き刺さったが自分がしたことに間違いはないという万感の思いが満ちていた。見届けると気が抜けたのか急に足に力が入らなくなった。


「ち、もうちょっとぐらい保ってくれよ」


 ドンドンと叩いても一向に歩けるほどに回復はしなかった。どれほど叩いていたか覚えていないほどに叩くとサードニクスは諦め、這ったままの姿勢で壁際まで近づいた。


「やれやれだ…」


 壁に背を預けると苦しかった呼吸が楽になった。酷く濁った空気というのが残念だった。


「にしても、痛てぇな」


 焼かれて壊れた皮膚は早々に修復する気配はない。付いて行くと宣言した矢先で足手まといになっていただろうことは予想通りだった。それが自分の無力さを思い知るだけにしかならない。これでは、万全な状態であっても勝ち越せるかどうかは怪しかっただろう。


「結局、至れないか」


 揺れは酷くなっていく。死神の管理下にある城がいよいよ目の前に迫っているようであの日の彼らの心がミリ単位ではあっても理解できる。


「でも、アンタに会えるかもしれないってのは…ちょっと楽しみだ」


 目を閉じると小紫こむらさき九竜くりゅうと相対したあの日の光景が思い浮かぶ。


 白い床に白い壁、圧倒的な力を持っていたはずの自分と相対してなお下がろうとしなかった2人。


「近づけたか?俺は…」


 倒れた床はかつて理想とした戦場の冷たさかと思うと少し寂しかった。

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