第405話 臨界34(橙木サイド)

 未だ戦意が折れていない目に未だ相対している九竜くりゅう、真理は戦慄しながらも近づいていく。警戒はより強くなる。これまでのことを思い浮かべるに最後の最後まで喉笛に食らいつくことを諦めないことをよく知っている。


「最後に言い残すことはあるか?」


 鞘から抜き放った刃をエウリッピの頭上に突き付ける。死にかけている相手と相対しているはずなのに勝った感覚も、生きた感覚もしない。


「ないわ…。なにも」


 淑女の面を脱ぎ捨てたエウリッピは頭を上げようとしない。


「そっちこそ、言いたいことは?」


 逆にエウリッピは九竜くりゅうに問いかける。解かれて顔を隠す赤い髪はヴェールのようで神秘さとは程遠いにもかかわらず幽かに見える。


「私は、何で負けた?」


 普段の自信に満ちたあの態度は微塵も無くなって聞こえるか細い声はまるで別人だ。下手に負けた要因を教えてリベンジされるなんて御免被りたいから九竜は茶は濁さずに最もらしい指摘をする。


「アンタは強かったよ。勝てたのは奇跡だと思ってる」


 本当は、集団で行動することが出来ずに全てが個人個人に負担が集約しているというのが事実だ。その中でも頭脳としての役割がエウリッピ・デスモニアにのみ集約してしまったことが最大の敗因だ。1人でどうにか出来るはずがないのだ。


「嬉しい言葉ね。君が好きになった誰かはきっと幸せ者だと思うわ」


 何気なく言ったはずの言葉が九竜くりゅうの胸に揺らす。平静を保っていた水面に一石を投じたときのように波打つ。


 そのとき、下がっていたエウリッピの頭が上がった。狂気に満ちた笑み、ギラギラとした瞳が未だに勝負を諦めていないのだと雄弁に教えてくれた。


「アンタ…‼まだっ‼」


 上を向くとドラゴンが急降下を始めていた。命中すれば死ぬなんてレベルでは済まない、間違いなく五体満足を維持することなど出来はしない一撃を持った肉体が月を背に迫っている。


「私は、止まるつもりはない。奇跡は必然よ。諦めないからこそ勝利という形で結実する。泥水を啜っても、何度膝を折っても、最後に拳を突き上げたやつが…勝つのよ‼」


 分かり切った指摘だ。九竜くりゅうも真理も口にこそ出さないがそこについては共感するところ。だからこそ、2人とも諦めるつもりはない。


 だから、この展開を九竜は予想していた。言動の端々から、行動の隅々から。このエウリッピ・デスモニアという最強の敵と一緒に過ごした時間は無駄ではなかった。


 距離はあと少しだ。今から回避しても間に合わない。落下してくるドラゴンは運動の速度も合わさって赤熱化していく。


「クソッたれ‼」


 真理は未だ抗うことを諦めないとデストロイを向かってくるドラゴンに弾丸を撃つ。当たったところで効果はない。弾丸は命中する前に熱の膜に遮られて消えていく。


「アンタ、自分諸共逝くつもりか?」


 乱れた髪を退けるとくつくつ嗤いながらエウリッピは宣言する。


「人事を尽くした。だから、私は負けない。それに、命を賭けたときが一番強い。何度も超えてきた地獄に比べればこの程度よ」


 ビルに接するまでに10秒ほど。それだけの時間があれば、十分だった。


「オレはアンタほど地獄を経験したことはない。でも、命を賭けている点だけは変わりない。確率は同じだ。女神が微笑むかどうか賭けてみるか?」


 ニヤリと九竜は口角を上げた。死地に身を置きすぎて神経が高まりすぎて自分らしくないセリフを口走っているのは分かっていた。状況自体は宣言した通りなのだが。


 しかし、メテオと化したドラゴンが九竜くりゅうに到達することはない。到達する前に空中で屋上の範囲外から爪弾きにされた。待ち構えていたハーツピースにぶち抜かれたのだ。容赦なく現実を突きつけられたことを理解したのかエウリッピは夢から醒めたように一気に冷却されたようでずっと目にしてきた顔に変わった。


「笑えるわ。最後の最後まで…」


 諦めの表情を形に答えるように左腕を刃で落とす。屋上の片隅に落ちた。両腕を完全に封じた。ほぼチェックメイトだ。


「懺悔はいらない。もう、聞くつもりはない」


 首元に刃を突き付けて、一気に引き抜いた。首から勢いよく噴き出た血が引き裂いた九竜も屋上も赤く汚していく。


 広がる血は赤い花弁、飛び散った血飛沫はまるで花弁。壊れるはずがない命であるはずなのにセンチメンタルになる。


 それでも、この壊れていく命を美しくしいと感じない。


「あ…あ…」


 手を失って抑えることが出来ずエウリッピの首からは血が流れ続ける。足りていない血と酸素を体に取り込もうと「はぁ…、はぁ…」と呼吸を繰り返すも傷口を塞ぐ手段がないから焼け石に水だ。


「ま、だ…。こんな…」


 か細い悲鳴。言葉として既に形を成していないのに九竜に、真理の耳にしっかりと届ける。


 慈悲の心は芽生えない。死者に鞭打つ真似が罪深いことだと理解していても血の海に落ちて沈んでいく体を容赦なく突き落とす。


「勝負ありだ。選択肢は、もうない」


 頸動脈を切り裂いたばかりの刃を再び頭上に掲げる。今度こそ、命を終わらせる一撃になるであろう一振り。今にも息絶えそうな姿と一点の光も宿っていない瞳は正しく死にかけている存在だ。


 かつての自分ならばこの光景をどのように見えるかと自問する。


 悪しきことだと咎めるか?正しいことだと是正するか?


 答えは、出ないだろう。いくら考えても、どれだけ問答しても、ここに是とされる答えはないのだ。誰が正しいなど、何が正しいのだということは神を除いて知っている者など誰も存在しない。


 唯一、是とされるならば、平和が一番で争うことなど無意味だから止めるべきという唾を吐きたくなる綺麗ごとという名の戯言だ。


 スッと鍵穴に鍵を差し込もうとするように九竜は刃を落とそうとする。だが、手は横からかかった力によって強引に止められる。


 真理の手が九竜くりゅうの手を止めていた。

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