第404話 臨界33(橙木サイド)
頭上から妙齢の女性の声音が聞こえた。何が起こってしまったのかは、先ほどの宣言からも十分に分かってしまった。
「人のこと舐めんじゃ…‼」
デストロイを抜き放とうとしたところで、鼻先にあのクラシカルな銃を突きつけられる。威力については、既に目撃している。右は真理に、左は
「舐めてほしい?油断すれば自分たちが勝つことが出来るから。だけど、そのチャンスを前回の時点で逃している。一撃で殺すというのが戦いにおける基本。私という針先程度の勝機しか見出すことが出来ない相手を唯一潰せるチャンスを見逃しているのは、とても致命傷になっている」
「そっちだって同じことが言えるんじゃないかしら?己をどれだけ知っていても敵を知らなければ勝てない。勝率が99%であるときは絶対に勝てるとは言い切れない。前回の戦いで最悪の可能性を見落としていたそっちが偉そうに捲し立てることが可能な理論だと思っているのなら自信過剰もいいところだわ」
凛と言い返した真理の言葉をエウリッピは鼻で嗤った。覗かせる犬歯は自分が、自分のミスによって窮地に立たせていることを否が応でも示してくる。味方が2人いるとはいえ命を掌で転がされているという点は変わらない。
「過ぎた自信?この場を誰が支配しているか理解していると思ったのですがね。まあ、別に構いませんよ。ここで死ぬのだから」
状況にすれば、一分が経過したのかしていないのか。長すぎる時間は、もう間もなく終わることになる。ピリオドはどんな色をしているか想像はつかない。
闇の中に紫炎が灯るはずだった。そのときは、永遠に来ない。
目に映ったのは、夜空を流星を思わせる紫色の炎が虚空を駆ける光景だ。
刹那程度の隙だ。たった1人でこの状況を好きに動かせないということを知っているはずのエウリッピ・デスモニアは致命的なミスを犯した。
「行き過ぎなんだよ。手前は‼」
突発的に動いた
「クソガキがぁ‼」
ヒステリックな金切り声が虚空を引き裂いた。カッと見開いた充血している赤い瞳が引き金を引こうとした矢先に、九竜の刀がエウリッピ・デスモニアの右腕を切り飛ばした。銃把を握り締める指は未だに戦いを続けるつもりと物語っていた。痛みに顔を歪ませても、エウリッピ・デスモニアの戦意は未だ折れることはない。
「貴様ぁ‼」
痛みでヒステリックさを上乗せした金切声を上げて残った左手を咄嗟に繰り出す。だが、一対多である戦いではない。これは、多数対多数による戦いなのだ。
「Kieeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeee‼」
空気を劈く声が頭上から近づいてくる。ハーツピースの矢を踊るように躱しながら突き出した爪先で
九竜はあと少しでエウリッピを殺せるというところだったのに悔しさに歯を軋ませた。傷口からボタボタと血が零れているにもかかわらずエウリッピはこの状況が彼女にとって最底辺ではないのだと物語っている。それが恐ろしくてたまらない。
「…くたばり損ないが。消えてなくなれェ‼」
残った左手に握られていた銃が紫色の炎が爆裂する。だが、威力はあの日に目撃した輝きからは程遠い。蠟燭の炎よりは強くあっても弱すぎた上に避けるのは難しくなかった。
九竜の予想は、当たった。あの聖女かドラゴンを操るという行為そのものが多大なエネルギーの消耗を強いる行為であるという推測は間違っていなかった。その逆を肯定するなら、避けるのが難しいこの距離なら、あの大力の一撃を撃ち放つことによって一撃で勝負を決めることが出来るはずなのだ。それをしないことが何よりの証左だ。
しかし、頼みとしているあのドラゴンもまた真理のヴァルキリーによって牽制され、満足に近づくことが出来ていない。エウリッピの唇から覗いた犬歯は軋み、見開いた緋色の瞳は血走っているのが確実に追い詰めていることを雄弁に物語っている。
「オーバーロード‼何している‼こいつらを殺せ‼ぶち殺せェ‼」
汗か涙か分からない液体を金切声と一緒に飛ばしながらエウリッピはドラゴンに命令を下す。
「Kieeeeeeeeeeeeeeeeeeeeee‼」
意味合いとしては「了解した」だろうか。ドラゴンは迫っていた角度を変え、一気に上空へと舞い上がっていく。言い換えれば、エウリッピそのものを守る盾はない。そのことを当然のように当人も理解している。銃口を床に向け、引き金を引く。
「私に近づけると、思うな‼」
炎が炸裂し、視界が遮られる。熱のカーテンが前へ進もうとする足を強引に止める。一々銃弾を補充する必要のないクラシカルな銃はまた九竜を焼き尽くそうしている。だが、状況は一時的とはいえ一対多と化している。自由の身になった真理がデストロイの照準をエウリッピに突き付ける。場所は、勿論頭で間断を挟むことなく引き金を引く。乾いた音が連続で破裂すると同時にエウリッピは身を翻す。
「貴様らぁ‼」
あと少し、あと少しで終わるのにという焦燥がエウリッピを苛む。普段は清楚に、淑女然とした面貌を激情に荒れ狂う。冷静に考えれば右腕を失っているのにこの状況であるのにここまで持ちこたえていることこそが奇跡に等しい。尤も彼女にとっては奇跡とは勝利を手に入れることではない。願いを叶えることだけが奇跡なのだ。
「私は、叶えるんだ‼」
直後に真理の放った弾丸が左手を抉った。風穴の空いた手。そんな手であるのに銃を手に取ろうとする。諦めようとしないエウリッピの態度を見逃すことなく左足にも弾丸を撃ちこむ。ガクンと体が傾き、足からも血が流れていく。今にも倒れてしまいそうな状態なのに生きていることが、何よりも動こうとすること自体が不思議だった。
目だけが、未だに光を失っていない。絶対に屈しない。終わりはしないのだと。
あと一発撃ち込めば終わるかもしれないのに最後の一撃を叩きこもうとした真理の手が止まった。
「やっと…、やっと叶う。そのために、私は…ここまで来たんだ」
左足を引きずってエウリッピは進む。だが、頼りない一歩を踏み出すや満足に歩くことなど叶うはずなく倒れた。
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