第401話 臨界30(葵サイド)

 咄嗟に身を翻そうとした葵の腹部を手加減など一切していないことが分かる拳が貫く。プロテクターなど紙切れどころかハウスダスト程度としか認識していないと思えるほどの威力で反対側まで綺麗に貫通している。


「つぅ…‼」


 自分が攻撃を受けてダメージを負っていることは、目の前にいるグラナートの色、噎せ返る酷い血の匂いで判別がつく。判別がつかないのは、最初の文句だ。問おうとしたところで先にグラナートが口を開いた。


「わたしさ、義務とかそういうのどうだっていいんだよね。だって、強ければ何をやっても許されるんだもん。好きなだけ壊していい、好きなだけ奪っていい、好きなだけ戦っていい、好きなだけ滅ぼしていい。だってそうでしょ?正義は強者が作るんだから」


 口の中に熱い鉄の味が溜まっていく。歯の間から抑えきれない血潮が漏れ出る。


「わたしたちが仕えていたころにあのゴミが言ってたじゃん?強いやつだけが何をしても許される。ルールも神も沙汰も自分次第だって。それに、わたしは裏切ったやつは絶対に許さない。昔からそうだったよね?裏切った奴はどんな理由があっても許してはならないって。大きくならないうちに絶対に、絶対に殺せって…」


 饒舌にグラナートは話を続ける。葵の腹部を刺し貫いたまま、目の前に何も存在していないかのように。


「わたしだって辛いんだよ?妹をこうしなきゃいけないって。大好きな妹のおなかを壊して引っ掻き回すなんて気持ち悪くて吐いちゃいそうだよ」


 腕が一段と深く葵の腹部にめり込む。傷口を通して伝わる痛みは一段と増していく。吹き上がる汗と強くなる一方の痛みに耐えかねて葵の体は傾き、グラナートにもたれかかる。


「ダメだよ。今更になって命乞いしても」


 悪い子を窘める母親のように今にもこと切れそうな葵の耳元で囁く。幼い頃に眠れない葵へやってくれたことを再現したような光景だった。


 歯を食いしばって葵は閉じていた唇を開く。鉄の味が未だ跋扈している口を動かすのは一苦労だ。


「その割に、楽しそうじゃない?生き生きしているよ…」


 グラナートの後ろに腕を回すと葵は華奢な体を拘束し、首筋に歯を突き立てた。何の備えもしていない柔肌は葵の牙を妨げることなく肉へと到達させる。頸動脈に至る寸前で顔を引き離された。尾を引く血が白い衣に染みを残す。


「まだ抵抗する元気あるんだ」


 葵の抵抗をものともせずグラナートはまるで他人事のようにこの行動をせせら笑う。


「もうちょっと早くやってくれると嬉しかったんだけどね。まあ、どうでもいいんだけど」


 グラナートは葵の腹を貫いている拳を引き抜くと続けて体を押し倒す。無防備に晒されている喉に改めて指を当てる。


「さっきの問いだけど、わたしは楽しいなんて思ってない」


 眉間に皺が寄って、続けて真珠のような涙が葵の顔に落ちていく。


「苦しい。本当に、苦しいよ。愛しているのに、殺すしかないなんて…」


 声音が青に濡れる。自分が知っている姉とは違う姉の姿が目の前にある。ずっと浮かべていた歪んだ笑顔が深みを増した青色に変わる。突き付けたままの右手は小刻みに震えていた。だが、それも一瞬のことで瞬く間にグラナートの顔は青から白に戻る。


「でも、大丈夫だよ。わたしは、家族には優しいからチャンスを上げる」


 爪が、首の皮をプツンと裂く。


「でも、裏切ったのは許さない。わたしのことを裏切った奴は、絶対に。だから、1回だけ」


 ギリリと軋む歯が唇を破って血が滲む。言葉に嘘偽りはないのだと確かに物語っていた。


「それが姉さんにとっての正義か?」


「正義っていうのかな?よく分からないけど、胸が痛むからかな?あのときもそうだった。ルナがエウの口車に乗せられて逃げ出したとき胸にぽっかり、大きな穴が開いた気がしたんだよ」


 左手を自分の胸に手を当てる。退ければ、その先に本来収まっているべき心臓がなく巨大な虚が広がっているのではないかと感じ入るほど瞳にあったあらゆる感情は消えていた。


「何をしても満たされなかった。壊しても、殺しても、戦っても。どんどん虚しくなるだけ。それで分かったんだよ。嗚呼、わたしにとって必要があるのは、家族なんだって。たった1人の妹なんだって」


 恍惚とした表情を浮かべ、天を仰いだ。瞳だけは葵に釘付けだったが。


 首に付けられていた指先が深くめり込む。異物が自分の体、特に首に入り込む感触は筆舌に尽くしがたいほど気持ちが悪い。


「言えばいいんだよ。わたしに許してって」


 余裕を一切崩すことなくグラナートは要求を突きつける。勿論、首元に挿しこんだ指を引き抜くつもりは毛頭ないと答え次第ではさらに突き刺そうとする。


「姉さんにとって、アタシはその虚を埋めるための道具か?」


「違うよ。わたしの『家族』だよ」


 間髪入れずに答えた。それだけで葵の胸は決まった。


「そう。分かったよ」


 答えると、葵は自由な状態にある右手を突き付けていた右手を握った。


「アタシの答えは、決まっている‼」


 グラナートの右腕を葵の右手から生まれた突起物が貫く。拘束されていたグラナートに回避など出来るはずもなく突起物に吹っ飛ばされる右手を諦めるしかなかった。


「…死にたいんだ」


 覚悟は出来ているんだろうなと怒りを滲ませた声音が葵の心胆を冷やす。吐き気が、込み上げて視界がチカチカしている。


「勝ちたいんだよ。アタシは、姉さんを超えたいだけだ」


 決然とした葵の宣言をグラナートは鼻で嗤った。荒唐無稽な話を熱く語る同級生の話をバカにする生徒のように。


「笑わせないでよ。わたしに勝つ?逆立ちでここを千周してやるって宣言した方がよっぽど許してあげちゃおうかなって思えるよ」


「そっちこそ笑わせないでくれよ。あれから500年。アタシが何もせずに今日この日まで過ごしていたと思っているのか?」


 予想していない返しを受けたことをグラナートの表情が物語っていた。周囲に誰かいたら間違いなくこの空気に当てられて失禁していたとしても不思議ないほどに2人の顔は鬼気迫っていた。


「一度も」と前置きをし、


「一度だってわたしに土を付けたことがないのに?」


 ポツリと呟いた発言は、「王」そのものだ。自らの勝利を一切疑わず、他者を自分よりも上であると信じて疑わない傲岸さ。その揺るがない自信が葵の逆鱗に触れる。


 自分の何もかもが無駄であったと否定された気分だが、表には出さない。無駄な怒りは相手に付け入る隙を与えるだけで負ける原因を増やすことにしかならない。


「土なんてこれからいくらでも付けてやる。その言葉を否定するまで」


 葵は冷たい頑として屈しない言葉にグラナートは表情を明るくする。聞きたい言葉、望んでいた言葉。受け取り方は多様であるがどれにでも当てはまりそうなほど歓喜に満ちていたことだけは間違いはない。


「じゃあ、やってみせてよ。わたしを、この最強を超えて」


 傍に牙を突き立てるのは、ドラグラング。再び主の手に握られたそれはドラゴンの舌のように刀身を揺り動かす。


「ああ」と答え、葵は自らに導器ミーセスを突き立てる。


「醒めろ。緋龍限界突破ベイバロン・オーバーロード

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