第390話 臨界19(ハーツピースサイド)

「Kieeeeeeeeeeeeeee‼」


 空気がもし紙の形をとることが出来るなら綺麗に横一文字に切り裂くことが出来ただろうほどに鋭い音だった。


「あれが本体ですか」


 泥が、殻が飛び散る。大海から飛び出る潜水艦のように勢いよく残りの体が夜空に舞い上がる。月光しか満足に光源が確保できていない状況であってもハーツピースの目には細部までよく見えている。


 削りだした原石を思わせるほど鋭利な顔にそれを強調するようなステンドグラスの色を宿した目。更に頭上に戴く角は精巧な模様も合わさって何処か気品を漂わせている。だが、それ以上に芸術作品と思わせるのは肢体と翼の造形だ。


 細い。余りにも細い。体も翼も。針金を幾多にも編み込んだとしか思えないほどの細さと線の多さにハーツピースは警戒を強める。何もないと思う方が愚かだ。特に翼を構成する翼膜は少女のモザイクで神を称えている図式に配置されているはずなのに中央にあるドラゴンを称えている図式というのは何という皮肉だろうか。


 様子を見ていると、ドラゴンの瞳がハーツピースを見据える。蛇を思わせる黒く細い瞳がギロリと動くのが分かった。


 弓を構え、攻撃を促す。攻撃方法が変わっているのか、攻撃の威力が上がっているのか確認しておきたいところだ。威力の範囲によっては待機してもらっている場所から移動してもらう必要がある。


 動かない。ハーツピースもドラゴンも。飛び出た黒い沼はグツグツと泡立ちつつ湯気を上げ、黒い液体が吹き上がると同時にハーツピースは矢を放った。狙いはドラゴンの翼だ。宵闇に溶け込んだ矢をまるで視認しているかのようにドラゴンは舞うように回避する。


「大分仕上がってますね」


 続けて2発。左右から挟み込むように見せつつ速度に差をつけている。右のほうが早い。


「Kieeeeeeeeeeeeeeee‼」


 咆哮はまるで嘲笑だった。先に着弾するはずだった矢をあっさり回避すると次点で命中するはずの矢もあっさり回避した。この距離からの攻撃は無意味だと示されるが、距離を詰めるのは躊躇われる。焼き払う範囲が広がっていたら、攻撃方法がより多彩になっている可能性を上げると足踏みする。


「そっちから状況は見えてますか?」


 ザザッとノイズが一瞬だけ走ると待ち伏せをしている真理の声が届く。


『見えているわ。今のところ動いてないから早くやってくれると助かるのだけど』


「無茶は言わないでください。アレ、下手に攻撃するなといういい見本です。そちらこそ、本体は見つかっていますか?」


『見つかっていないわ。アンドレス・ピールが示した場所を確認してみたけど姿は見えない。でも、あれだけの能力を駆使するとなれば本体のエウリッピ・デスモニアは遠くまで動くことは出来ないと思うわ。あくまでも、奴の言葉を正直に受け止める前提になるけれどね』


 通信機からは時折弱いノイズ交じりの推測が聞こえる。とはいえ、人手が足りていないというのが今だ。仮にあのドラゴンを破壊することが出来てもエウリッピ・デスモニアを仕留めるられなかった場合を考えたらどうなるかは分からない。ドラゴンに注ぎ込んだエネルギーがそのままエウリッピ・デスモニアにフィードバックされて自らの力に変えないとは限らない。或いは本体を始末しない限りは永遠に再生を続けるなどという悪夢そのものもありえない話ではないのだ。だから、揃って仕留める必要がある。


『一応、約定でエウリッピ・デスモニアも捕縛するように通達されているけど…』


「そんな必要はありません。あの女は、ここで仕留めます」


 信頼を損ねる行為というのはハーツピースにはよく分かっている。一方的に約定を破棄されたとアンドレス・ピール、日本政府が知ることになったら自分は裁かれることになる。皮肉なものだと思った。裁く側だった自分が裁かれる事態になるかもしれない運命に。


「貴女にも協力していただきます。お願いしているつもりはないので、しっかりと胸に刻んでください」


 カーボン製の矢を取り出し、本命のために動かせるように用意をする。通常の攻撃に用いるのは最初と同じ光の矢だ。


『問題ないわ。禍根を断つっていうのなら頭は確実に潰さないとね』


 通信機越しでも躊躇いと覚悟が入り混じった言葉が聞こえる。確実を是とするならばここで幾多も釘を刺しておくべきと頭で認識しているが口には出さない。もうすぐ、ドラゴンが動き出す。


「了解しました。探索はそちらでお願いします」


 通信を切ると、ハーツピースは再びドラゴンを見る。ドラゴンもまたハーツピースを見た。燃え盛る炎に月が美しい夜、戦士とドラゴン。まるで絵画だ。


「仕留めるのは、自分です。私は、私の望む世界を手に入れる。だから…」


 スーッと息を吐く。ズキズキと神経を流れていた苦痛のシグナルは途絶え、筋肉と骨に力が充填していく。指がギリリッと弦を引き絞る。


「お前たちを殺す」

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