第389話 臨界18(ハーツピースサイド)
剣を為していた鉄は溶け、形状は新たな武具に転身する。ドロドロではなくサラサラで流麗な水が動くように弓の形になる。
大きさは弓道で用いる和弓と同程度。派手さはなく、堅実さを物語るように黒みを帯びた鋼鉄色。手にすればズシリとした重さを伴ってハーツピースに攻撃をしても良いと伝える。だが、それは敵も同じ。聖女の口から溢れ出ていた青白い光がより輝きを増していく。
「時間は取らせません。そこで大人しくしておいてくださいね」
果たして通じているのかと疑問に思いながら生成した矢をつがえ、狙いを定める。標的となる場所は、指示していた右脇腹だ。さっきの攻防でどれだけダメージを与えることが出来ているのかは判別がついていない。完全に賭けだ。
弦は2本に調整。強度は銃火器の攻撃をゲリラ豪雨の如く受けてなおビクともしないことから1本では不安があると判断した結果だ。1本でも並みの吸血鬼は確実に吹き飛ぶ。
完全に固定。掴みの部分、矢からはインディゴの光が噴出される。出力は十分。問題になるのは、攻撃する瞬間。
攻撃は殆どが同時になる。或いは自分の方が一歩遅れることになる可能性は高い。威力は既に見た通り。人間を上回る強度を手に入れたとしてもあくまで生物の基準を逸脱しないのが人工吸血鬼。永久凍土の皮膚、ダイヤモンドの骨を有しているわけではない。ダイレクトに受ければ確実に死ぬ。それらの素材とてあの熱を受ければ溶けるだろうが。
聖女の口内が白みを帯び、耳障りで甲高い「キイイイン」という嫌な音が聞こえる。発射するまであと10秒も必要はないだろう。機械的といえるぐらいに行動は規則正しい。おかげで行動には余裕がある。早撃ちのガンマンよりは気楽だ。
―チャンスは、一瞬だ。
トンとハーツピースは軽く横に逸れると狙った通りに右脇腹めがけて矢を放つ。収束していたインディゴの光は大きく花開くと極光の尾を引いて聖女の右脇腹を貫いた。遅れて放たれた熱線がハーツピースの右側を熱線が過ぎ去る。右の顔と手は熱戦が迸った際に加熱した空気に当てられて火傷した。
「
皮膚は爛れ、肉がプスプスと煙を上げている。患部が外気に晒されて激痛などという表現では言い表しようのない痛みが体を走る。避けたにもかかわらずこれだけのダメージという状況は想像通りだ。
―痛いですが、まだ。
のたうち回るのはあとだとハーツピースは己を律する。悠長にしていられるほどに余裕があるわけではないのだ。屋上から半ばまで溶けて揺れが少しずつ大きくなっていく。
しかし、攻撃の成否はハーツピースの方が上だった。
右半身を吹き飛ばすほどのインパクトはハーツピースの元にまで衝撃と光を届ける。直視できず手で2つを遮った。収束したのを確認すると手を外す。次に見えたのは、歩みを止めて目の光を完全に失った聖女だ。
体がぐらりと揺れ、聖女が倒れる。仰向けに倒れてくれたおかげで異変は見やすい。
「ここからが本番ですね」
火傷の酷い左腕と顔の左半分に手早く軟膏を塗り気休めの鎮痛剤を飲む。それから、弦を2本から1本に減らし、ハーツピースは新たな矢をつがえる。下手に動くことはせずに聖女の動きを観察する。アンドレスの主張によれば、本命はこれよりだ。
抉れた右脇腹から拡がる罅がどんどん大きくなっていく。内側から覗くのはいくつもの絵具をぶち込んで幾度も、幾度も、幾度も混ぜ込んだ汚濁にまみれた色だ。迸った色は聖女の表層を飲み込んでいく。泥沼に落ちていくように聖女の形は崩れて悍ましい形相を浮かべる。まるでヒステリックな女そのもの。収めかけていた弓をいつでも射られるように構える。
飲み込んでいく汚濁の沼の表面はボコボコと泡立つ。時間にして5秒ぐらいだろうか。半ばまで沈んだ聖女の体を壊してドラゴンが頭を突き出す。
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