第363話 乱舞35(葵サイド)

 真っ直ぐにが侵攻してくる。聖女は誰も喝采を送ることのない闇の道をゆったりとした足取りで進んでくる。会議室の中央に設置された画面は正確にあの聖女の姿をしっかりと納めている。


 目にした誰もがあの怪物を目の当たりにして腰を抜かすか、言葉を失うか、頭を抱えているなど様々な表現方法で行き詰まりを表現していた。コーヒーを淹れた紙コップを半ばまで飲み干しながら、きっと頭の中では『新世界より』でも流れているのだろうと葵はどうでもいい感想を胸に抱いた。


「来たか」


 進行方向は羽狩の中央本部。最終的にここへ来るだろうと目算をつけていた場所だ。最後を飲み干すと空になったカップを捨て、席にかけていたコートを手に取った。


「行くのか?」


 金崎、銅金らが立ち上がる。慌ただしい動作がさっきまであの聖女の迫力に飲まれていたことを如実に表していた。それでいながら恐怖に屈せずなおも戦おうとする姿には敬意を覚えた。


「怖いか?」


 誰にともなく問うた。


「そりゃあ、怖いね。あんな怪物とやり合うなんて話に聞いてはいない。尤も、あんな怪物が相手だというのなら先代の誰よりも私の名が挙がるというもの。士としてはこれ以上のない大舞台だろうて‼」


 金崎の答えは思っていたよりも壮大だった。


「らしいと言えばらしい答えだな」


 と余計なことをしゃべりだす前に葵は銅金を見たが、顔面蒼白になっている顔は完全に年相応という状態だ。


「ねぇ、アレと戦うの?」


 液晶画面をプルプルと震える指で示す。


「ああ。時間はない。すぐに行動を起こす。既に部下たちは詰めているからな」


 素っ気なく返すと銅金は葵に掴みかかった。見ていた誰もが普段見せることのない銅金の弱気な態度に固まっていた中での出来事だった。


「っざっけんな‼あんなバケモン相手にどうにかできると思ってるのかよ⁉」


 涙目で容赦なく締め上げられたブラウスに皺が寄る。ボタンを引きちぎられるのは嫌だったから葵は銅金の手首を掴んだ。両者の普段見せない態度に誰もが言葉を失う。吐息すらかかりかねない距離に近づいて銅金は息を呑んだ。


「ちょっとは落ち着けよ」


 脅迫と受け取れかねない物言いについさっきまで騒ぎ立てていた銅金の勢いは完全に落ちた。ブラウスを握り締めていた手も離れた。目配せをすると金崎が銅金を椅子に座らせ、水の入った紙コップを渡した。


「ゆっくり飲め。吐かないようにね」


 要らぬ忠告と思いながらも言葉をかけた。ゴクゴクと勢いよく銅金は水を飲み干すと「ふぅ…」と小さく息を吐いた。


「…ゴメン。ちょっと怖くなっちゃった」


「気にすることじゃない。誰だって恐れるものはあるわけだからね。立てるか?」


 頭をガシガシと掻き、一際大きなため息を吐いた。


「そりゃそうだよね‼大丈夫‼もう、大丈夫‼」


 目じりに溜まっている涙を拭って葵が右手を出すと銅金は躊躇いなく取った。何度も『大丈夫』だと口にしている様子は自分に、周りに言い聞かせているように聞こえる。それが行きたくない場所へ行くことになる、この場に居る誰もを二度と戻りようのない死地へと足を向かせる。空気が落ち着くのを待って葵は軌道を戻した。


「作戦は予定通りに始める」

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