第361話 乱舞33(エウリッピサイド)

 エウリッピは宮殿に戻るや着替えることもなく足早にグラナートの部屋へと向かう。着替えるべきというのが本当のところであるがこの後に待っているものが分かっているから着替える気にはならなかった。清潔に身を整えたところで意味はない。どのみちあらゆる体液で体の隅々まで汚されるのだ。かつては姉と思っていた存在に体を開くことになるのは当初こそ嫌と思っていたのに、今は心底嫌という気分もない。


 意気揚々と歩みを進めていると当然というべきか門番に呼び止められた。煤と埃で汚れ、血の匂いをまき散らしているとなれば不審者と咎めるのは当然だ。


「お待ちください」


 役に立つのか分からない鉄製の武器で扉前を守護する一対の兵はエウリッピを止めようとして顔を見るや早々に武器を解いた。


「入りますよ」


 門番を無いもの同然に扱うと部屋に踏み入る。控えていた給仕も立ち入ってきたのがエウリッピと認識するや足を止めた。


 予想通りにグラナートは中央に設えられたベッドの上で寝息を立てている。徹頭徹尾が白で統一された部屋で眠る姿は何も知りさえしなければ妖精か何かにしか見えないだろう。知っている者からしてみれば悪魔そのものだが。


「急ぎなので、起こしていただけますか?」


 部屋の隅に控えていた給仕らはエウリッピの申し出に顔を青くした。さも喉が渇いたから紅茶を淹れてほしいと言っているのと変わりない声音でそのようなことを言われたのだから当然だろう。ただ、寝起きのグラナートを知っていればそれが意味するところは分かっているところである。


「急いでくれますか?」


 もう一度エウリッピは給仕に言う。涙目になって今にも「あう、あう」と口走りそうになっている姿は滑稽に見える。どっちにしても死ぬ可能性が高い選択肢しかないのだ。


 今にも刃を抜きかねない勢いのエウリッピの気迫に負けた給仕は顔面蒼白の状態でそろり、そろりとグラナートに近づいて弱い力で体を揺さぶった。一度で起きることはなく、起きたのは体を三度ほど揺さぶられてからだ。


 直後に破裂音が聞こえ、エウリッピの目の前で給仕の顔が消し飛んだ。眼球には給仕だったものから生み出された飛び散る肉と脂肪、眼球やら諸々のパーツが床に落ちるまで詳細に網膜に焼き付いた。その場所に居たのが自分でなくてよかったと心底思わずにいられなかった。


「うっさいな」


 ムクリと起き上がらせた。ボサボサのブロンドに半開きの翠眼に外気に晒された白磁の肌。間の抜けた顔をしていなければ芸術品の如き美しさに物足りなさを思わせる。


 グラナートは視線を走らせ、エウリッピの顔を認めると顔を輝かせる。


「あ、おはよー」


 女王とは思えないほどに間の抜けた声を上げると纏っていた白い布を飛ばして床に足をつける。床を赤々と濡らす血を無視して足跡を刻みながらエウリッピの元に歩み寄る。


「大事なところは隠しましょう」


 一糸纏わずに裸体を堂々と晒しているグラナートの身を隠そうとベッドに近づいたところで背後のグラナートが間を詰めた。嗜虐の色に染まった瞳はギラギラと輝いていて何を求めているのか分からず身構えた。


「血の匂いがする」


 顔を近づけるとグラナートはスンスンとエウリッピの腹部に顔を近づける。身長が小さいため必然的にそこまでしか顔が届くことはない。


「ええ。しますね」


 返すとグラナートはエウリッピをベッドに押し倒して背中を無理やりに露わにした。こうやって力づくで押さえつけられるのは何度目の出来事になるのかは覚えていない。


 しかし、逆らう気にはならなかった。敵わないからというよりも同じ傷を抱えていると思っていたのと自分の無力さをずっと憎んでいたから。


 本当は、心の底から愛している者が自分を抱いてくれたらと思う。


 尤もグラナートが存在していなければこんな事態になっていないという想いは確かに存在している。その拮抗が露わになってしまうのが恐ろしくて黙るしかない。それ故にエウリッピは抵抗をしない。爆発すれば自分で自分を抑えられる自信がない。柔肌に顔を近づけグラナートは鼻を動かす。


「人、殺した?」


 質問に答える暇もなくグラナートはエウリッピの肌に舌を這わせる。ざらついた感触に体を震わせた。


「何人殺した?」


 残っていたドレスを一枚ずつ破き捨てては床に落としていく。粉砕された給仕に被さった布は死者を悼んでいるように見えた。


「まだ湯浴みを済ませてないわ」


「別にいいよ。今、こうしてたい」


 血だけでなく煤と埃まみれになっていることに気づいているであろうにグラナートは無視して背部の全てを露わにする。肌を掠める吐息に組織が刺激された。


 自分でも気づかないうちに息が荒くなってシーツを握った。次は胸に伸び、グラナートの手が敏感な箇所に触れた。このまま本番に入ってしまうことは確実。エウリッピはグラナートの手を掴んだ。


「ちょっと…待って」


 手を解き、振り向くとエウリッピはシーツで露わになりかけていた胸を隠した。本番を無理やりに押さえつけられたグラナートは不満げだ。危ないなと判断してエウリッピは早くに話題を切り出す。


「明日、カルナがここに来ることになったわ」


 微睡にあったグラナートの意識は一瞬で覚醒した。


「今、何て?」


 報告の内容が理解できずにエウリッピの報告を鸚鵡返しに尋ねた。


「明日、カルナがここに来る。グラナートとの戦いを求めて」


 改めて耳にしたグラナートは告げられた言葉の意味を理解するや否や大いに声を張って笑った。遮るものがない部屋は笑い声をよく反響させる。涙の幕を張った目は瞳孔が散大してしまうのではないかと思ってしまうほどに狂気に飲まれていた。


「やっと帰ってくるんだ‼」


 ひとしきり高笑いを上げると途端にグラナートは落ち着きを取り戻す。あまりの温度差にエウリッピは恐怖を覚えるも口には出さず大人しく次の言葉を待った。


「で?わたしに何かして欲しいってわけ?」


 手を伸ばすと胸元を覆うシーツを強引に剝ぎ取ってグラナートはエウリッピを押し倒しては露わになった胸に噛り付く。まるで赤子だ。駆け巡る快感に頭が壊れそうで言うべきことと焦燥が口を動かす。


「明日のこの時間までに全員を…宮殿から出してもらえれば」


 瞬間、グラナートが歯を立てて「ん」と色っぽい声が漏れた。


「ああ、邪魔されちゃうからか」


 得心がいったとグラナートは糸を引く唾液をそのままに唇から牙を覗かせる。もっと沢山の血と戦いをと求めているようだった。


「どっちがいい?あの子1人か、沢山を相手にするか」


「ルナ、1人だけ」


 余計なことを言わせないでとグラナートはエウリッピの両手を掴む。徐々に力が込められるのは手首を粉々にされるのではないかという恐れを呼び起こすに十分だった。


「全員、追い出してね」


 仕損じれば、お前の命はないと悟るには十分だった。瞬間、今のグラナートに自分の姿は他の有象無象と変わりない存在と分からされた。


 ―もう、どうでもいいか。


「分かってるわ」


 得てしまった答えを隠しながら、それで全てが解決するならとエウリッピは心の中で締めくくり荒ぶるグラナートを受け入れた。

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