第349話 乱舞21(葵サイド)

 唐突に切り出された自分の身の上話の話題に葵はコーヒーを持つ手が止まる。僅かに表面が揺れた。こんな予想にない爆弾を投げ込んでくるとは考えもしなかった。


「初対面の奴にアタシの過去話を聞かれるとはね」


「敵の敵理論の関係だけとはいえ我々は一応の同盟です。付け入れられる隙を警戒しておいた方がいいでしょう」


「アタシのことを知ったらより利用される芽を埋め込むきっかけにしかならないじゃないとは思わない?」


「思ってはいますよ。ですが、敵を知るにはよりその敵のことを知らなければならない」


「アタシは面白いぐらいにそっちの敵らしいね」


 新しい煙草を取り出すと火をつける。一杯に煙を吸い込むと大きく紫煙を吐き出した。煙にハーツピースは嫌がる素振りは見せない。


「いつ誰が自分に牙を向くか分からない。芥子川けしかわさんの最後を知っているなら。ちゃんと勉強をしてさえいれば子どもでもわかる話です」


 昔日に仕掛けてきた離間の計のことを持ち出されて葵は閉口した。そんなことを一切気にすることなくハーツピースは話を続ける。気まずい空気になりつつあることをまるで気にすることなく淡々とした口調を維持している姿がコーヒーの苦みをより引き立たせる。嫌気がさしてくずもちに手を伸ばした。


「これ以上の失敗は出来ませんから。少なくとも自分は芥子川さんが掲げていた世界を実現させたい」


 逸らすことなくジッと見つめる目は噓を含んでいない。ずっとこの手合いの話をしてきた葵の耳目には偽りを述べているとは思えなかった。


「どうしてそこまであいつに肩入れするわけ?アタシが聞いた限りじゃ君たちはあいつに体を好き勝手いじくりまわされて便利屋として使われていたはずだけど?」


「そうですね。全員が殺しに従事していましたよ。パルマなんかは喜んで仕事に励んでいました」


 品がない、獣臭さが人の姿を借りた男の顔が思い浮かぶ。くずもちすら不味く感じて飲み下すと盛大にため息をついた。


「自分も同じですから安心してください。我々の中でもアレは目的が一致していることはついにありませんでしたから」


 そんな輩をなぜ内側に抱え込んでいるのか問いただしたくはなるが話の軸を逸らすのは得策ではないと蓋をしてハーツピースの話題に的を絞る。


「あの荒唐無稽と受け取れる目的を果たすことが君にとってメリットがあるの?」


「ありますよ。とても」


 躊躇いのない葵の切込みを受けてハーツピースは初めて表情が動いた。正確には眉間に僅かに皺が寄った。


「知りたかったら、アタシの諸々を明かせって?」


「そうしていただけると嬉しいですよ。勿論、ここでの話は他言無用。全ては自分の胸の中に納めるのでご心配なきよう」


「それをしなければ、協力しないつもり?」


「まさか、個人的な興味ですよ。そんな私情で大局を見失う愚行を侵すつもりは毛頭ありません」


「それなら、関係することを1つとして話すつもりはないよ。余計な杞憂を増やすなんて馬鹿がすることだと思うからね」


 今度は葵が守りに入った。だが、ハーツピースは怯むことなく真っ直ぐに切り込んでくる。鋭い切っ先のごとく僅かな間隙を縫った。


「部下の方々に知られるのが嫌だからですか?」


「何?」無意識に口が動いていた。それが葵にとっての琴線だと証明していた。


「嫌われるのが恐ろしいですか?」


「言ってくれるね」


 掌に収まっていたコーヒーが圧力に耐えられなくなってコップから溢れた。白いデスクの表面はカフェオレ色の液体に侵食されていく。今の今まで見せたことのない態度が隠しきれていない動揺を物語っている。


「話をするつもりはありませんか?」


「しないよ。ただ、しなければやらないというのなら…」


「そこまでガキじゃありませんよ。聞かなかったとしても自分は仕事をします。公私は分けますよ」


 ハーツピースは空になったカップをコーヒーメーカーの脇に設置してある屑入れに入れようと立ち上がる。投げても問題なく入れることが出来るにもかかわらず。何をするつもりかと葵が目で追った矢先に、ハーツピースは動いた。ここで動くとは考えていなかったからこのタイミングで仕掛けたのは少し意表を突かれる結果になった。


 緩慢だった動きはエンジンが突然点火したとしか思えない勢いで扉を破ると部屋に1人の男が投げ込まれた。机にぶつかった際に発生した強烈な音は聞いているだけでも痛むだろうことが容易に想像できる。その顔に葵は既視感があったが、すぐに思い出すことが出来ず30秒ほど経過してから正体がエウリッピと繋がっている諜報員の1人であることに至った。予想通りすぎる展開に笑いが込み上げて必死に抑え込んだ。


 見た目は40代の半ばでダークグレーのスーツが包む体は中肉中背で意外と無駄な肉は見られない。暴力の風に晒された七分丈は大いに乱れている。


 逃げようともがく男を意に介さずハーツピースはデスクに組み伏して抵抗できないようにした。締め上げている右手は回答次第でいつでもへし折れるようにしている。脂汗に濡れつつある顔はいかにも怪しいことをしていたと物語っている。


「盗聴というのは、感心しませんね」


「な、何を仰いますか?」


 乾いた枝が折れるような音が聞こえると同時に男の絶叫が部屋の四隅まで汚した。予告通りに腕をへし折られて無様な面を晒しながら顔から色々な汁を垂らしている。


「騒いでも大丈夫ですよ。この部屋は完全防音です」


 宣言を耳にするや瞬く間に男の顔からは血の気が引いていく。この調子ならすぐに吐くだろうなと悟った葵は立ち上がると新たなコップを取り出してコーヒーを注いだ。茶褐色の液体が白を覆い、浮かぶ湯気が鼻をくすぐった。そんな葵の軽い態度を見た男の顔色は死人と寸分違わない顔に変わった。最後の希望を完全に断たれたことを理解していた。


「さて、二度と歩けない体になるか、物言わぬ醜い肉塊になるか、多少なりとも自由を得て生きていくか。選べ」


 この機を逃さないことを理解しているハーツピースは選択肢のない選択肢を押し付ける。もう、答えは出ている。


「これから自分の言うことをしっかり聞いてくださいね」

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