第350話 乱舞22(青山サイド)

 移動中のリムジンの中で青山はイヤホンを耳に当てはめてノートパソコンから流れてくる音に耳を傾けている。どれだけ睡眠時間を削ることになろうとも仕事は仕事。流れる音は趣味のベートーヴェンでもゲームの実況でも何でもない。仕事の話ではあるがここまで心が躍るというのは久しぶりだった。


 双肩にのしかかる使命は果たさなければならないと青山は自らの意識に働きかけて意識を保っている。それが疲労による作用でハイになっているのか自分でも知らない趣味によるものかは理解の及ぶところにはない。ただ、イリーガルな手段を選んだ甲斐があったというだけはあって実に良いものだ。革で覆われた席は火中の栗を拾った主の判断を称えるように艶やかに光を弾いている。


「いや、全くもって掴みどころがない女だ」


 流れる音が途絶えると青山はイヤホンを外し、ペットボトルに入った炭酸水をグラスに注いだ。トクトクと溢れる液体は気泡を生み出しては消えていく。酒が飲めないときに時折飲んでいるものだ。グラスに張り付く気泡を気にすることなく青山はチビチビと口に含む。苛立ち紛れに一息に飲んで酷い目にあったことがあるからこその経験だ。


みなもと氏は何と?」


 隣に腰掛ける冠城要かぶらぎかなめが澄ました顔で訪ねてくる。


「憤懣やるかたないという感じだったね。少なくとも表向きは、ね」


 含みを持たせた物言いに冠城は深く言及することはない。そこはしっかりと理解しているということだ。


「あの女…弦巻葵には勝機が存在しているということでしょうね。どのような手段かは我々の知るところにありませんが」


 ダークネイビーのスーツから伸びる指は滑らかに動いてタブレット端末の上を踊っている。


「気にはしていない。我々にとってこの仕事は完全に門外漢だからね。荒事は彼らの生業だ。我々はその後始末をするだけ。やり方は彼らに任せるだけだ」


 目の前に答えが存在しているにもかかわらずヴェールに包まれているという状況を目の前にして気にならないという方が不思議だ。しかし、世の中には知らない方がよいことなど山ほどある。好奇心は猫を殺す。このことを忘れずに生きてきたからこそ今の自分があると青山は理解している。


 それを信頼と受け取るかは聞き取る側の解釈によるだろう。責任を押し付けるつもりと受け取る捻くれた人間ならばこの事実をきっかけに信頼関係は終わることになる。


「前回の被害を考えれば今回は街の一つを犠牲にすることも厭わないかもしれないですがそれでよろしいのですか?」


 冠城の指摘は青山の中に前回の戦場跡の光景を思い出させる。ポコポコと沸き続ける気泡をグラスを揺らして消滅させた。


「勘弁願いたいところだが、それもやむを得ないのかもね。千金を惜しんだ結果が国の終わりなんてのはブラックジョークにも程がある」


 と口走ったところで仕事の過酷さが想像を超えていたというのも間違いなく事実だった。戦闘の被害を受けた建造物の保証に情報の操作、破壊された、或いは損傷の疑いがあるインフラ設備のメンテナンス、双方の怪我人や戦死者、加えて捕虜の扱いなど捌かなければならない仕事は山積みだった。クーデターを起こした芥子川けしかわが本来為すべき仕事だったものが彼の死亡によって羽原うはらに落ちた結果だ。


 青山の元に仕事は本来流れてくることはないはずだったのだが、今後の影響力を考慮して動くことを選んだ。ゲームを詰めるのならこれが一番良い方法だと理解している。


 本音を言うなら容量超えどころの話ではなかったのだが戦後処理のことを念頭に入れた結果無理やりに自分の手で捌くことを選んだ。尤も処理のほとんどに奔走しているのは青山ではなく冠城たちであるが。


「そのブラックジョークを散々に実現してきたのが人類です。かくいう我々の先人たちも失うことを無駄に恐れてカードを切り損なって一度は国を滅ぼしている。相手が運よく慈悲を見せてくれたというだけで本来はこうはなっていない」


 冷笑と昏く燃える炎をブレンドした声が独り言のように冠城の口から落ちる。実際に目にしていないと分かっていても自分が選んだ男だけはあると思わずにいられなかった。


「そうでなくてはこうやって豪奢な籠を乗り回すことはなく、こうやって好きな時間に好きなものに舌鼓を打つこともなければ危ない橋を渡ってスリリングを味わうことさえ許されない。いや、極端な話を言えば、我々は生まれてすらいないだろう」


 返していてつくづく恐ろしい話だと感じることだ。ボタンの掛け違い、コインの裏表、サイコロの目。歴史が違って入ればこうなっていたと議論するのは結構な話だと思ってはいるが、根っこのところでは好んでいない。それが実現する世界というのは、自分が存在していない世界としか思えないからだ。


「リセット機能がないことを感謝すべきですかね?」


 皮肉を込めた返しは、青山の意気を激しく焚き付ける。


「そう。奇跡は起こらない。二度も奇跡は、起きたりしない」


 青山も戦いは望んでいない。望むことはない。それがどれだけ悲惨で癒しようのない傷を多くに刻み込むことになるかを理解しているからだ。今でも、あの日に聞いた話を忘れたことは一度もない。


「しかし、軌跡を刻むためにはそろそろしっかりと眠っておいた方がよろしいでしょう。今日で三日目です。踏み込もうとした矢先で足を掬われても不思議ではありません」


 ここ最近の平均睡眠時間は5時間を切っている。疲労を自覚していただけにこの言葉場は渡りに船だ。今日のスケジュールならば十分に睡眠をとることが可能だと青山は頭の中で結論をはじき出す。仕事は確かに存在しているが今日中に全てをこなさなければならないというわけではない。分散すれば問題なく全ての問題を片づけることが可能だ。


「その通りだな。管理が出来てこそ一流の仕事人だ。しばしの間は、人でなしどもに踊ってもらうとしよう」

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