第347話 乱舞19(姫川サイド)

 湯船に足を突っ込むと足にしっかりと温かさが浸透してきた。そのまま体全体を湯に浸すと手足を伸ばす。白く濛々と立つ湯気は見ることが叶わない世界そのもののように見えた。


 顔を上げると、水滴が付着した天井が目に入った。そのうちの一滴が耐えらずに落ちて湯船の湯と一体化する。目の端に少しの膨らみしかない胸としっかりと刻み込まれた傷跡が目に入って否が応でも自分の寿命が頭をちらつく。


 ―もう少しだけ、保ってよ。


 姫川の頭にあるのは、あとどれぐらい戦えるかということだけ。


 残っている時間については、正直なところ最早予想が出来る段階を超えていた。


 当初の予測は3年だった。だが、それは力を決定していた範囲の内で使うという前提のもとに建てられた予測だ。散々に力を使った状況を指標に測っているわけではない。大分減っていることは間違いないが正確な数字までは誰も知るところにない。琵琶坂びわさかというないものねだりをすることは無駄だ。


 胸に刻まれている傷跡をなぞっていると胸に詰まったものがちょっとずつ漏れ出て湯に溶けていくように思えた。


 理由は、無くなった。芥子川けしかわは死んだ。あの日に焦がれた願いであっても、共に夢見た理想であっても肝心の神輿は存在していないからこれ以上頑張る必要はない。縛るものはもう何も存在していない。


 手を引けない理由は、とっくに分かっている。胸の奥がギュッと締まって痛んだ。


「バカだな。ボクも」


 目を閉じると浮かぶのは、九竜くりゅうの顔だ。眉間にしわを寄せた険しい顔をしている何かに堪えているような表情をしている。


 恋じゃない。愛じゃない。それだけは確かだ。自分にはそんな感情は残っていない。あるはずがない。


 ザバッと風呂桶を抜け出すとバスタオルを手に取って余計な思考を振り払うように乱暴に頭を拭く。力に耐えられず抜けた髪が自分もこんなように死んでいくのかとネガティブな考えを呼び起こした。

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