第341話 乱舞13(橙木サイド)

 ギシギシとした空気が部屋を支配している。下手に指を突っ込めば砕き、千切れてしまうと分かるほどの圧力。会議に列席している全員が苛立っているのだから当然だ。勿論、真理もその中に含まれている。


 皆が固唾を飲んで見守っているのは源だ。パラパラと資料を捲っていた顔が上がるとより一層空気が引き締まった。眉間に寄った皺が恐ろしい。


 いっそのこと今も外で激しく強い雨が休む間もなく振り続けている。その有り余っている水気でこの濁り切った空気を洗い流してほしいと思ってしまうぐらいには空気が重い。


「それでは何も掴めていないと?」


 向き合う源は余計な感情を排した顔で最初に告げた。本当のところは怒鳴り散らしたいというのが本音だろうと真理は心中で推察した。当の葵はまるで意に介していない。


「何も。申し訳ありません」


 下げた頭にどれほどの価値があるかと思いながら眼前に居る男の表情を伺う。だが、掴んでいる情報は報告書に乗せているものしかない。前回の事件は完全に敵の掌で踊らされ、十分な情報を得ることは叶わなかった。どれも核心に迫るものではない。


「仕方ありませんね」


 溜息をついて資料をテーブルの上に置いた。無音になっても実際には無音ではない。それぞれの頭の中では幾多にもこの戦いを切り抜けた後の映像が鮮明に存在している。カードの切り方を間違えれば、跳ね返ったカードに頸動脈を切られて終わりだ。


 先に動きを見せたのは源ですぐに怒気を孕んだ眦が向き合う葵へと向けられる。


「何故、我々をもっと早くに動ける状態にしてくれなかったのでしょう?」


「今の貴方たちに奴らと渡り合うだけの戦力が保有できていると思っておいでですか?私が把握している限りではとても太刀打ちできるとは思えませんが」


 サラリと葵は源の怒りを受け流して切り返す。周りにはあっさりと返したと思わせておきながら頭の中でしっかりと論拠を以て答えていることが分かる。


「我々の技術は秘中の秘。再現しようとしたところで簡単に出来るわけではないことはご存じかと。それに組織で運用すると考えるなら量産体制を整えるだけに少なく見積もっても最低で数カ月。いや、生産に必要な物資の調達を考えるなら年単位で考えるべきでしょう。今現在の装備で戦うことは不可能ではないでしょうが、報告に上げた状況を鑑みればここで手を出すのはとても賛同は出来ません」


 つらつらと葵は資料を見ずに源に言葉をぶつける。傍らで聞き耳を立てる真理にはあの無惨極まりない破壊の痕跡が鮮明に思い出される。


 一体も存在しない死体、瓦礫、唯一痕跡があったのは戦闘があったと伺わせる破壊されたスイートルーム。


 あの戦場は、死んでいた。死者たちが残していた無念も絶望も何一つとして存在していない文字通り、言葉通りに全てが刈り尽くされていた。今の今までに見たことがない光景に今でも背筋が冷える思いだ。


「それは我々も承知しています。ただ、それでも我々に出来ることは存在していると申し上げているのです」


 この言葉を解釈するなら、人員は割くつもりはないが補給や諜報の面で協力しようということだろう。正確には、ここで一枚は噛ませろということ。捻くれた見方をすればそのように解釈をすることが出来る。


「申し訳ありませんが、そちらは十分に間に合っています」


 葵の物言いは一切の逡巡もない。実際には手を借りたほうがいいというのは間違いない現状だが、ここで隙を晒してしまえばこの後に大きく響くことになる。


「私は少なくとも一度で終わらない可能性を考慮するべきと進言しておきました。どうやら、芥子川けしかわはしっかりと手を打って下さっていたようです」


 明朗に読み上げる言葉は驚いてしまうほどに全て嘘だ。一切の変化を見せない葵の表情は普段のお茶らけた雰囲気からは想像が及ばないほどに嘘を吐きなれていることが伺える。それでも、相手は政府からの使者だ。根拠もない言葉を真に受けるほど甘い相手ではない。


「なるほど。では、証拠を見せてもらいましょうか。この状況をあらかじめ想定していたのであるのなら、当然資料は存在するはずだ」


 説得の言葉はこれ以上の言及は許さないと十分すぎるほどに圧力を込めていたはずなのに源は身を屈めるのではないかと思えるほどの圧力を目の当たりにしても怯むことなく真っすぐ進んでいく。真理の青い瞳は一瞬だけ葵へ移る。この場にある尽くの目が自分と同じように動いた気がした。


「確かに存在していますよ。資料は」


 と微笑みながら口に出し、机の上に置いていた左右の手を僅かに動かす。余裕の源泉が何処にあるのか分からない真理たちからしてみれば到底理解の及ぶところにない。固唾を飲んで見守ることしかできない。


「ですが、この場で出すのは賛同できません」


「どういうことでしょう?」


 葵ののらりくらりとした物言いに源は噛みつく。肉に牙が食い込むという表現が相応しいほどに力強い。それに怯むような葵ではなく圧されることも臆することも無くあっけらかんとした様子だ。


「先日、委員会が死亡したということは既にご存じかと思います」


 源は何も言わず次の言葉を待っている。言葉次第でどのように切り返そうかと出方を伺っていると思える姿勢だ。葵は構わずに言葉を続ける。


「では、どうして殺されたのかというのが問題となります」


 葵は指をピンと立てる。口調と動作が合わさって嫌にも芝居臭さが拭えない。


「未だに情報を漏らしている奴は存在しています。芥子川けしかわが出し抜かれたのもこれが理由でしょう。もし、ここで次の地点などの予測を立ててしまえば敵にはしっかりと耳に入ることになる。そうなったら敵はこちらの裏を掻いて一息に喉元まで肉薄する可能性は高い。前回があのような結果になったわけですから次は確実に潰しに来ると考えるべきです」


 源は渋面を浮かべ、溜息をつく。顔の前で手を組み押し黙っている。


「ご安心ください。目星は既に付けてあります。お知らせするときには、良い知らせをしますよ。というわけなので、ここは私たちにお任せしていただけませんか?」


 資料など元よりない。だからこそ煙に捲いている。これがバレてしまったらどうなるのかと考えると生きた心地がしなかった。出来ることなら走り出して逃げ出したい。自分がドジを踏まないように表情と言葉に滲み出ないように小さく息を吸った。


 言葉を被せた葵の態度は冷静に観察すれば後ろめたいことがあると分かる話。理解してしまうと余計に怖くなって鳥肌が立った。


 決して舐めているわけではないのだろう。気が逸った結果と自分を納得させる。


「分かりました。では、お知らせを待つとしましょう。成功をお祈りしています」


 源は少しの間を挟んだのちに返事をしてから立ち上がる。触れれば感電死してしまいそうな空気は完全に霧散していた。もう言及する気も議論をする気も無いと受け取れる。それでも、鋭い眼光より打ち出された視線が一瞬だけ明後日の方向に移るのは見逃さなかった。


 最後に葵の目線がピッタリと合った。ついさっきまで凍てつく氷かメラメラと燃える炎を思わせる恐ろしい気迫は収まっている。結んでいた唇が動いた。


『大丈夫』

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