第339話 乱舞11(九竜サイド)
ゴキゴキと葵が指を鳴らす。ギラギラと光る碧眼は早く戦いをと望んでいる。気分が未だに地獄巡りをしている状態なのに互いの乖離に気が重くなる。そんなことをわらわらと集まっている露知らずのギャラリーの視線は余計に気分を悪くさせた。
「やる気満々、ですね」
「面白いからね。闘いは」
しっかりと見なければならない葵の恰好は黒のアンダースーツ。ぴっちりと張りついた生地がボディーラインを容赦なく見せつける。あの剛毅な葵の姿からは想像がつかない色っぽさを醸し出しているのに神経も何も昂らない。
「面白くないな」
ニュアンスとしては『戦い』ではないのだろう。命を取って奪ってを繰り返してきたつい最近の血生臭い記憶。悪夢から現実に呼び戻されたような感覚に脳が付いてこない。
「始めるけど、いいか?」
グッと体を伸ばし終えた葵は拳を構える。オレの意見は完全に無視された。
「ふぅ…」と溜息をつくとオレも拳を構える。
ルールは、実に単純に殴り合い。武器の使用は一切無し。それ以外は存在しない。
葵の右足が少しだけ動いた。床がミシリと音を立てる。すぐに来ると推察してオレは攻撃に対処しようと構える。
目の前に葵が存在した。動きは、しっかりと見えていた。
「シッ‼」掛け声と一緒に葵の右拳がオレをぶち抜こうとして、直前で止まった。その光景に葵は目を開いた。だが、受け止めて尚進もうとする力は強い。受け止めている間に少しずつ現実の景色として世界は一致していく。
「驚いたな。アタシの攻撃を一発で受け止めるとはね」
「成長するんだよ。オレもな‼」
受け止めていた拳をパッと離す。前のめりになっていた葵の体が前に傾く。その隙を見逃さずにオレは意趣返しとばかりにブローを叩き込んだ。
「がっ‼」
唾が少しだけ顔に付着した。今の反応だけでも手ごたえは十分。降ってきたこのチャンスを逃がすわけにはいかない。
「はぁ‼」
一発、二発、三発。連続で繰り出した拳が葵の上腹部にめり込んでいく。手が全く止まることはない。最後の一発と一撃を放つが今度はオレの拳が葵の掌に収まる。ギリギリで受け止めていたオレとは違って確かな余裕が存在している。
「うおおおおおおおらぁ‼」
葵の声が空気を震わせ、体が宙を彷徨う。僅かな時間での出来事であるのに長いこと上に居るように思えた。見えたギャラリーの顔は目の当たりにした光景と張り上げた声によって意識が固まっている。
お陰で冷静さが戻り、体勢を立て直すのは容易だったが後の迫る攻撃は完全に予想の外。
「悠長に構えている暇はないぜ?」
再び懐に葵が入り込み、続けざまに今度は膝が迫る。咄嗟に防ごうとしたところでガードは間に合わず顎を打ち抜かれた。下から遡る衝撃に脳が揺れて意識がぶれた。
グロッキーになったところを逃さず、葵の手がオレの顔を覆った。ミシミシと力が入って骨も肉も何もかもが軋む。その痛みが体中を巡ろうとする前に腹部を衝撃が襲う。
「~‼」
至る所が痛みすぎて声は出なかった。空気を吐き出すのが手一杯だ。零れた唾液が床を汚し、立ち上がろうと手をついた矢先にマットを踏む音が聞こえた。
「終わりか?」
視線の先に葵の顔が入った。余裕綽々とは言わないまでも未だに優勢を疑っていないその顔には受けた痛みも相乗されて腹が立つ。
「…なわけないだろ」
「だろうね」
態勢を直すと蹴りで葵の顔を狙ったがこんな無理な状態から放った攻撃はあっさりと回避される。カウンターを決めようとすれば決めることが出来たはずなのにぶつけなかったのは大分舐められていると受け取れる態度だ。
「言っただろ。これは殺し合いじゃないわけだ」
「その割には大分容赦のない一撃だったよ」
軽口を叩いてはいても攻撃を受けた箇所、ぶつかった個所、節々は熱を持ってジンジンと痛んでいる。動かそうとすると鋭い痛みが走った。
「大分手加減したんだ。折れてないだけ勿怪の幸いと受け止めてくれ」
「捻挫はしたかもな」
「骨折よりはマシだろ?」
「今は、強くなれる可能性があったほうが欲しいかもな」
「1つ1つやってもらいたいか?ちゃんと治るように丁寧にやってやるよ」
無意識に零した言葉に葵は本気か嘘か疑わしい返事をぶつけてくる。『戦い』ではなく『闘い』と口にしたその口で。
「やり方は教わっておくよ。これが終わったら」
と口に出しつつ、オレは前に出た。今度はこっちから仕掛ける番。グッと体を屈めてタックルの様相を呈した動きで突っ込む。
本音を言うのなら格上である相手の葵には幾多にも策を張り巡らせて挑むべき。それが自明の理だが、近くには罠に使えるオブジェクトは存在していない。奥に進めば器具が幾多とあっても重量がありすぎて即席で使うには難しい。
「頭で知るより、体に叩き込んでやるよ」
ぶつかった衝撃は確かに存在した。体も後ずさったが突破には至らなかった。倒れることなく葵はすぐに止まった。前に進もうとしても体はビクともしない。
「正直なのは嫌いじゃないぜ。お得意の頭を使えないのは残念だったな」
捕らわれた体が宙に浮く。腰あたりを掴まれたと理解したところで全て後の祭りだ。正面には床が見える。
「正気とは思えないな…」
見えるマットはどれほどの激痛を与えて来るだろうかと考えたところで意味はない。ぶつかれば確実に意識が彼方へと消し飛んでいくことになるということは想像するに難くない。考えるだけで冷や汗が一筋噴いて床に落ちる。穴に雨水が落ちる景色が思い浮かんだ。
「正気だから手加減はしない。しっかりと考えられる余地を与えるだけだ」
次の瞬間には葵の技が決まってマットの冷たさが肌を撫でた。
体は、動かない。動いてくれない。
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