第338話 乱舞10(ハーツピースサイド)
クラシックが流れる喫茶店の中で場違いなピピピという電子音が流れ、ハーツピースは読みかけていた本を閉じた。同時にため息が出た。待ち合わせの時間を優に30分を超えている。待ち人は相変わらず約束を守るつもりはないらしい。
残っていた紅茶を一飲みすると立ち上がって釣銭を支払って外に出た。カランカランと鳴る音が空想とから現実へと呼び戻す呼び水のように感じた。
ハーツピースからしてみても報せは青天の霹靂だった。未だに信じることが出来ていないというのが本音。今は歩きつつ頭の中で整理している最中であるが、連続した仲間たちの戦死という出来事は未だに現実のことと受け止めるのは難しく、踏みしめるアスファルトの反発がその報せを現実と教えてくれる。歩くこと20分で目的の人物の顔を見つけた。
「こんなところに居ましたか」
路地裏を歩いて凡そ10分ほど。目的の人物をようやく見つけることが出来た。
「あ?」
振り向いたパルマの顔にはべっとり血糊が付着している。赤々としている色合いからしてまだ新鮮なものだ。柄物のシャツと破れたジーンズ、跳ねた血痕が暴力的な雰囲気を強く醸し出している。つい先日までベッドで伏していた怪我人とは思えない姿だ。残っている面々がこの節操のない男と姫川だけという事実に辟易するばかりであることは胸に秘めておく。勝つためにはこの男の力もまた必要なのだ。
「命令ならもうすぐで終わりだ。そこで待ってろ」
「構わないですよ」
目を横に向けると女性が蹲っていた。倒れている男の数は5人。それぞれの首筋から流れ出して交じり合う血の匂いは胸焼けを覚えそうになるほどに濃厚な匂いを撒いている。お陰で我慢に余計な力を割かれてうんざりした。
しゃがんで女の顔を無理やり持ち上げると見覚えがあった。
「この女、どうして殺さないんですか?」
「愉しんでからでもいいだろ?どのみち殺すんだ。どんな抱き心地なのか知りたいんだよ」
ベッタリと粘り気のある舌が顔を見せる。獲物を求める蛇が顔から現れたとハーツピースには思えた。立ち上がるとパルマに厳し気な視線を注いだ。
「んだぁ?その一張羅でも自慢しに来たのか?」
パルマがねっとりとくどい視線をハーツピースが纏うコートの上に走らせる。余計な諍いを避けようとしているのが分かってハーツピースも話に乗っかった。
高級な毛皮のコートを筆頭に厚底のブーツ。とても戦いに向いた格好とは思えない服装だ。自分の姿を改めて鑑みると確かにこんな場所に足を踏み入れるような場所ではない。
「一応はオフでしたので」
「女でも引っかけてたのか?」
「これはただの趣味ですよ」
事態を何も把握していない態度に苛立ちを覚えながらも今は意味を成さない粗相にエネルギーを消費すべきでないと感情を抑え込む。コートの内側に潜ませていたリッパーを取り出しす。
「申し訳ないですが、すぐに処理させていただきます」
「おいおいおい。折角働いたのに報酬の1つも無しかよ‼」
盛大にリアクションを取りつつ大声でまくし立てる。それほどまでにこの女に価値を感じたのかと呆れた。
「これで勝手にどうぞ」
取り出したカードを投げ渡すとパルマはしげしげとカードを眺めている。
「いくらだ?」
「100万です」
「もっと稼いでるだろ?」
「申し訳ないですね。浪費はついて回るんですよ」
実際の貯金は渡したカードの倍は優に存在している。尤もこのろくでなしに過ぎた玩具を与えるのは気が進まない。
「女を抱くだけなら問題はないでしょう」
「人生は女だけじゃないんだよ。酒、食い物。それもあってこそ愉しめるんだよ」
過ぎた要求に頭を抱えたが余計な反論をせずにハーツピースは女の腕を握って強引に立ち上がらせる。死んだ目と青痣だらけの顔が妙に印象に残った。体の方は既に誰かが手を付けた後だ。シャツが破け、ズボンの位置がずれている。
「質問です」
目を貼り付けそうになる青痣から目を背け、女の顔と手足にじっくりと観察する。余計な動きを起こさないか警戒しておく必要はある。
ハーツピースが声をかけても女性は動かない。いや、動けないという表現が的確だろう。
動けば確実に死ぬ。体を壊すなどずっとこの仕事をこなしてきたハーツピースにとっては難しくない。
「とっくにぶっ壊れてんだろ?その女」
つかつかとパルマが近づいて蹲っている女の顔を覗き込む。
「どんなやり方をしたかは知りませんがこの状況を見るに壊れても不思議ではないことがあったことは手に取るように分かりますよ」
「分かんなら労ってくれよ」
「何故、そんなにこの女に拘るんですか?心は壊れていて愉しめるとは到底思えませんが?」
その問いを待っていましたとばかりにパルマは顔を歪めた。唇を破って見える歯の隙間から漏れ出る白い息が叢に息をひそめる肉食獣の描写をハーツピースに思い起こさせた。
「決まってるだろ⁉このクソアマが面白いことを言ったから実行してやろうっていう紳士の心づかいだ‼」
どんな台詞が飛び出してくるのかと警戒しただけに横っ腹をぶん殴られたような衝撃に不快さを覚える。対してギラギラと光を放つパルマの目は話がまだ全然終わりに至らないことを物語っていた。
「開口一番に何て言ったと思う?お前みたいな半端野郎なんかに殺されるかだってよ⁉で?その終わりがこれだぜ?手も足も出ずにボコボコにされて顔も知らない男どもにもみくちゃにされてゴミ同然だ。んで、これから罵倒した相手に凌辱されるんだ。嗤うなってほうが無理な話だろうよ‼」
何が面白いのか腹を抱えて笑い転げるパルマがハーツピースには理解が出来ない。というよりは、理解することを拒んだという方が正確だった。
こんな狂人とこれ以上会話をしていたら自分まで狂う。
「勝手にすればいいでしょう」
「そう来なくちゃな」
ハーツピースの許しを得るや好色に満ちた瞳と触手を思わせる手を女に伸ばす。髪を引っ掴むとコンクリートの上に押し倒し、一切の躊躇いも無く上体を露にした。予想通りに上着の下にも多量のあざが存在している。
「やる前に伝えておきたいのですがよろしいでしょうか?」
「手短にな」
今すぐに犯させろと全身で訴えているパルマを無視し、ハーツピースはここに来た目的を口にする。勿論、未だに頭の中で整理が付いていないことだ。
「糸場さんと貴船さんが死亡しました」
「あ?」
今にも下に取り掛かろうとしていたパルマの手が止まった。纏う空気が大いに揺れていた。赤から青に変わる勢いだ。
「どういうことだ?」
「そのままの意味です。2人は亡くなりました」
犯そうとしていた手を止めるとパルマはハーツピースに向き直る。居住まいは珍しく人の話をちゃんと聞くという姿勢だ。
「やったのは、誰だ?何処でやられたんだ?」
「委員会の監視の最中に殺されたと思われます。誰の仕業かまでは分かりません。ただ、可能な候補はエウリッピ・デスモニアを始めとした者たちに絞られるでしょう」
「記録は残っているのか?」
「何も。データは全て消えていました」
実際に手にかけたのはデスモニアだ。データ自体は保存してあるが仮にパルマがこの話を耳にすれば意気揚々と敵に突っ込んで行くだろう。
「…そうかよ」
大きすぎる溜息をつくとパルマが再び女の方に邪が形を持った手を伸ばして守りの一枚を剥ぎ取った。
「あー、敵も味方も死にまくりだな」
「その割に嬉しそうですね」
「そうか?」
蓋の隙間から愉悦が漏れ出ている。大好きな殺しのあとに凌辱のボーナスまで付与されたとなれば当然の反応だった。
声、空気、目。全て全てが地獄を全力で駆けて泳ぎ回っている。感覚器官は敏感に変化をしっかりと伝える。
「まあ、否定は出来ないな。俺たちの性ならな。話は終わりか?」
「それだけです。近いうちに呼び出しがかかると思うのでよろしくお願いします」
「オーケー。じゃあ、それまでは愉しんでおくぜ」
焦らされたことの苛立ちを声に滲ませてパルマはハイエナの如く死肉にまみれた人形に食らいつく。嫌な音が聞こえる中で背を向けるとハーツピースは彼方へと姿を消す。
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