第278話 破戒22(マレーネサイド)
被害者が味わう痛みなど何のその加害者は殺したという意識など欠片もないのだと示すような物言い。実際にマレーネこと馬淵海にしてみれば欠片も関係ないこと。別に知らずとも事態は進むのだ。
「湿っぽいよりはいいかな?」
一刺しにした
死に体で刀身を掴む。別にないわけではない光景だが、人間の腕力を振り払おうとして払えないなどあり得ざる景色。
マレーネが息を呑む姿は、残念ながら芥子川の目に映ることはない。光を失った瞳は、生気を欠片も宿していない。
なのに、目が離せない。何を以てしても、何があったとしても離さない、逃がしはしないとマレーネに釘付けになった瞳は物語っている。手も愛おしい存在の手を一向に離してはくれないと分かるほどの強さ。人間が自分たちを超える膂力を発揮することないと認識していただけにこの光景には動揺する。
気持ちが悪い。それが真っ先に浮かぶ、言葉。
「…本当にネジ抜けてるみたいだね」
人外じみた姿を目の当たりにしてマレーネは引きつった笑みを浮かべる。
自分が視界に納めているはずの存在は、人間のはず。つい先ほどまでは間違いなく人間だった。自分が知っている形をしているはずなのに、得体の知れない何かを、形容しがたい物体を見ているように錯覚する。
バラバラに解体すれば終わる話。
やらない理由は、ない。人間相手だから云々、誇りがどうだのこうだのなどと口にするつもりは毛頭ない。自分が欲しいものには直結しているわけではないのだ。
では、なぜやらないのかと問われれば、ただの意地と言い表せばいいだろうか。
自分の願った全てを真っ向から否定してやると、全てを呪い尽くしてやると訴えているように感じられるから。光の消えた目の奥で未だ冷めやらぬ業火の熾火がくすぶっているように感じてしまうから。
―何なの、こいつ…。
自分の目の前にいるモノが、何なのか分からない。皮膚とアンダースーツの間を生温かい、嫌悪感を催さずにはいられない汗が満たす。何に由来するのかは、マレーネ自身にも理解の及ばないところ。それがどうしようもないほどにマレーネを苛立たせる。
恐怖。自分がこれまで生きてきた中で、一度だけ抱いたことのある総身を舐ってやまない絶対的に受け入れがたいもの。
冷静さが、削がれていく。自分を支えていた願いが犯されようとしている。忍び寄る粘液が己の一部に成れと。
「…消えてよ」
無意識に口に出た。蓋が外れると、あとは噴き出るだけだ。
「消えろよっ‼消えろォ‼」
何処までが現実、何処までが正確な記憶か。自分では理解のしようがない、証明のしようがない夢幻。
血の滑り、肉の気持ち悪さ、骨の硬さ。何も、何一つとして手に体には残っていない。受け入れることを拒んで彼方へと蹴り飛ばしてしまったのか、自分の全てが認識しないように働いたのか全く分からない。
気が付いたときには、現実を現実としっかり認識することが出来るようになったときには、その場に『人間』は、『死体』は存在しなかった。一面に広がる血だまりと突き刺さった血の滴る
「…帰らないと。早く、早く」
導器を抜くとマレーネは振り向かずに駆けていく。
お姫様は、幸せにならなきゃいけない。夢は、醒めちゃいけない。
悪いことが続いたなら、最後は報われなきゃ。想いは、咲かなきゃいけない。
ハッピーエンドだけが、許された結び。
だから、わたしは、絶対に幸せになるしかない。
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