第274話 破戒18(エウリッピサイド)

 焔が消えた先には、カルナが倒れていた。鎧は消滅していて既に立ち上がるほどの力も残っていないことは検証せずとも分かる。


 許しがたい話。この攻撃を避けることは、彼女にとっては造作もないことのはずだ。


 しかし、眼前で倒れる腕の中にはボロくずとして捨てたあの少年。庇いきれなかったのか少なからず皮膚が赤みを帯びている。死のうが生きていようがどうだっていい。


「…貴女は」


 こうするであろうことは、分かっていた。分かっていても、痛い。搔きむしって、爛れて、腐って。零れる血肉は、嗚呼、見るに堪えない汚物だ。自分に巣食う嫉妬、愛憎の悲喜こもごもを見ているようで。


 ―本当に、許せない。


 自分じゃない。こんな醜悪なものに苛まれる自分は自分じゃないと思いながらも、右手に持った「失墜メルト」を少年の頭に狙いを定める。


「お前は…」


 掠れた声が聞こえ、エウリッピは咄嗟に照準をカルナに逸らす。声音からもう戦えるだけの力は残っていないと分かっていてもそのような行動を取ってしまうのは、彼女の力を知っていることからやってくる恐怖故か。


「その体で喋らないで。本当に、死んでしまうわ」


 脅しではない。単純な人間の体とは違うとはいえ火傷は到底無視できないダメージ、或いは足枷となる。先ほどダイレクトに攻撃を受けた葵は実際に「死」までは落ちないとしても崖っぷち。


 伸ばした手が、エウリッピの足元を掴む。力など籠っていない、振り払おうと思えばあっさり解けるであろうほどの力しかないのに。


 それでも、自分に向けられる姿から顔を背けることが出来ない。


 余計に、腐肉が異臭を放つ。自分を忘れるな、自分を見ろと主張しているように。


「もう…いいだろ」


 意図は、分からない。抱える荷物の助命を願ったのか、エウリッピがこれ以上落ちていく様を見たくないから口にしたのか。


「よく…ないわ」


 前者に受け取れた。精神的な余裕が無かったと言えば一応の言い訳にはなるかもしれない。だが、当事者のエウリッピにはその正体は十分すぎるほどに理解の及ぶところ。


 想いは、堰を切ったように溢れる。


「何で…わたしじゃないのよ」


 逸らしていた引き金をカルナに合わせる。本当は、何の拍子に引き金を引くことになってしまうのか分からなくて、今すぐに彼方へ向けてしまいたい。


「私がそいつだったら、私を守ってくれた?」


 自分はどんな顔をしているのか分からない。それでも、きっと余裕のない面構えをしているのだろうことは、頬を落ちる生温かい物が泣いているということを証明している。


「お前は強い…だろ?」


 その言葉が、反射する。エウリッピの頭を幾度も、幾度もリフレインしている。どうかしているのは、自分かカルナか。


 ―違う。


 欲していた言葉のはずだ。


 グラナート、葵たちに認めてもらうことを何よりも、何に変えてでも手にしたいものだったはずなのに。


 2人と並ぶことをずっと夢見てきた。2人と一緒にあの日に帰ることをずっと夢見ていた。それなのに、それなのに…。


「…私、何のためにここまで来たの?」


「ねぇ」と問いかけるも葵は答えてくれない。自分の内にあったはずの炎が、潤いが何もかも抜けていく。突き付けていた「失墜メルト」は指の間をするりと落ちる。


 全部、全部がどうでもよくなった。張り詰めていた糸がプツンと切れてしまったように、足場が一気に崩れ去ったように力が抜ける。


「…もう、終わりにする」


 力なく呟いてエウリッピは共鳴リベラスを解除しようとするが、葵の腕の中で死に体と思っていた少年が蠢く。それがのっそりと手を前につく。血泥に染まっていて見るも悍ましいものと化している。


『殺…スゥ。吸血鬼ィ…‼』


 怨嗟に満ちた、この世の全てを呪いで赤らめようとせんばかりだった。

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