第273話 破戒17(葵サイド)
「そろそろ、お前の顔も見飽きたよ」
視線の先にいるのは、エウリッピだ。姿は修道女。つまるところは、
この事態を引き起こした張本人と思われる存在。いや、起こした存在という方が正確だろう。今にも暴発してしまいそうな激情を抑えるべく葵はアスファルトに切っ先を突き立てる。答えを聞くまでは何もしないと物語るように。
「この事態、お前がやったのか?」
「私がやった」
「そうか」
「何故と、想う?」
「いや、お前ならやりかねないだろう。ただ、ここまで周到に構えているとまでは読めなかった。それにこの後どんな手段を使ってくるのかも分かっていない」
素直に認める葵を目の当たりにしてエウリッピの顔が綻ぶ。
「立場は逆転だね」
「戯言を口にするぐらいの余裕はあるらしいな」
「ふざけてるって受け取る?これを見ても?」
エウリッピが指さす先を葵は流し目で見ようとゆっくり目を動かす。だが、真後ろか近い場所に設置されているのか視界に収まることはない。ここまでずっと煮え湯を飲まされてきたせいで何を言おうとエウリッピから目を逸らすことは出来ないでいる。
「私から目をそらさないのは正解。でも、しっかりと先にあるものを目に焼き付けておかなければ、きっと後悔するよ」
艶然と微笑む態度の奥底は、未だ何を隠しているのか読み取れない。とはいえ、戦いの趨勢を握っていることには違いないと葵は顔を後ろへ向ける。
街灯の半ばには姫川が括りつけられている。両掌を大振りのナイフで貫かれている姿は見ているだけで痛々しい。柱を伝う赤々とした血の色は拘束されてから大して時間は経過していないことを物語っている。
広がる光景に、目を見開いて唇を震わせる。
「貴様っ…‼」
顔を戻すとより状況は悪化したことを認識せざるを得ない。
そして、エウリッピの腕の中にはボロボロの
幾度の暴力に晒されたのか分からないほど血を流す姿はいよいよエウリッピに後が無いことを悟らせるには十分だった。いつの間にと歯噛みした。方々異なる箇所に人質を取られた形は言うまでもなく最悪だ。
「勝つためなら手段を選ばない。当たり前だよね?殺し合いなんだから」
反対の手にエウリッピは掌を見せつける。結び付けた革帯にある文字はフォスコの輪に刻まれていた同じタイプのものだ。
「あのナイフには同じ刻印が用意してある。私が命令をすれば、あの少女は火だるま。或いは、この少年が奈落の底。そんなこと…私に見せないでよ」
この女は、誰だと思わずにいられないほど見覚えのない醜悪な存在が眼前にいる。
側だけは見知っている、かつては親愛の情を抱いていた大事な存在。中身だけが別のものに挿げ替えられてしまったようで現実味が無い。
「…お前、こうまでしてアタシをキレさせるのか?」
カタカタと剣が、鎧が音を立てる。怨嗟の情に蝕まれて総身が揺れる。
「救世主が救世主足りえるのは周りを納得させるだけの勝利あってこそ。得るためならこれを恥と私は思わない」
翳した掌を左手でなぞろうとする。トリガーになるものが如何なる動作によって為されるのか分からないため迂闊に手を出すことは出来ない。
しかし、葵の沸点は完全に許容量を超えている。許す許さないのラインでは、ない。
「…アタシは、お前を親友だと思ってたよ」
「その言葉、もう少し…早く聞きたかった」
力なく呟いた葵の言葉にエウリッピは答える。頬を伝う涙と寂しげな笑顔は見ているだけで叫びたくなるほどに痛む。ずっと秘していた本当のことを告げてしまいたくなる。
しかし、交わることが無かった道は、もう交わることはない。平行線は重ならないからこそ平行線。あのときから、あの日から全てが決まってしまっている。
「もう、お前を生かしておくつもりはない」
葵が前へ出ると同時にエウリッピは人質としていた
「私は、違うよ」
広がった紫の奔流は、九竜を葵を。彼女の視界に広がる世界の全てを吞み込んだ。
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