第269話 破戒13(葵サイド)

「む?」


 拳を振り上げたままフォスコの気が明後日の方向へ移る。隙を伺っていた葵の目線は釣られることなくじっくり討つべき敵の動きを具に見ている。決定的な隙、確実な勝機。こんなチャンスは滅多に巡ってこないことは分かっているからこそ神経を尖らせる。


 一撃。一点のみ。穿つのは、一つだけ。


「この状況下で諦めぬとは、肝が据わっておるな」


 呵々と笑ったわけではないにしても見せる顔は惜しみない賛辞を示している。得物を本来の大斧に切り替えて次なる標的に牙を剥く。


 葵の目は、そのシルエットに揺れた。見なければならない光景も、勝機も全て吹き飛んでしまった。


「ダメ…だ」


 九竜くりゅうが向かってくる。勝ち目が無いことなど十分に分かっているはずなのに。脳裏に原形すら留めない彼の姿が浮かぶ。


「答えてやろうっ‼」


 葵から完全に背を向け、フォスコは飛び出そうとする。この状況を許すわけにはいかない。


 仕方ないと『緋龍ベイバロン』を解除し、背後から心臓めがけて導器ミーセスを突き出す。本来なら切り札を切ってでも殺し切るべき状況だが、時間が足りない。


 当然、精彩を欠く攻撃はあっさりと対処される。油断しているように見せておきながら葵のことをしっかりと見ていたとのは間違いない。


「貴様にとってあれは相当に大事な者らしいな」


「…どうだろうな」


 沈黙も雄弁も全て銀。何をしたところでこの行動はフォスコの言葉を肯定している。


「いい顔をしているぞアラトーマ‼」


 受け止めた手をグルンと回転させ、葵の足は大地から離れる。晒された下腹部には威力が底上げされた掌底が叩き込まれそうになる。


「ちっ‼」


 完全な相殺は不可能と判断した葵は左腕を贄と出す。結果は言うまでもなく直撃した箇所を破砕させ、僅かばかりとはいえ衝撃を脳内へと送り届ける。


「…クッソ」


 力が抜けて葵は膝をつき、込み上げた鮮血が口から落ちる。


「そこで大人しく見ているがいい‼」


 声高らかに宣言する様は傷の痛みも相まって葵の神経をこれまで経験が無い勢いで逆撫でした。だが、その間にもフォスコは動く。


 連戦、息つく暇なく押し寄せる強敵、かつての戦友。グラナートを除けば出奔してからまともに存在しなかった圧倒的な危機。いつ折れてしまっても不思議はないほどの地獄と化してしまった戦場。


 終わりたければ、終わってもいいだろう。そこに納得がいくほどの理由があれば。


 しかし、どれほどの探索に、思索に耽ったところで得るものはない。手前勝手に死ぬことだけは許さないという理由だけが存在している。


 契約。葵個人の復讐を果たすためだけに口車に乗せた甘楽かんらを筆頭とする被害者たち。山と積みあがった幾多の屍が振り払って逃げようとする葵の袖を引っ張る。色素の抜けた死の液に染め上げられた青白い指先、白濁した瞳。かつて自分の右腕を務めていた少女とも女性とも区別のつかない存在は死してなお葵を縛る鎖として胸中に蜷局を巻く。


「っざけんな…」


 それが答え。賭けさせたものが命なら、こちらはより上をベッドする。そうでなくてはつり合いが取れない。


 導器ミーセスに手を伸ばす。吹き飛ばされて彼方で転がる力へ。今や重症患者もかくやと言わんばかりの体になってしまった葵にとっては這うだけでも想像を絶する痛みが走る。傷は新たな傷を、犠牲を求めて猛り狂う。焼き切れ、途切れてしまいそうな意識を無理矢理に繋ぎ合わせて前へ進む。その作業が途轍もなく長い。一秒が一時間、一歩の運動が百歩に感じられるほどに蝕む疲労は強い。


 だとしても、止まらない。止まることは、出来ない。


「ここじゃ…ない」


 巻き込んでおきながらどの口がと自分が言う。選択肢を与えておきながら実際には逃げ道など何処にもなかった答え。


 憧れは、尊い。越えたいと願うことは、美しい。守りたいと願うことは、輝かしい。


 この両方を満たす手段は、ただ一つ。


 ボロボロの体に鞭を打って、葵は立ち上がる。


「戻ったら…血、飲まなきゃな…」


 導器を自らの心臓へ狙いを定め、同じ言葉を口にする。


「醒めろ。緋龍ベイバロン臨界突破オーバーロード

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