第268話 破戒12(九竜サイド)

 勝機を見出せる可能性があるとすれば、攻撃に移るまでの僅かな隙。そこを突くことが出来なければ切り抜けることは不可能。だが、オレたちの力でどうにか出来るのかと問われれば、否としか答える以外に他ない。頭でどれほど策を弄しても突破できる未来像は描けない。


 状況をもう一度整理する。


 前後は完全に敵に挟まれて脱出は不可能に近い。一点突破をしようにも敵の数がこちらを優に上回っているため作った穴はすぐに埋められることになることは日を見るよりも明らかだ。しかも、柵を構成しているのは吸血鬼。上から逃れようと画策しても撃ち落とされるどころか鴨が葱を背負って来る事態になりかねない。


 ―どうする?


 葵を欠くことになれば確実に勝ち目は無くなる。戦略的に見れば彼女を救出することを全てにおいて優先すべきこと。それをするには、余りにも戦力が足りていない。元々足りていなかった戦力がさらに減ってしまっている最悪な状況。


 横を見ると顔を青くした姫川がいる。頬を伝う冷や汗と血管が良く見えるほどに透けた白い肌は如実にこの状況が危機的と物語っている。恐らく同じことを思っているのだろう。


「いい案ってある?」


「ない、です」


「だよね」


 答えをオレは持ち合わせていない。問いかける姫川の口調も僅かな希望に賭けてみたいと健気に訴えているように思えた。か細く消えていく声はそう物語っていた。戦いの喧騒を余所にオレたちの間には、ここだけときが止まったと思えてしまうほどの静寂が流れる。


「…1つ確認しておくけどさ」


 喉が動く。唾を飲み込む。これも初めて見る動作だ。


「何か伝えておきたい人は、いる?」


 重圧がその短い言葉の中からオレの胸に力を加える。呼吸が早くなる。刻む鼓動がどんどん上がっていく。


「いるよね。そりゃ…」


 ボロボロと剥がれ落ちる鍍金に姫川は気づいていない。もう、それすら意識しかできていないのかもしれない。


「ゴメン」


 本当は、オレが言わなければならない言葉。


 オレがミスをしなければ、オレがデスモニアの罠にはまらなければ姫川を巻き込むことなどなかった。この死地に彼女を追い込むことはなかった。こんな謝罪の言葉を言わせることなどなかったのだと。


「自分の方こそ…すみません」


 息を吐く。弱気な自分を無理やりにでも追い出すため。


 息を吸う。自分を前へ無理矢理にでも進ませるため。


「でも、言いたいことは自分で言います」


「そう」


 姫川の返事は意外とあっさりしていた。最初からオレがどんな言葉を返してくるのかを予期していたと感じられた。


「ボクも伝えなくていいよ。でも、強いて言えば死にたくない、かな」


 目尻に溜まった雫を指で払い、普段の澄ました笑顔を浮かべる。


「同感ですね、それだけは」


 シニカルに返し、オレは葵の元へ行こうとする。


 しかし、続く誰かの気配に足を止める。いや、限りなく消したつもりだったのだろう。実際に戦闘中ということを差し引いても葵が気付いていないことを鑑みるに奇跡と称した方がいいだろう。


「どうしたの?」


 動き出そうとしていた姫川も異変に気付いたようで、青白く変わっていた顔に急速に赤みが差す。死者が蘇生したと思えるぐらいの速さだ。


「…わざわざ、殺されに戻ってくれたんだ」


 標的を、デスモニアに切り替える。こちらもエネルギーの補充は終わっているらしく顔色は良い。現代風の装いは素体がいいこともあって似合っている。実に業腹な現実だ。


「戻ると言うのは語弊がありますね」


「…最初からこれが狙いか」


 オレの問いにデスモニアは大仰に手を広げる。これこそが我が傑作、最高の舞台だと誇るが如く。観客を置いてけぼりにしてベラベラと熱弁する姿は白けるばかりだ。


「ご名答。君があのときにルナと一緒に追及の手を緩めなければ私の負けでしたね」


「わざわざ勝ち誇りに来たってわけ?」


 怒りを一切隠さずに噛みつく姫川をデスモニアは鼻で笑う。勝ち誇るというよりこの勝利は約束された結果だと証明しているようだ。


「まさか、これが最後の仕事です。酒杯は2人を椅子にして頂くとしましょうか」


「笑わせないでくれる?ボクがお前の椅子?まだ嫌いな奴に体を売ったほうがマシに思えるよ」


「女を抱く趣味はないんですよ。尻の軽そうな女は特にね」


 口にしつつ、修道女の装束へとデスモニアは変わる。チリチリと周辺を舞う紫色の火の粉は厳粛とした雰囲気とはまた違う空気をデスモニアに与える。


「罰当たりな信徒には、しっかり裁きを下さないとね」


 姫川はひょうを引っ込めて左右の手にリッパーを構える。得物を持ち換えたのは、扱うだけの力を残していないと暗に証明している。仮に抜くだけの力が残っていたとしてもこの状況下で通用するかと問われれば押し通すだけの力はないように思える。


「そんな装備で、鈍で、私を超えることが出来ると思いますか?」


「バカには分からないよ」


 逆手に持ち、姫川はチラッとオレを見て唇を動かす。


『行け』


 たったの2回。だが、確認する必要もないほどに明確。


 残ることは、不可能ではない。姫川が強いとはいえ消耗した状態でデスモニアとぶつかり合えば、殺される可能性が高い。もう、あの女にとってオレたちは用済み。煮るなり焼くなりどうしようとも痛む心など元より持ち合わせてなどいないのだ。


「私はバカではないことを証明させていただきましょうか」


「バカは自覚が無いらしいからちゃんと教えてあげる。勿論、地獄の釜で煮られながら閻魔大王がじっくり説法してくれるってね」


 デスモニアの目がオレへ向き、真下に彼女の姿が現れる。ヌッと伸びた手がオレを地獄へ攫おうと伸びてくる。


「1人で説法を受ける勇気は私にないので、付き合ってもらいましょうか」


「地獄への道行きは、ボクが付き合ってあげるよ」


 真横から姫川の声が聞こえ、デスモニアの腕を斬ろうと落ちてくる。だが、紙一重。あと少しで腕を落とすところでデスモニアは退いた。


「折角の好意を無駄にされるとちょっとムカつくね」


「私にも選ぶ権利はありますのでね」


「ないよ。アンタにだけはっ‼」


 2人は奥地へと消えていく。オレは背を向け、反対側へと走る。


「…ごめんなさい」

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