第163話 偶像15(エウリッピサイド)

 コンコンと扉をノックする音が聞こえ、エウリッピは「どうぞ」と言葉を返す。戸が引かれてヴェローナが「失礼します」と言って入室する。


「こちらがモグラからのデータです」


 テーブルの上に資料がサっと出される。書き作業に集中していたエウリッピは顔を上げた。眼鏡を外し、顔を上げる。


「本日中に目を通してください」


 ペンを置き、エウリッピは資料を繰る。その中の一文に目が惹きつけられる。


「処刑ですか…」


 無意識にごちる。つまり、和平の道を奴ら自身が蹴り飛ばしたということになる。元より和平などする心胆は持ち合わせていなかったから棚から牡丹餅と言った方が正確か。あくまでカルナを抑え、こちらで戦力として運用するための手段でしかなかった。


 チラッとヴェローナの顔を見ると、クイッと彼女は眼鏡を上げる。


「はい。決行は今から一カ月後とのことです。すぐに処刑を行わないのは、我々の襲撃を強く警戒しているからではないかと」


「なるほど…」


 テーブルの上に肘をつき、正面に展開しているマップに視線を移す。


 すぐに動かせる駒は、あまりない。しかも、強力な戦力として機能する者となると数は限られてしまう。更にグラナートの護衛兼監視の役目を残しておく必要もある。


 これについては、アンドレスを当てるつもりであるが、宥め役としてはあてになっても暴走した場合は対処が出来るとは思えない。状態によってはあと1人割かなくてはならない。多少性格に何があるとは言ってもポルリルーの脱落が思っていた以上に響いている。


 顎下に手を当て、エウリッピは眉間を抑える。


「如何なさいますか?」


「そうですね…」


 最大戦力となる駒は、フォスコだ。本気でぶつかれば天長あまながを潰すことも不可能ではない。複数人を相手にする事態になったところで特に問題はないだろう。しかも、仕事人気質で命令には向かうことはない。


 次点でサードニクス。戦闘力はフォスコと同じほどの働きを期待していいだろう。


 とはいえ、複数人とぶつかり合えば潰される事態になる可能性がある。琵琶坂びわさかからの話によれば姫川と同じ存在があと4人存在していることが分かっている。意図的に戦力を操作すればサードニクスを潰すことも可能だろう。加えて一々反抗的で事あるごとに噛みついてくる。ハッキリ言えば、大役を任せたくない。


 最後は、マレーネ。だが、基本的に連絡が取れずに何処にいるのか不明だ。のらりくらり、ゆらゆらと漂っていて何処にいるのか、運が良くなければ分からない。戦力としてはとても使えるが、それ以外は全く参考にならない。


 癖が強すぎる。1人だけしかまともに機能するパーツがない。しかも、もう1人は3人と比較して戦力としては心許ない。


「とりあえず、3人に連絡を。詳細はこれから詰めます」


「かしこまりました。1つ、よろしいでしょうか?」


 話が一段落したと判断したのかヴェローナが手を挙げる。


「何でしょうか?手短にお願いしますよ」


 資料を取って読もうと再開しようとする。チラッと見るとヴェローナはまだ何かを言いたそうにしていて唇を尖らせている。


九竜くりゅうと姫川。彼を送り込めばよろしいのではないでしょうか?」


「戦力としては箸にも棒にも掛からない。連れて行くだけ邪魔になるだけですよ」


「そう仰るのなら、今現在行っていることは?」


「部下のガス抜きには気を配らなければなりませんからね。捕虜が死なない程度に傷つくだけなら安いものですよ」


 耳にするなりヴェローナは眉をひそめる。


「何か言いたげですね?」


「お言葉ですが、メンバーを入れ替えてしまったほうが合理的ではないでしょうか?探せば今以上とはいかないまでも十分な戦力が…」


「それでは時間が足りない。戦で勝とうとするなら今の戦力で一息に潰す以外の選択肢はない。分かっているのでしょう?とても果たせるはずはないと」


 エウリッピの言葉を聞いたヴェローナは口を噤む。その態度に小さく溜息をついた。


 話をしていて気が滅入る。かなりの長期間補佐役として傍仕えになったにもかかわらず、ヴェローナには成長が見られない。培ってきた技術も何も一割も受け継いでいるとは思えない。自分がもし死んだらと考えるだけで、死ねないという想いが強くなる。


「理想を口にしたいのなら、絶対に押し切れるだけの根拠を持って来なさい」


 これでシャットアウトだと暗に示す。まだ不満げな表情をヴェローナは浮かべている。


「言いたいことは分かりますがね。出来るなら、半分は交換してしまいたいところですよ」


 信頼も信用もない冷たい関係。思うと、こんな冷え切った関係しかない私たちには存在し続けるだけの価値はあるのだろうか。


 死にたくない、終わらせたくないという理由だけで先延ばしにし続けることに意味はあるのだろうか。心が折れてしまいそうなほどに絶望的な思いが胸中に芽生える。


「ならば、改めて提案します。あの2人を6位の席に迎えればよろしいかと」


 資料を読み込もうとしていたエウリッピは再び顔を上げた。


「正気ですか?」


「正気です。制御できない者を据えていたずらに不安要素を抱える必要はないかと」


「それこそ不安要素でしょう。彼らは叛意を抱いていたところで不思議ではない。それにあの席に求められるだけの力が無ければ誰も納得はしない」


「だからこそ、今回の戦いです。彼らを使ってカルナ・アラトーマを手に入れる。あの2人を使えば、奴らも本気は出せない」


 何を言わんとしているかは、分かる。だとしても、折角手元に置けているカードを手放すという事態は避けたい。わざわざメリットを捨てに行く必要はないのだ。


「賛成できませんね。2人の姿を見たところで奴らの情に訴えることが出来るとは到底思えない。もし、反応があったとしてもかつてのお仲間ぐらい」


「その一瞬があれば勝負を決することが出来るのではないですか?」


「出来れば苦労しないことは貴女にだってわかるでしょう?それとも、私なら戦いつつ全ての戦況を把握し、指示を送ることが可能であると?」


「そのようなことは言っていません。いくらデスモニア様とはいえ、出来ることと出来ないことが存在していることは私が最も理解しております」


「まさか、貴女が私に変わって指揮を執るとでも?」


「正しくその通りです」


 予想は出来ていても、余りにもアホらしい言葉に暫しエウリッピは絶句した。


「向こうはデスモニア様が必ず指揮を執ると考えています。そこに付け入る隙がある」


「言っていることは最もですね。私が指揮を執り、他が攻めると向こうは予想している。実際に奴らは私が盤面をコントロールすることを前提に用意をしているでしょう」


 確かに言っていることは一理ある。


 攪乱を上手く使うことが出来て隙をつくことが叶えば、一息に勝負をつけることも不可能ではない。癖のある連中であっても実力は人間とは比にならない。いくら姫川と同じ存在が敵方に潜んでいるとはいっても数は少なく、大多数はただの人間。負ける可能性は低い。


「それにカルナ・アラトーマが向こうに既に取り込まれている可能性があり、この処刑そのものがただの茶番だった場合、誰があの女を抑えることが出来ますか?」


 痛いところを突かれてエウリッピは黙る。


 まだ、回答を導き出せていない場所だ。


「勝てる見込みのある戦力としては、フォスコ様とティーチ様、そしてデスモニア様。2人には前線に出てもらうしかないため動ける戦力としては現状デスモニア様しかいらっしゃいません」


「確認しておくけど、私が前線に出るとするならあの2人の監視も兼任しろ。そう言いたいと解釈していいでしょうか?」


「そのように受け取っていただいて構いません」


 黙り、一向する。


 策としては悪くはない。今後のことも考えるなら誰かに後の仕事を任せることが出来るという状況は実に望ましい。


 もし、あり得ない話であるが、自分が命を落とすような事態が起きってしまった場合に誰かにこの役目を担ってもらうことが出来る。それにペットのお守など普段の仕事と比べれば圧倒的に楽な仕事だ。


「作戦は貴女が全面的に立てるつもりですか?」


「許可をいただければすぐにでも取りかからせていただきます」


「いいでしょう。詳細が決まったら提出を」


「御意」


 答えを返すとヴェローナは一礼して部屋を辞す。


「意外にも立派でしたね」


 小さく微笑むとデスモニアは机上の駒を1つ取って弄ぶ。


 見つめていると、様々な思いが去来しては消えていく。


「さて、久しぶりに私も頑張らないとですね」


 デスモニアは靴を脱ぎ、机に立てかけてあった導器ミーセスを手に取った。

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