第164話 偶像16(葵サイド)

 当日だ。落日が訪れる。


 終わりが近づいてくる。死が迫っている。


 形だけだ。そう、形だけ。


 分かっている。頭の中では、全てが嘘なのだと。全てが茶番であるのだと。


 しかし、裏切るのではないか。


 殺されてしまうのではないか。誑かされ、踊らされているのではないかと思ってしまう。


 みんな。甘楽かんらだけではなく、真理まり白聖びゃくせい九竜くりゅうが奴らの毒牙にかかってしまうのではないかと思えてしまう。


 だから、嘘を吐く。自分の目を染める穢れから目を背けるように。


                 ♥


 目に映る全てを美しく感じる。


 人工的な白。


 積みあがった本。


 目の前にある空のプレート。


 何もかもが、全てが美しく見える。聞こえる。


 ガチャリ。


 扉が開かれ、制服の男が入る。警務官を思わせる服と顎髭を蓄えた男は中年に差し掛かるかどうかというところだ。外にはビーハイブを始めに数多の武装で身を固めている兵士が五人ほど控えている。


「出ろ」


「ハイハイ」


 生返事をすると葵は立ち上がる。


「これを」と言うと、男は葵の手に手枷をかける。引く鎖が重い音を立てる。ターンをすると男は地上へあがる階段に向かう。素足で歩いているため冷たさが直に足を貫く。


「これで貴様も終わりだ。吸血鬼」


 鎖を引く男が大人しくしている葵に罵声を浴びせる。


 勿論答えない。それを皮切りに男は幾つもの罵倒を浴びせたが、無視を貫く彼女を面白くないと感じたのかすぐに口を閉じた。後に残るのは鎖と靴音だけで会話は全くない。道中誰ともすれ違うことが無かったのは、普段使うことはない通路を使ったからだろう。


 到着すると、扉前で控えていた兵士が扉を押す。通された先には、芥子川が目に入る。周りを固めているのは彼よりも一回りも二回りも上に見える。恐らく『羽狩はねがり』を束ねている委員会だろう。こうして姿を目にする機会は滅多にない。


 中央まで歩かされ、正面に取り付けられている手枷が後ろ向きになる。中央を照らす電光を浴びる葵は自分が舞台で独り芝居を求められる立場に追いやられているように思えた。


「跪け」と男が言うや背を押す。葵は抵抗する意思など最初から無いと証明するために跪く。


「何故、この場に呼ばれたか分かるか?」


 中央に陣取る男が口を開く。白い顎ひげを蓄えた学者然とした男だ。とはいえ、目は酷く淀んでいて真理しんりなどとても見通せる状態にあるとは思えない。


「私に叛意がある。そのように告げ口をした輩が居たが故にこのような事態になった。そう考えて間違いはないでしょうか?」


「それ以上に重大な話を貴様が隠していたと聞いておるがな」


 葵の言葉を一蹴する。出来レースと分かっていても不安になる滑り出し。


「女王の妹。何故この事実をこれまで黙っていた?」


 またその話かと思い、葵は辟易としてため息を吐く。


「ようやく手に入れた安住の地を失うわけにはいかなかった。ただこれだけです」


「つまりは、保身のためであると?」


「その通りです」


「ふざけるな‼」


 右側に控えていた1人が立ち上がり、怒号を飛ばす。剥き出しの感情が生々しい。


 常に葵を敵視し、事あるごとに嫌味をぶつけて来ていた者だ。こんな奴でも務まるなら猿でも出来るなと思ってしまった。


「そのような理由で我々を欺いていたというのか‼」


「騙してなどいませんよ。私が姉の近況を知ったのはつい最近でしたので」


 授業で名指しされたときと同じような調子で葵は答えを返す。相手が望む答えではないが。


「嘘などいかようにもつける。違うか?」


「確かに証明のしようはありませんね。私が姉に負けた理由を手を抜いた、実は内通していたと明らかにする手段はないでしょう」


 さっきと変わって葵は睨みつける。迫力に気圧されたらしく男は後ずさる。


「処刑する理由としては、余りにもお粗末が過ぎませんか?」


 実際には証拠など好き勝手に捏造できるだろう。証拠となる映像は取りあえずあるのだ。


「証拠については、私から」


 啖呵を切った葵へのカウンターとでも言わんばかりに芥子川けしかわが立ち上がり、茶番だと思えないほどに冷たい視線を投げてくる。葵は無意識に唾を飲みこんだ。


「これを」と言うと、背後から現れた天長あまながが全員に資料を配る。A4サイズの紙を幾つかまとめたもののようだ。行き渡ると全員がページを繰る。


「なるほどな」とさっきまで葵を詰問していた男が醜悪な笑みを浮かべ、見せつけるように紙をバシバシと叩く。


「これを見て裏切っていないなどと抜かせるか⁉」


 目を凝らしてみると、葵がエウリッピと顔見知りだったという文章が見て取れた。


 奴と顔見知り、敵対しているように装っている、極めつけは内通している、姉が女王であることを知っていた。


 要点となる箇所はこの3つだった。


 最初こそ正解だが、残りは全くあっていない。さっき否定していたグラナートのことも記されている。


「はぁ…」と葵はわざとらしく、盛大に溜息をつく。さっさと終わって欲しい。


「確かに、私はあいつと顔見知りですよ。ですが、あとは姉のときと同じです。話を交わしたことも、顔を合わせてもいません」


 毅然とした態度で葵は反論する。少し前に会ってはいるが知っているのは真理たちだけ。ここに載っていないということは何処からも情報を得られなかったということを証明している。とりあえず、沈黙を選ぶ。


 とはいえ、流石にここまで言いがかりをつけられることには我慢が出来ない。しかも、ガキが親に吐く嘘よりも劣るレベルの駄作だ。


「そうまでして、アタシを殺したいか?」


「当然だ‼貴様を見ているだけで虫唾が走るのだ‼この化け物‼」


 本音が漏れた。分かってはいたことだが、傷つく。


 開いた口へ何かが静かに、ゆっくりと入り込んでくる。


 あいつらも、同じことを思っているんじゃないのか。殺そうとしているんじゃないのか。後ろから刺されてしまうんじゃないのか。


 あり得ない可能性が高いと分かっているのに、浴びせられた罵声が葵の心を犯し、根を張っていく。


 ダメだ。弱気になるなと自分を叱咤する。


 今、腐っていてよい状況にはないのだ。


「私を殺すのはそちらの自由でしょう。ですが、私を抜きにして奴らに勝てると?」

「その心配はない。用意は整えている。貴様を排除しようとする上で何の備えも無しに決行するとでも思っていたか?」


 葵の疑問に芥子川けしかわが答える。口にした『備え』とやらに大層な自信があるようだ。


「冥途の土産に教えてもらえないでしょうか?ここから漏れ出る心配がないことはそちらが一番理解できているでしょう?」


「疑いがかかっている貴様に何を教える?分からないことの方が圧倒的に多いのだ。もしも、貴様に奴らと情報を伝えることが出来るのなら、今こうして話をしていることも奴らの耳に届いている可能性もあるわけだ。余計なことを喋らせるな、話すな。貴様に与える苦痛が増すだけだ」


 理路整然と、余計な感情が籠っていない言葉で芥子川けしかわは葵の申し出を突っぱねる。


「そういうことだ。貴様に何を教えるいわれはない。ただ、此処で果てることだけが今のお前に許される唯一の自由だ」


 勝ち誇った、気色の悪い笑みを浮かべながら男が高らかに宣言する。


 この温度差に揺れていた精神が安定していく。


 冷静に見ていると一目瞭然だ。やはり芥子川けしかわに裏切るつもりは無いということが読み取れる。


 仮に裏切るつもりなら、最後の忠告はいらない。早い段階で幕を下ろすために敢えて口にしたのだろう。


「処刑するとしてどのように?」


 自分を殺せる者なら殺してみろと言わんばかりの表情で葵は男に尋ねる。早々に話を切り上げることが目的なら、少し煽って論理で判断できない状態にしたほうが手っ取り早いだろうという判断だ。


「じっくりとその身を切り刻み、最後に心の臓を潰す」


「凌遅刑ですか。実に趣味が悪い」


 実際に受けたことはないが、目にしたことはある。あまりいい気分のするものではなかった。


 この場で課せられる役割から察するに処刑というステージを今後の抑止力に利用しようという腹積もりであることが読み取れる。


「処刑は、今すぐこの場で執り行う‼」


 男がショーの始まりを告げるように、高らかに声を上げる。まるで一部の特権階級しか味わうことの出来ない秘密の行事を執り行おうと言わんばかりだ。


 カッ、カッと革靴が床を叩く音が聞こえる。背後に目を向けると、ギラリと電光を反射する曲刀が映る。残りの男たちの手には鎖と椅子がそれぞれ握られている。


 両腕を挟まれ、椅子に座らされ、鎖が巻かれる。最後に着ていた上着に刃が入る。


「お待ちを」


 あと1歩進めば、開始という段階に入って芥子川けしかわが待ったをかける。全員が心待ちにしていた舞台を止められたことに不満げだ。


「この場での処刑は得策ではないでしょう」


「何を今になって仰る?貴方もこのやり方に賛成の立場ではなかったか?」


「確かにあの場では賛成しました。ですが、この場で見ていたところまだ彼女には別の遣い道があるのではないか。そのように思えまして」


「どういうつもりだ?処刑するなとでも言うつもりか?」


「それについて反対する気はありません。提案した者が私である以上、最後まで全ての責任は私にあります。ですが、今日この場で処刑する必要はない」


「奴らが来れば、真っ先に呼応して牙を剥き出しにしますぞ。あの女が引き渡しを要求したときにその可能性を提示し、真っ先に反対したのは他ならぬ貴方だ‼」


 芥子川けしかわに男が噛みつく。今にも泡を飛ばさん勢いで、余りの剣幕ぶりに天長あまながが顔を顰めている。先ほどまで葵の処刑に昂っていたメンバーたちも2人に意識が移っていく。


「先ほども申し上げましたように処刑を先延ばしにするだけです」


 芥子川けしかわはあくまで冷静に対応する。


 言葉に陰りは見られない。全部が茶番であることをあの男が見抜くことは出来ないだろう。


「具体的にあの女をどのように利用するつもりか?」


 一瞬だけ、芥子川けしかわは口を閉じる。溜めていることが分かる。待たされている男は堪え性がないようで目に見えて苛立っている。


「奴らに情報をリークしましょう。この女を欲しがっているだけに飛びついてくれるでしょうから」


「奴らが大軍で押し寄せる可能性も十分ある。それに対抗できるだけの戦力をたった1カ月で用意することが出来ると?姫川が行方不明で戦力不足だと思うがね」


 嫌味ったらしい物言いで男は毒を吐く。蛙を殴りに殴ったと思えるほど歪んだ面がより酷く歪んだ。


「穴埋めにこの女を使います。準備は整っているのでご心配なく」


「まるで自分なら全てをコントロール出来るなどとお思いか?」


「出来る出来ないの問題ではありません。やれなければ全てを奪われる。やれれば、全てを手に入れることが叶う」


「この女が裏切らない保証はない。我々が懸念した通りに裏切ったら?」


 先ほどよりも冷ややかな態度で返すが、芥子川けしかわの鉄面皮は一向に剥がれる様子はない。葵が見ているにもかかわらず。最初からあの顔が生まれたときから固定されたものだと言われたしても納得してしまうほどに変化が見られない。


「死なない限りは負けではありません。ボロボロになったところで」


「立てないのならそれまで。倒れたところを刺されて終わりだ」


「負けることを前提に話をしていては負け戦が必然となっています。まだ、確実に負けると決まったわけではないでしょう」


 努めて冷静な芥子川けしかわの言葉で加熱していた空気が一気に冷える。


 呆然としている男たちを無視して彼と男は激論を交わし続ける。光が当たっていない場所で繰り広げられる激論は主役と思っていなかった人物が突如として注目を浴びていると思えてしまう光景だ。


「ただでさえ低い確率を低くするなと私は言っているのだ‼」


「ならば、貴方たちにはこの状況を切り抜けることが出来る何らかの秘策はおありですか?私に変わって奴らと戦うだけの気概がありますか?」


 ズイッと体を前のめりにして眼光を鋭く光らせる芥子川けしかわの迫力に男は押し黙る。これ以上の反論を口にしようものならぶん殴ってしまいそうな勢いだ。


 尤も、反論をしようと思えばいくらでも出来る。策を提示だけすればよいのだから。だが、所詮はチープで無価値な感情論にしか根源を求めることしかない子ども。答えなど持ち合わせているはずもない。


「全てを私に押し付けるつもりであるのなら反論は止めていただきましょう」


 それが鶴の一声となり、会場を支配していた即刻処刑論は一気に下火になっていく。


「話はこれにて終わり。よろしいですね?委員長?」


 芥子川けしかわの問いが張り詰めていた布を裂くように空気を震わせる。これほどに重い空気の中で発せられた言葉は温室でぬくぬくとしていた委員会の連中に効果覿面だったようで、委員長と呼ばれた男が裏返った声で答えた。


「では、彼女の身柄は私が頂いていきます。運用に用いるまでは常に監視を付けておくのでご心配なく」


 議論の終了をつげ、芥子川けしかわは葵の元にまで寄る。周囲には今もなお拘束しようとしている兵士の姿があるも躊躇の欠片もない。体の至る所から覗く武具をただのガラクタとしか認識していないよう。


「聞いての通りだ。その手を離してもらおう」


 顔に戸惑いの表情を浮かべながらも結んでいた鎖を解いていく。緩んだ鎖がジャラッと音を立てて床に落ち、芥子川けしかわが葵の手を引っ張る。


 委員会も兵士も手を出すことなく、どのような結末を迎えるかを黙って見ている。


 最初に口を開いたのは葵だった。


「今になっても酔狂としか言いようがないな」


「毒を食らわば皿まで。使えるものは何でも使うだけだ」


 小さく笑みを浮かべてから手を取り、葵は立ち上がる。


 先ほどまで処刑場だった舞台を支配しているのは、告白シーン、クライマックス、運命。そんな言葉が当てはまってしまうほどに神々しい光景。


「強い言葉と態度はほどほどにしておけよ」

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