第157話 偶像9(九竜サイド)

 緋咲音ひさねは邪魔にならないであろう場所見つけるとゴロンと寝転ぶ。椅子もテーブルもなく、立っているのが嫌だったからこの状態になっているわけであるが広い競技場の端で寝ころびながら試合を見るというのは中々シュールな絵面だ。


 サードニクスが動き出す。それを見た九竜くりゅうも動き出す。


 一時だけとはいえ心理的な問題を乗り越えることが出来たようだ。自分の判断が間違っていないか、具に姿を観察する。


 表情、力の入り具合、体の動き。特に問題はない。


 それでも、今の九竜くりゅうでは勝つことは出来ないということ。ノーマルな状態で自分がぶつかったとしても殺しきれる自信はない。それほどにあの吸血鬼は強い。幸いなことは、デスモニアが彼に唾を付けているから殺すまではいかないことぐらい。そんな事態になったら強硬策を取るつもりである。


「なぁにやってんだろうな…」


 いざ冷静になってみるとこの状況が不可思議だ。


 少し前に知り合った少年と揃って敵方に世話になっている上に彼にとって因縁の相手が刃を交えているという状況。どこぞの三流脚本家が考えた下らないシナリオではないかと思えてしまうほどにカオスだ。


「とはいえか…」


 頭の中を敵味方の配置図に置き換える。


 最優先事項は、早々に向こう側に戻ること。中立などと口にしていたところで、こんなところに長居をするつもりはない。

 勿論、九竜くりゅうも一緒だ。可能ならデスモニアに対して痛手を与えたうえで、だ。


 時点で琵琶坂びわさかだ。今の境遇を超えるものを提供するのは、不可能。


 彼女の能力は認めざるを得ない。その力を無しに戦いに臨んだら、吸血鬼に皆殺しにされる事態になることは火を見るよりも明らか。


 つまり、仕事をしてもらうしかないわけで、好きに研究をしても良いとは言えない。条件次第では敵に手を貸す可能性も否定は出来ない。いっそのこと、殺して手土産にしてしまった方がよっぽどマシなように思えてくる。


 それから、敵戦力についてだ。


 エウリッピ・デスモニア。現時点で最も排除しなければならない障害で、取り除くことが出来ればこの戦いを勝利に近づけることも夢に見るだけではなくなる。


 しかし、あの敵を殺しきるのは現状不可能に近い。未だに全力を見せておらず実力は底知れない。あの炎に対抗する手段は、未だに有していない。


 時点で女王。隕石でも落ちてくるか、神様でも降臨してくれない限りは確実に勝つことは不可能というぐらいに彼我の戦力差は圧倒的。現時点での勝ち目は何処にもない。


 最後にサードニクス。全力でぶつかれば殺せるチャンスは十分にある。『死溶華ハイドレイジ』を使えば十分に溶かし尽くすことが可能だ。


 恐ろしいのは、これは表面の戦力での話。まだ吸血鬼サイドには隠している戦力が多数存在している。


 ―積みかな?


 これほど酷い状況を改めて目の当たりにしながら緋咲音は他人事のように思った。


                  ♥


 ガキン、ガキン。剣と剣がぶつかる硬質な音が耳を打つ。その度に神経、筋肉に力が満ちていく。意識が研ぎ澄まされていく。


「フッ」とサードニクスがレイピアを突き出す。『死不忘メメントモリ』でいなし、生まれた隙をつくように斬りかかる。心臓ごと袈裟懸けで仕留めるつもりでやっている。


「はああああああああ‼」


 裂帛の声とともに繰り出した斬撃だったが、返すレイピアで防がれる。とはいえ、防ぐための態勢に入っていなかったためサードニクスの体は軽く吹き飛ぶ。空中で踊る体を整え、床に手を立てて持ちこたえる。体が止まると長く息を吐く。


 指が曲がり、靴が歪む。サードニクスの体が弾丸のように飛び出す。染まった嗜虐の色の笑みは手加減を全くしていないと分かる。


 下がったところで、サードニクスの足が元居た場所を踏みつける。地面なら陥没しているであろう攻撃を刻まれながらここの床はビクともしない。


 切り返し。着地と同時にサードニクスは踏み込み、追撃に入る。体を逸らし、迫る蹴りを回避する。巻き込まれた毛髪が千切れて消滅する。下がり、右足に仕込んでいたリッパーを投げつけるが、あっさり対処される。カンッと甲高い音を立て、明後日の方に消える。


 互いにダメージを与えることが出来ず、膠着状態に入る。緊張感が脳髄にまで染みこんでくるよう。とはいえ、感覚がぶっ壊れたのかオレの体はこの緊張感を楽しんでいるようで、神経が昂っている。


 今までに無い、経験したことがない、不気味な感覚。


「ちょっとは熟れたか?」


「さあな」と生返事で答える。最初からあしらわれることを理解していたからかサードニクスは特に表情を変えていない。寧ろ楽しそうだ。


「褒めてやろうってのに素直じゃないな」


「敵の賛辞を受けても虚しくなるだけだ」


「虚しいね…」


 そう言いながらサードニクスはレイピアの刀身を触り、切っ先に触れる。


「俺たちを相手にして生き残っているのに謙虚なことだな」


「オレ1人で作り出した結果じゃない」


「その物言いは嫌味にしか聞こえないぜ?そこまでの時間を作り出したのは、他でもないお前だ」


 あのとき、何が起きたのかは、大雑把にもう分かっている。


 オレ自身にただならぬ力があるかもしれないことも。


 細かいところは全く分からないが、その力で人を殺したのだから疑いようがない。


「何故?お前もオレに執着する?」


 問いかけにサードニクスはさも当たり前のことを答えるように口を開く。


「あの女が目をかけていた。それだけだ」


「理由もなしに殺す。それが吸血鬼だと教わった」


「否定はしないな。気に入らないから、面白いから、強いから。大体そんな理由だ。今回が例外中の例外って話だ。これ以上の説明が欲しいか?」


「いや、いい」


 これ以上の問答は無用だとオレは『死不忘メメントモリ』を八相に構える。


「ところで、殺すつもりでやるといった手前…全力でやっても問題はないか?」


 レイピアを自分に向ける。あの行為が何を意味しているのか、どれほどの力を発揮することになるのかは、分かっている。


 いずれは、戦うことになる。向き合わなければならない問題だ。


 それに、小紫こむらさきに報いるためには、絶対に避けて通ることは出来ない。


「勝手にしろ」


 オレの答えにご満悦といった様子で、サードニクスは腹部にレイピアを突き立てた。

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