第156話 偶像8(九竜サイド)

「こちらです」


 ランタンの青い光が消え、それよりも強い白い光がオレたちを迎える。


 飛び込んできた純白にオレは目が眩んだ。これまで目にしてきた部屋の白さとは比にならないほどの純白は何をしたところで黒く染めることは出来ないと思えてしまうほどに清廉で、潔癖だ。おまけに先日に訪れた闘技場と同等かそれ以上の広さを持っている。相変わらず切れ目のない床と壁は美しい。敵味方の境界が無ければ、もっと彼らのことを知りたいと感じるほどだ。


「相手は?」


「とっくに来ていますよ」


 姫川が問う。だだっ広い空間に人影は見られない。目を凝らして探すと奥から誰かがオレたちの所に向かってくる。今の姿は豆粒ほどだが、徐々に姿が鮮明になっていく。


 赤褐色の逆立った髪に艶のあるワインレッドのスーツ、獲物を求めて彷徨う狼を彷彿とさせる青白い瞳の切れ長の眼。


 体に緊張が走り、無意識に拳を握り締めていた。


 忘れもしない、絶対に忘れることはない。


 殺したいほどに、憎い相手。


「バルカ・サードニクス‼」


 叫んで、目を見開く。姿は誰なのか分かっているのに、目に焼き付けるが如く。


「おいおい。得物も無しにやる気か?」


 自分の状態を理解できないほどに取り乱したオレを奴は嘲笑う。


「まだやらないよ。準備運動が済んでないからね」


 今にも暴発しそうになっていたオレを手で制しながら姫川が前に出る。


「お前も一緒とは思わなかったぜ。選り取り見取りってやつか?」


「ボクは見てるだけだよ。頑張るのは彼。でも、どういうつもり?」


 姫川の目がデスモニアに向く。オレに添えられた手は抑えている彼女の怒りを示しているかのように骨ばっている。


「募ったところ、彼が真っ先に挙手しましたので」


 悪気もない、別に悪いことなど何もしていないと分かる顔で言う。対する姫川は険しい表情を浮かべている。


「2人の関係を知ったうえで?」


「高々その程度。一々誰彼の関係に配慮できるほど私も暇じゃないんですよ。それに自分から引き受けてくれるならこれほど喜ばしいこともない」


「協力者って言っていたわりにぞんざいだね」


「強さだけが私たちのルールですから。主張は勝ってからということで」


 勝ち誇るでもなく、さも当たり前のことであるとデスモニアは言い、サードニクスにレイピアを投げる。それから、オレに『死不忘メメントモリ』を投げた。ガチャンと音を立て、床に落ちる。


「彼と別れたいなら勝てばいい。望むなら殺してみればいい」


 オレとサードニクスを遮る柵のように立っていたデスモニアが去って行く。既に止める理由も無くなったのか姫川も手を下ろす。


「危なくなったら止めに入るよ」


 それだけを言い残し、姫川も距離を取る。


 誰もいない。オレたちだけが、この場にいる。そう認識した瞬間に、鞘を捨てる。


「差しでやるのは初めてだったな」


 無視し、オレは八相に構える。口を利くのも当然お断りだ。


「無視されるのは傷つくな」


 肩を竦め、サードニクスもレイピアを抜く。思えば、空手でない奴と刃を交えることになるのはこれが最初だ。


「手加減した方がいいか?」


 余裕を感じさせるどころか嘲るような笑みを浮かべながら構える。


「返答しないなら、ぶち殺す」


 ぎらつく目、ドスの利いた声。目視できるなら体からオーラが溢れ出しているだろうほどの迫力。


「勝手にしろ」


 やけくそ気味に吐き捨てるとサードニクスは「はっ」と隠そうともせず嘲笑を浮かべる。キレそうになって、辛うじて無視を貫く。被せるようにサードニクスは続ける。


「下だらねぇな。いつまで引きずってやがる?」


「何だと?」


 自分の一番触れられたくない場所に手を突っ込まれ、顔を顰める。


 自覚していることを他人、しかも絶対に許せない、許したくない相手に言われたということが尚のこと意固地にさせる。こんなことが何も生み出さない、小紫こむらさきが見たら咎めることだろうと分かっているのに。


「お前はあの場が何処か知ったうえで居たんじゃないのか?」


「…黙れ」


 言い訳にも、反撃にもならない言葉。冷静さや理性など何処にも感じられない感情任せの言葉。


 渦巻く闇。オレを乗っ取ろうと水面から覗いている。今にも破って外に手をかけようとしている。


 ―止めろ。出てくるな。


 胸に手を当てる。速まる鼓動がまるで門をこじ開けようとしているように思える。


 第二支部の事件以降からまともに感情の制御が出来ない。


 弱くなってしまったから?縋る誰かが現れてしまったからか?投げ出したいと思ってしまったからか?


 どっちにしても、最悪だ。


 気を抜いてしまえば、すぐにでも獣が飛び出してしまう。予感があるというよりも、確信だ。


「醜いな。見るに堪えん」


 失望の言葉を吐き捨て、サードニクスが歩き出す。


「喋るなよ。お前…」


 柄を握る手に力が入る。余計な力が入りすぎてしまっていると頭で分かっているのに自分を制御できない。


 ―クソ、ダメだ。


 言うことを聞いてくれない。自分の感情が繋げた首輪を砕き捨てようと暴れに暴れる。押さえつけようとする理性が飲み込まれていく。


 手が上がる。刃が光を反射する。


 あと少し。刃を交えるに十分な距離に到達しそうになったところで、オレの前に姫川の姿があった。膝を折り、拳を握り締める姿は明らかにオレに対して攻撃を加えようとしていることが分かる。


 意識がサードニクスに集中していたオレは姫川の一撃を防ぐことが間に合わず、鳩尾にめり込んだ。息が出来ないほどに強烈な一撃に悶絶した。


「何を…」


 涙で滲む視界に姫川の姿が映る。立ち上がろうとしたところで、彼女が目線を合わせる。


「ちょっとは頭冷えた?」


 呆れたような、憐れむような目を向けてくる。頭から冷水をかけられたようにヒートアップしていた脳細胞が冷却されていく。意固地になって固まっていた精神も同様に静けさを少しずつ取り戻していく。


「おい、余計なことするなよ」


 歩みを止めてサードニクスが姫川に苦情をぶつける。


「後輩の面倒を見るのが先輩の務めだよ。何か文句ある?」


 毅然とした態度で姫川はサードニクスに反論する。


「大有りだ。これは俺とこいつの戦いだ。部外者が口を挟むな」


「女に縛られてるいたいけな少年を甚振る趣味でもある?」


「ねぇよ」


 イライラを隠すことなくサードニクスが口にする。耳にした姫川は呆れ気味に彼の方を見る。


「嘘ばっか。思いっきり未練たらたらのブーメラン。理由は知らないけど、こんなところまでしゃしゃり出る時点で言い訳として破綻してるね」


「気に入らねえって話だ。情も何もない場所でずっとジメジメされると気分が悪いんだよ」


 忌々し気なサードニクスの物言いに、姫川は何処までもドライだ。


「誰も彼もがあっさり割り切れるわけじゃないんだよ。アンタみたいに人でなしになれるわけじゃない」


 シレっと姫川は毒を吐き出し、オレの方を見る。


「やる準備は出来てる?」


 言葉を耳にして、オレは立ち上がる。『死不忘メメントモリ』を握っていた手の震えは止まっている。入りすぎていた力も抜けている。


「…ありがとうございます」


 オレの答えを聞いた姫川は下がる。遮るものが誰も居なくなってサードニクスの姿を再び直視することになる。

 さっきまで昂っていた神経は落ち着いており、これから感情が爆発することもなさそうだ。


「泣き言は十分か?」


 相も変わらず嫌な態度を変えずにサードニクスは口を開く。


「おかげですっきりした。思う存分、やってやるよ」


 中段に構え、右足を半歩退く。


「なら、全力でかかって来るんだな。俺はお前を殺すつもりでやる」


 声音を耳にするだけで、あの情景が蘇りそうになる。深呼吸をして無理やり蓋をする。


 ザッと靴が床を擦る音が聞こえ、サードニクスが飛び出す。


「ぬうああああああ‼」

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