第153話 偶像5(葵サイド)
今日は何月何日だろうか。ずっと同じ光景ばかりを見ているせいで葵の曜日感覚はもう狂ってしまっている。とはいえ、もう反逆をしようとしないことを証明できたためか手枷足枷は外され、椅子に拘束されていない。ある程度の自由は許容されるようになった。監視用の首輪は外れていないが。
栞を挟み、『リア王』を本の山に追加する。何度も読んでいても、あの容赦がない、残酷な結末だけは受け入れ難い。最後は少し駆け足で読んだ。もうそろそろ食事が運ばれてくる時間だからだ。
コンコンと正面の扉を叩く音が聞こえて顔を上げたが、
睡眠不足で隈が出来た目と艶が消えている肌。見ているだけで不健康でまともに休んでいないことが伺える。
こんな状態でも歩みを止めることなくここに来るということは、策を既に胸に秘めているのだろう。下手に刺激しないように普段通りに接する。
「今日の配膳係はシェフ直々かな?」
「悪いな。私は料理など出来ん」
当然のように手にはプレートなど存在していない。代わりに1枚の封筒がある。開けて取り出すと葵に見せつけるようにアクリル板に押し付けた。
見ようと目を見開き、その内容に目を見張った。
「何の冗談?」と思わず噴き出してしまった。対する
「お前の処刑が決まった」
「の振りだろ?」
これから行われる猿芝居に巻き込まれることに辟易して葵は生返事で答えた。
「迫真の舞台になるかどうかはお前次第だ」
「敵さえいれば賞を取ってあげるよ。そのあとでビールかけでもするか?」
「乱痴気騒ぎは苦手だな」
「中々いいもんだよ?信頼できる奴らと酒飲むの」
口走った後で地雷を踏みぬいたことを思い出した。謝ろうとしたところで先に
「姉と戦う覚悟は出来たか?」
ズキンと胸が痛む。乾いた笑みが零れた。
「嫌なところを突いてくるな」
「姉を殺すことに抵抗があるのか?例え吸血鬼でも」
「失礼な物言いだな。化け物は家族を愛さないとでも思ってるのか?」
「愛さないが故に我々の理解が及ばないところにいる」
「なら、この際ハッキリさせておこうか」
小さく息を吸い込み、葵は顔を上げる。
「アタシは姉を敬い、愛している」
「そして、恐れているか?」
付け足すつもりのなかった言葉を
「守ってもらうなら敬意と恐怖は必需品。愛するってのはいい面ばかりじゃないからね。適度な躾も必要だ」
自分で口にしていながらとんでもない矛盾だと心底思う。
姉が、グラナートが自分を見る目はそんなものじゃなかった。
虚無。或いは慈愛。或いは期待。
手合わせのときに負けたアタシに向けていた目。
ベッドの上でアタシの髪と肌を愛でる手。
耳元で囁く甘さと辛さを帯びた言葉。
全部が嘘のない本当。濃密で蜘蛛の糸のようなしつこさを持った生々しく蠢く真実。
「お前は姉が命令するなら死ぬのか?」
「さぁ、分からんな」
曖昧な言葉を返す。戦うことは決まったも同然で、避けようがない。
それでも、自信はない。どれほど強い言葉を言ったところで、溝を埋めることは出来ない。
つぎはぎだらけ、ボロボロで何か起きれば、あっさりと折れてしまうかもしれない脆弱さ。
誤魔化すように閉じた本を手に取って栞を抜く。
「それでも、前に行かないといけないことも事実だな」
アクリル板の前まで移動し、葵は「バンッ‼」と掌を力一杯に叩きつける。僅かに罅が入って眼前にいた
「認める。そう判断していいのか?」
「ああ。アタシはお前の側で戦う。ただ、1つだけ条件がある」
「条件?」
「姉さんを倒すのはアタシだ。それとアタシに隠し事は無しだ」
「大きく出るな。私たちが対等だと?」
「アタシを切り捨てることが出来るか?戦力が満足になく、アタシと真理たちに頼らざるを得ない状況だ。大きく出るとは考えなかったか?」
忌々し気に
「アタシの部下も既に保護下だ。今更殺すか?それにアタシを殺せば、あいつらは絶対にお前に味方をすることはない」
畳みかけるように葵は続ける。それを受けて芥子川は押し黙る。
「いいだろう。お前と私の立場は対等だ」
言質を取った葵は笑みを浮かべ再びアクリル板に手を当てる。
「しかし、隠し事を無しというのなら、お前について教えてもらおう。これまでに黙っていたことも含め、余すことなく」
「お前が対等だと言ったのだ。そちらばかりが条件を突き付けるのはフェアとは言えない」
「嫌なところを突いてくるね」
「嘘はついても約束は破らない。お前はそういう奴だ」
「アタシの過去をどうしてそこまで知りたがる?予め言っておくが、戦力となりえるような情報にはならんぞ?」
「信用にしろ信頼にしろ口約束で終わらせるほどにお人好しじゃない。いくらお前とて裏切らないという保証は何処にもない」
「アタシを縛る鎖が欲しいか。信用ないんだな」
「私のスタンスは誰であろうと変わらない。部下であろうと、協力者であろうと」
表情は変わらない。だとしても、連ねられた言葉が
信じる相手が、誰かに身の内に抱えている傷を誰かと共有したい。その思いがひしひしと伝わってくる。
―それは、アタシも同じか。
自嘲の笑みを浮かべ、ギュッと胸のところを握る。
抱えている傷に犯されているのは、お相子だ。
「いいよ。話すよ」
清々しい、憑き物が取れたような笑みを浮かべて葵は口を開いた。
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