第150話 偶像2(九竜サイド)

「で?ボクの枷を外してくれた理由は何なの?」


 数日ぶりに手枷が消えた姫川はググっと体を伸ばしている。ジトッと睨みつける彼女の目をデスモニアは完全にどこ吹く風でスルーしている。彼女の姿も相まって母親に突っかかる子どものようだ。


 目が覚めるような深紅のドレス。所々に使われている黒い布がいいアクセントだ。高く結ったワインレッドの髪と見事にマッチしている。気品に溢れる姿は吸血鬼でないと知っていれば余程の捻くれ者でもない限りは貴婦人だと受け取ってしまうほどだ。


「ちょっとした余興に付き合ってもらおうと思いましてね。そろそろ傷も癒えるころでしょうし、退屈するかな、と」


「ふーん。こんなおめかしさせるってことはダンスでも踊るの?」


「私と踊ってくれますか?お嬢さん?」


 ふざけてデスモニアが手を伸ばす。姫川は「嫌だよ」とにべもなく返す。


「まあ、そんな冗談はいいや。何を見せてくれるのか教えてくれる?詰まらない話とか聞く気はないよ?」


「悲劇とかはお好きじゃなさそうですね」


「大っ嫌いだよ。現実って悲劇で十分すぎる」


 再び姫川は拒絶する。デスモニアは「あらあら」と困った顔を浮かべる。


「ご希望はありますか?」


「甘い物を口にしたいんだけど。ここ最近何も食べてないからそろそろ糖分が不足しているんだよね」


「その要望には応えられませんね。私たちはあまり口にしないので」


 話が終わる気配はない。応酬はまだ続く。


「嫌なら帰って構いませんよ?」


 言い残すとデスモニアは歩き出す。


「行く?」と姫川がチラッとオレを一瞥する。


「行きましょう」


 肯定するとオレたちはデスモニアの後に続いた。


                    ♥


「いいぞ‼殺せェ‼」


「やれやれ‼」


「ぶっ殺せェ‼」


 ステージの上で役者たちが舞う。大理石を敷き詰めた舞台には相応しくない殺し合いが絶賛繰り広げられている。


 革鎧を纏って手に剣と盾を、戟を携えて斬り合って刺し合う。血が舞い、その赤が駆り立てるように血を求める叫びをヒートアップさせているように見える。今にもこの空間を粉砕してしまいそうなほどの熱狂ぶりだ。


 我関せずと言わんばかりにスタスタと気にすることなくデスモニアは前に進む。


「ここは…?」


「私たちにとっての暇つぶしの場ですよ。今日は空席を埋めるための試合をしているところですがね」


「空席?」とオレが疑問に思っていたことと同じものを抱いていた姫川が口にする。


「つい先日に私の同僚が死亡しましてね。体裁は整えておく必要がありますから」


 心当たりがあるどころか殺したのはオレだ。


 背骨を鷲掴みにされてじっくりと舐められているかのような気持ち悪さに襲われる。直後に口から飛び出しかねないほどの衝撃に襲われる。


「君ですよね?ポルリルーを殺したのは?」


 恐れていた言葉がデスモニアの口から放たれる。口と唇がカラカラに渇いてすぐに言葉を返せない。


 余計な言葉を口走ったら、殺されてしまうかもしれない。


 オレは周囲を見て、その人物たちが吸血鬼だと思うと心臓の中心まで凍り付くほどの恐怖に襲われた。きっと顔面蒼白。自分でも分かってしまうほどに汗が噴き出し、スーツが濡れていく。


 吐き気がする。今にも吐き出してしまいそうなほどの悪寒に襲われる。手足が震える。意識していないと倒れてしまいそうなほどに。歯がガチガチと音を立て、呼応して更に恐怖心が膨れ上がる。


「大丈夫だよ」と姫川が耳元で囁き、オレの手をギュッと握る。


 温かく、柔らかい掌の感触に荒立ちつつあったオレの精神は少しずつ和らぐ。それを読み取ったのか彼女は握る力を強める。


 一呼吸を置き、唾液で唇を湿らせる。


「確かにオレがやりました」


 真正面から答えた。脇汗でシャツはビショビショ、体は強張ってガチガチ。それでも、口を動かすことは出来た。


「敵討ちなんて言いませんから安心してくれて結構ですよ」


 柔らかな声音でデスモニアはオレに言葉をかけ、席の1つに腰かける。勧められてオレたちも観客席の1つに腰かける。


「私たちに仲間意識なんてものは基本的にありませんから。戦って死ぬ。死ぬために戦う。勝ったら生きて、敗けたら死ぬ。それだけです」


 ツカツカと後ろから誰かが近づいてくる。口では何もしないと言いながら殺しに来たのかと思って身構え、振り返る。


「大丈夫ですよ。私の部下です」


 近づいてきた女性はフードを外す。拍子にブロンドの髪が揺れる。切り揃えたショートヘアが印象的で一目で真面目な女性ということが分かる。眼鏡も一役買っている。


 西洋人形を思わせる端正な顔立ちに深海色の青い瞳。白銅色のローブが何処か現実味がない。まるで童話から登場した魔女を彷彿とさせる。


「クリスティーヌ・ヴェローナ。以後お見知りおきを」


 優雅に一礼する姿はデスモニアに負けず劣らず気品がある。バスケットからグラスを取り出し、彼女に渡してなみなみとワインを注いだ。作業を終えるとヴェローナはデスモニアの背後に控える。


 勢いよくグラスが傾き、中のワインがデスモニアの喉を通って腹の中に消えていく。あっという間に空になったグラスにヴェローナがワインを補充する。それが幾度か続く。周囲が見る目を無視して飲み続けるデスモニアに呆気に取られた。眼前で行われる試合に欠片も興味を抱いていなかった姫川もこの吞みっぷりには惹かれたようで瞳を動かして姿を見ている。


「ふぅ…」と小さく溜息をつくと同時にグラスをヴェローナが回収した。


 ワインボトルを1本飲み干しておきながらデスモニアの顔色は変わっていない。


 そんな彼女と対を成すかのように、目の前で行われる戦いはいよいよクライマックスに突入している。観客たちのテンションも高まっている。


 席が近いこともあって戦士たちの体に浮き上がっている汗、流れる血が鮮明に見える。革鎧は所々が切れている。


 誰も彼もがオレたちの会話には目を向けていない。オレたちの周りに壁が出来て隔離されているような感覚を覚える。


「こんなものを見せて、オレに何を言わせたい?」


「私たちのことは知ってほしいんですよ。最初に言ったでしょう?戦いが終わったら全てを話す、と」


 言葉を区切り、デスモニアは試合に視線を戻す。チラッと横を見ると姫川は小さな寝息を立てている。すっかり我関せずのマイペースな態度に嘆息した。


「どう思いますか?この光景を」


 行われる試合は互いに傷を刻むたびに高まるのか酔っているかのように思える。昔読んだ剣闘士の試合を思い出した。


「碌なもんじゃないな。人のことは言えない気はするが」


「私も同じですよ」


「合わせているのか?」


ーそれが本心?


 分からない。だが、信用するには値しない。根拠らしい根拠など何もないのだ。感情論に縛られればこいつにいいように利用されるだけ。


「私は合わせてませんよ。どうしようもないほどの本心です。私にとって、対処しなければならない事態は全く別の方向にある」


「これをオレに見せているのは、余計な敵愾心をへし折るためか?」


「正解ですよ。私個人は戦争を望んでいない。その証明です」


 力強い彼女の声。嘘を感じられない硬さがある。


「確かにアンタは望んでいるかもしれない。だが、周りはどうだ?オレがあの吸血鬼を手にかけた者だと知ったら襲い掛かって来るだろう」


「真っ当な話し合いは不可能でしょうね。ですが、抑えることは十分に可能です」


 ヴェローナから煙草を受け取ってデスモニアは火をつける。妖艶な美女がダウナーな表情で煙草を味わう姿は何とも退廃的だ。


「平和を望んでいるのなら話し合いが最も合理的な手段だ。戦争は外交手段の中でも悪手中の悪手だからな」


「そちらにとっても悪い話ではないでしょう?1人の犠牲で平和が担保されるのであれば。元々はこちら側の存在。別に余計なことは気にしなくていい。それが運命ですから」


 ―運命。


 その言葉がオレの頭の中でリフレインする。何度も、何度も。まるで自分が言われているように錯覚しそうになる。


「カルナがこちらに居てくれれば、女王陛下も大人しくなる」


「何故、あいつにそこまで執着するんだ?女王の妹を呼び戻すなんて争いの火種を呼び込む原因を作るだけだ。私情で言っているのか?」


 デスモニアの目が揺れたが、すぐに元に戻る。この程度の出来事には慣れているのだろう。


「否定はしないですよ。君にはあっさりと見破られそうですからね」


 小さく息を吐き、潤んだ瞳は彼方を見る。


「私にとって彼女は忘れられない存在。親友、戦友、幼馴染。私にとっての憧れ。2人に焦がれて強くなろうとした。言葉にすればそれだけ。ですが、それ以上の重さがある」


 一筋の涙が頬を濡らす。透明だった色はメイクに触れて少しずつ黒く染まっていく。


「オーバーにもほどがあるな。泣き落しは残念ながら通用しない」


「本当の事ですけどね」


 目尻に溜まった涙を指で払うとデスモニアはこれまでも見てきた笑みを浮かべる。切り替わりの早さに彼女への恐怖心が膨れ上がる。


「お前が言っていた委員会への提供物はなんだ?」


 このままでは話の流れをデスモニアに持っていかれると判断し、オレは話題を切り替える。


「私たちの限りない不死に近い肉体。それを手に入れたいと」


 心臓が消滅しない限りは活動し続ける肉体と人間を優に上回る回復速度と身体能力。何も知らずに目の当たりにしたら、求める理由も理解は出来る。限りなく完成された生命と口にしたところであながち間違ってもいないだろう。それは確かに魅力的だ。


 しかし、至れり尽くせりの能力でないことはデスモニアの行動を見ていれば分かる。余りにも必死に駆けずり回る様子が何よりの証明。委員会ですら知らない何かを、こいつは抱えている。或いは、連中はその代償を知っていながら目を瞑っているのか。


 加えて、連中が無償でそれを提供するはずはない。何かしらのバーターを求めたはず。


 葵個人を狙っているのなら、単独でいるところを襲撃すれば話は終わり。わざわざ拠点への殴り込みなんて誰がどう見てもリスク大と取れる行動を取る必要はない。


「私が条件として提示したものは、『メルクリウスキューブ』ですよ。聞いたことはありませんか?」


 葵を条件に提示していないということは、彼女はまだ『羽狩』に所属していなかったという可能性。或いは、葵の立ち位置は次点。最優先事項であるように思わせておきたいだけという可能性もある。


 気になるのは、『メルクリウスキューブ』と呼称されている存在。名前から判断するに何らかのアイテムだろうか。


「知らない」


 オレは余計なことに言及せず、淡白に答える。追及したところでデスモニアが答えはしないだろうことは容易に想像が出来るから。その証拠に彼女の目がスッと光が消えて鋭くなる。


「今の話は忘れてください」


「そのうち知ることになるからか?」


「言葉に見合うだけの強さを君が身に着けることが出来ればという前提があっての話ですがね」


 言葉を受け、オレは拳を握る。


「絶対に…生き残ってやるよ」

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