偶像

第149話 偶像1(九竜サイド)

 ベッドから起き上がると、オレはデスモニアから渡されたスーツを手に取る。丁寧に畳まれ、皺一つない純白のスーツは目が覚めるほどに鮮烈だ。


 着替え終わるとオレは姫川に姿を晒す。彼女に見せたところ互いに感想を述べようという流れになったからだ。とはいえ、肝心の彼女は手鏡を見ながら髪をセットすることに夢中のようで着替え終わったことに気づいていない。


 咳払いをして姫川の気を引く。そもそも、スーツを見たいと言い出したのは他ならぬ彼女。ジト目に見据えられ、掌に力が入った。


「…どうですか?」


 姫川は顎の下に手を当て、一張羅姿のオレを見ている。


「あんまり似合ってないね。子どもが背伸びしてる感じがする」


 グサッと胸を抉る。容赦のない評価は姫川という少女の性格をよく表しているように思えた。とはいえ、向けた言葉は次に自身へ返ることになるかもしれない。


「次はボクだね」


 立ち上がると姫川は離れに移動する。実のところオレたちはまともに服を着ていなかったため彼女は掛布団で身を包んでいる。消えた先で衣擦れする音が聞こえる。


「ねぇ」と声が聞こえ、オレは「何?」と返す。敬語が抜けたことに姫川は特に言及してこなかった。


「帰るつもりでいる?」


 阿ることなく姫川は核心をつく問いを飛ばしてくる。


「遠慮しないですね」


「ハッキリさせておきたいからね。ボクの立場は変わらないけど」


「そっちは?」


「何もしないよ。あくまで中立でいたいね」


 毅然とした態度で姫川は冷静な言葉で返し、理由を述べる。


「吸血鬼と手を組むつもりはないし、仲間と敵対するつもりはないからね。ボクにだって超えたくない一線があるんだよ」


「吸血鬼と繋がっていると知ってましたか?」


 その言い草に少し腹が立ってオレは爆弾を投下した。


 衣擦れの音が止まる。殴られる可能性もあると思って身構えた。


「委員会も芥子川けしかわも繋がってることは知ってたよ。まあ、だからって話だけど」


 抵抗する素振りを見せることなく姫川はあっさり認めた。


「本気で言っているんですか?」


「大っ嫌いなものを大っ嫌いって言うことが悪いと思う?」


「大っ嫌い?」


 言葉の意味が分からずオレは鸚鵡返おうむがえしに尋ねる。


「吸血鬼以上にボクは人間が大っ嫌いなんだよね」


 想像していなかった衝撃の言葉に返す言葉がない。


「あれ?もしかして全く予想してなかった?」


 予想外もいいところだ。指で数えるほどしか会話を交わしたことがないにしても、姫川の対応に問題らしい問題はなかった。強いて言えば口が悪い程度。


「この仕事はどうして?」


「ボクはこの仕事しかなかったからこの仕事をしているだけだよ。他に選択肢が無かったってだけの話。ま、仕事をするたびに人間の醜悪な面を拝んで胸糞悪くなるし、セクハラしてくる同僚はいるし、一々突っかかってくる同僚はいるしで天職とは言い難い職場だったね」


 尋ねた以上の答えが打ち返されて答えに詰まる。後半の個所については完全に愚痴だ。語気の強さから考えるにかなりのストレスが溜まっていることが伺える。特にセクハラ部分が強かった。


「それでもね。ボクは捨てたくないんだよ。僅かな繋がりだから」


『繋がり』という言葉が頭の中でリフレインする。


 オレの手からすり抜けてしまったもの。もう、手にできないかもしれないもの。


「そろそろ、質問に答えてよ」


 姫川は話の軌道を元に戻す。


「あいつらと手を組むつもりはありません」


「じゃあ、これからも『羽狩』で戦うつもり?」


 そこを突き付けられると回答に窮する。どっちに着いたところで、破滅する可能性が高い。


 手段自体は無いわけではないが、オレが好きに出来る状況にはない。強力な後ろ盾と期待できる存在は居ない。


「戦争は独りじゃ出来ない。分かってる?」


「分かってます。でも…」


 誰かが死んで、誰かが苦しむ顔を見たくはない。


 オレと同じ思いをする人間をこれ以上増やしたくない。


 それに、今のオレにとって大切になった人たちを失いたくない。


「話して来れば?」


 何気なく姫川が口にし、言葉を更に紡ぐ。


「弦巻を狙っている以上は元のチームメイトたちとぶつかり合うことになるだろうからね。自分が取るべき道をそこから考えてみなよ」


 ドクンと鼓動が強く打つ。舞い降りたチャンスへの期待ではなく、皆と顔を合わせることへの不安。


 不安があるというより、不安しかない。募るばかりだ。


 吸血鬼と共に戦うことになるオレを橙木とおのぎと昼間は許さない。一時とはいえここに身を置いていたオレを許しはしないだろう。


「この事態を気にしてるならさ、君のせいじゃないでしょ?脅されて従った。違う?」


 確かに、その通りだ。それでも、だ。


 自分で選んだ。その事実は、消しようがない。


 脅されたとしても、結局はオレ自身が取った。外から見れば、関係はない。


「どんな顔をして、皆に会えばいいんでしょう?」


「いつも通りでいいと思うよ?だって、君は君。何も変わってないでしょ?気にしすぎだと思うけどね」


 他人事だからか、彼女自身の気質故か。同じ地獄を目の当たりにしているはずなのに姫川は何処までも冷静で、何者にも囚われていない。自由だ。


「嫌?後ろ指を指されるの?」


「どうして陰口を叩かれることを許容できるんですか?」


 オレの答えに姫川は溜息をつく。


「持論だけど、万人が愛してくれる人間は例外なく骨がない。傷だらけでも真っ直ぐ進むほうが真っ当だよ。だから、何を言われても殴られても気にする必要はない」


 明確で、付け入るところのない回答をぶつけられて黙る。


「帰りたいなら帰る。それでいいじゃん」


 言いすぎてしまったとでも思ってかフォローとも受け取れる言葉をかけてくれた。


「…ありがとうございます」


 胸にはまだ重しの如く不安が鎮座している。


 それでも、帰りたい、あの場所もまた自分の居場所であると思えているから。


「着替え終わったよ」


 暇つぶしの話とは思えないほどに濃密な話に幕が引かれる。いよいよ主演の登場となる。


「まだ振り向かないでね」


 振り向こうとした直後に釘を刺される。目の前で人参をぶら下げられているようでじれったい。


 視界が突然暗闇に閉ざされる。顔の上半分に流れ込んでくる温かさが姫川の手がもたらしたものであると予想するのは難しくはない。


 見たくないものを覆い隠すような行動。気を使ったからこその行動なのか彼女自身の保身故の行動かは分からない。


「ボクのほうが綺麗だったら、何かくれる?」


 普段と違う蠱惑的な声で囁きかけてくる。耳元だと吐息の1つ1つがくすぐったい。とはいえ、冷静に考えるととんでもなく恥ずかしい光景だ。加えて、彼女に等しい女の子がいる身でこれは浮気にならないかという考えが頭をよぎる。


「金ですか?」


「金は腐るほどあるよ」


「欲しいブランドが?」


「無いよ。自分の給料で十分に賄えてる。あと宝石はあんまり好きじゃないんだよね。扱いめんどくさいし」


 何を望んでいるのか、何を彼女が突き動かしているのか。これまでの姫川の言動や行動を可能な限り精査する。


 身だしなみに常に気を配る、容赦なく本音をズバズバ言うさっぱりした気質、他者に対する丁寧な気遣い、職務に対する真面目な態度。上位クラスの吸血鬼と互角に打ち合うことが出来るほどの実力。


 結論から言うと、良い人(美人)+実力者以上の評価は下せない。しかも、姫川が欲しがる答えに辿り着くためのピースは転がっていない。


「…すみません。全く分かりません」


「あらら。もうお手上げ?」


 ニヤニヤ笑ってるんだろうなと想像がつくほどに明るい声が聞こえる。


「まあ、いいよ。別に深い意味はないからね」


 手が離れると視界が明転する。体がゆっくりと後ろに下がる。反転した状態で姫川の姿が目に入り、ズッと顔が近づいてくる。


 しかしながら、周りにはオレよりもカッコよくてしっかりしたイケメンの女性たちが余りにも多すぎやしないかと疑問に思う。


「でも、体はちょっとヤワじゃない?もう少し肉食べなきゃダメだよ?」


 覗き込む姫川の顔と髪型は変わらない。起き上がって姿勢を正して向き合う。


「どうよ?」


 ドヤ顔。自分の美しさに対する自信、絶対に負けないという自負が体から溢れ出ている。


 見た瞬間に、負けを認めた。認めざるを得なかった。星なき空を舞う蝶のように麗しい。


「…参りました」


 余りにも似合いすぎていたのだ。冷静にして思うと、本当に何をやっているのだと疑問に思う光景。


 今日渡されたはずだった江戸紫のロングワンピースはこれまでも着ていたと言われても納得してしまうほどにピッタリとフィットしている。大胆に晒している二の腕の白さに魅せられそうになる。


「ありきたりな感想は面白くないね。ちょっとぐらいは一味違う感想が欲しいよ」


「…美人?」


「それ感想じゃないよね?」


 浮かべる微笑がこの上なく恐ろしい。表情と内の感情がまるで一致していない。余計なことを口走らないほうが得策と判断して口を噤む。


「ま、いいや」と吐くと姫川は近づけていた顔を離す。


「女の子の話し方、褒め方は今度教えてあげる」


 ドヤと擬音を付けたくなるほどに堂々とした顔を晒していた姫川の顔から笑みが消える。


 直後にデスモニアが扉を開けてずかずかと踏み入って来る。最初からずっとここに入るタイミングを伺っていたと言わんばかりに絶妙だ。


 今は一応味方であるとはいえ、身構える。姫川はオレ以上に身構えている。武器さえ持っていれば飛びかからんばかりだ。


「さて、お召替えも終わったようですし、私たちのこれからを決めましょうか」

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