第147話 結解35(橙木サイド)

 自分の状況を俯瞰する。受けたダメージ、武器を扱えないという状態。あと一発を打ち込むだけで限界だろう。


「ちゃんと考えて打ち込めよ。あと1回分ぐらいが限界だろ?」


 見破られていることは想定内。あとは、どのタイミングで打ち込むか。


 グッと拳を握り締める。ジッとしてくれているとは思えない。向こうも、討ち取ろうと先制攻撃かカウンターを仕掛けてくるはずだ。相打ちに打ち込もうとしても恐らくはパルマの威力の方が高い。まともにぶつかり合うのは得策ではない。


 しかし、チャンス自体はまだ存在している。多少の犠牲を支払うことになるとしても敗北という状況は避けることが出来る。


 あくまで、パルマがこちらの考えている通りに進んでくれるならの話だ。勿論、ノーリスクとはいかない。当然、ギャンブルになる。


 賭け事は苦手なことを思い出しながら、全部をベッドしようとしている姿に自嘲しそうになる。そんなことをすれば気取られることになるから顔には出さないが。


「来いよ」


 パルマは両手を広げ、余裕の表情と動作をしている。仕掛けてくると思わせておきながら動き出さないのは、油断を誘っているのか。


「そちらからどうぞ」


 昼間は自分から仕掛けずにパルマを挑発する。一瞬だけ目を見開き、くつくつと笑い声をあげる。徐々に大きくなっていく。


「じゃあ、遠慮なく‼」


 パルマはあっさり誘いに乗って昼間の腹部に拳を打ち込む。だが、拳は腹部に触れることはなく、寸前で受け止められる。受け止めた左手には強い衝撃が走る。ひとたびでも意識を手放すような真似をすれば確実に暗闇に落ちてしまうほどの威力があった。


「あ?」とパルマは間の抜けた声を上げる。一瞬だけ、瞳に動揺が走る。それを昼間は見逃さなかった。


「こっちも遠慮なしに‼」


 空手の右手を握り締める。今出すことが出来る最大の力だ。


「いかせてもらいますよっ‼」


 放った右拳がパルマの頬にめり込む。確かに入ったと分かるほどに十分すぎるほどの一撃だった。


 しかし、彼方に吹き飛ばすほどの威力はなかった。顔を明後日の方向に向け、両足を踏ん張った体勢でパルマは耐え抜いた。


「いい一撃だったぜ。思わず目を閉じちまった」


 口角を上げ、垂れる血を残っている手で拭う。言動、行動。全てから大した効力を齎すことはなかったのだと分かる。


「こいつで終わりだ」


 捕まった手はそのままに、パルマの拳が昼間の顔に襲い掛かる。


 先の一撃に全てを賭けていた昼間は対処することが出来ず、直撃を顔面に受けた。


                    ♥


「あ…」


 破れ、倒れる昼間を前に真理は無意識に口にしていた。手を伸ばしても届かないのに、手を伸ばす。その手が彼に届くことはなく、何を掴むこともない。


 最初にダウンしたときと違って起き上がる気配はない。完全に力尽きてしまったようだ。反対にパルマはまだ余力があるようで肩を回しながら観客席に目を向ける。


 目が合った。未だ熱が冷めやらぬ瞳は獲物を求める肉食獣を思わせる。試合が始まる前に、部屋で揉めていたときと全く違う好色さはまるで感じない。まだまだ暴れ足りないのだと叫んでいるようだった。


 しかし、恐ろしかったのは始めだけで、真理は視線に既視感を覚える。正体は分からない。ドーナツのように肝心の中央が欠けてしまっていて朧気だ。


 革靴を鳴らしながらパルマが接近してくる。舞台と客席は繋がっていない。襲われるとしたら、此処から出るとき。だが、そんな楽観が通用するような相手でないことはもう理解できている。


 ハードルを乗り越えるかのような軽い足取りで飛び、パルマが客席にまで乗り込んで来る。距離は目と鼻の先だ。


 パルマが作り出した影が真理を覆う。光を遮り、爛々と瞳を光らせる姿は、吸血鬼のようで不気味極まりない。


 見上げると、瞳には好色と残虐の色が前面に押し出されている。いよいよ危険であると真理の頭の中にシグナルが発せられる。


「約束だ。お前は俺のだ。大人しく言うことを聞いてもらおうか」


 真理の顎にパルマの手が触れる。俗に言う顎クイというやつ。やられたのはもちろん初めてだが、全く心が躍らない。途轍もなく不愉快だ。こんなものにときめく奴の気が知れない。


「お前みたいな気が強そうな女は大好物だ。処女なら尚更な」


 妨げる者はない。ここにいるのは自分たちだけだと言わんばかりの態度だ。


「私のことをお忘れですか?パルマ隊長?」


 見かねた、或いは我慢が限界を超えたのか貴船が立ち上がる。一瞥だけするとパルマはすぐに視線を真理へ戻す。


「忘れちゃいないよ。でも、お前は部外者だろ?これは俺の部隊の話だ」


「確かにこの問題を引き起こしたのは彼女。庇い立てするつもりはありません。ですが…」


「凌辱は許さないってか?」


「見たくもないものを見せられそうになって抵抗をするのは当然でしょう」


「じゃあ、ちゃんと見ないとな。これが敗者の末路だ。見たくないものから目を背けているようじゃあ、この先を生き残るなんて夢のまた夢だぜ?」


「真に勝者であるのなら優しさこそ必要でしょう」


「敵に慈悲は必要ねえ。仲間になろうと明日には敵。いや、10秒後にはまた銃口を向け合う関係になるかもしれねえんだよ。それとも何か?姫川の受け売りで対話がとでも言い出すつもりか?」


「いたずらに戦火を拡大すべきではない。私はそのように言っています」


「対話で物事が片付くなら俺たちはいらねえってわけだ。じゃあ、何でここに居る?未だにその火種をばら撒くだけの仕事を永遠としてるんだ?」


 貴船もパルマも両者とも引き下がる気配はない。薪が少しずつ熱を帯び始めるように空気が熱を帯び始めている。武力衝突に至るまでに大した時間は必要ないことは容易に想像が出来る。


「分かってるぜ?時間を稼いで糸場が帰ってくるまで待つ。違うか?」


「仰る通りです」


 隠すつもりはないようで貴船はあっさりと手札を晒す。


「やけに素直だな。だからと言って、俺が高々お前ら2人に負けるとでも思うか?」


「負けはしないでしょう。隊長の実力は知っています。まともにぶつかり合うことが愚策であり、本気を出させることが自殺に等しいことも」


 そこまで言い、一呼吸を挟んで貴船は続ける。


「ですが、時間を稼ぐだけなら3人だけでも出来ないわけではない。ご理解していらっしゃいますよね?この状況がご自身にとって不利であることを」


 貴船は一気に捲し立てる。今度は互いに黙る。答えを待つ貴船と算出しているパルマ。両者の頭の中で何が蠢いているのかは分からない。


 少しして、パルマの手が離れる。


「言うとおりだな。下手にあのガキを刺激してもメリットはねぇ。何なら、ペナルティ付きだ。楽しみが無くなっちまう」


 ポケットに手を突っ込んでパルマはつかつかと歩き出す。


「ま、機会はまだあるだろうからな。別に今じゃなくていい」


「これから先もありませんよ。契約違反はしっかりと抗議させていただきます」


「契約違反だ?」


「彼女たちには傷をつけない。これを守れないなら任せるわけにはいきません」


「一方的な遵守なんざやられ損もいいところだぜ?全人類が善人ばっかりとでも思ってやがるのか?」


「私はそれを理想とし、叶える。そのために戦っています」


「ハッ」とパルマは鼻で笑い、言葉を返すことなく出て行った。緊張の大本が居なくなったことで空気は弛緩していく。


「はぁ~」と盛大に溜息をついて貴船は椅子に腰を下ろす。


「大丈夫でした?」


 そう言って、真理の顎に触れる。手入れが行き届いている柔肌の白い手は冷や汗でじっとり濡れていても不快さを全く感じない。


「大丈夫です。あの、重ね重ねありがとうございます」


 立ち上がり、真理は頭を下げる。


「大したことではありませんよ。ただ、あのまま見ているなんてできなかっただけです」


 気恥ずかしそうに、さっきよりも小さな声で貴船は答える。


「1つだけ、ハッキリさせておきたいことがあるのですが…」


「申し訳ありませんが、私にも守秘義務があります。ご了承ください」


 取り付く島もない。明確に、言葉を濁すこともなく拒絶される。


 しかし、今さっきの言葉で弦巻葵が生きているということは間違いがないと確信に変わった。何処にいるのかまでは分からないが、大きな前進と言える。


「代わりになるかどうかは分かりませんが、私たちのところに来ませんか?勿論、彼と相談してくれて構いません」


 貴船の目線が彼方へ動く。釣られて振り向くと昼間が入り口で立っていた。


 歩けるようにはなってはいるが、蹴られに蹴られ、殴られた跡が生々しく残っている。すぐにでも医務室へ連れて行かなければと思うほどに酷い。


「お前が決めていい。俺はそれを支持するよ」


「でも…」と真理は言い淀む。


 全部、自分が招いた事態で、彼は巻き込まれた。そのせいで、負わなくても良かった怪我をあんなに負わせてしまった。


 だから、決める権利は、全て彼にある。


「俺が任せたいんだよ。あんまり頭使うことには慣れてないからな」


「ふざけたことを言わないで。大事なことなのよ?」


 あんまりな物言いに、真理は顔を険しくして抗議する。それに昼間は笑って答える。


「大事なことだから信頼できる人間に任せたいんだよ」


 その言葉が音叉を水面に当てたように伝搬する。


「どうして…?」


 失敗しかしていない。思え返さずとも、失敗ばかりだ。


 昼間にも酷い態度を取った。拒絶して、冷たい言葉をぶつけた。


 それなのに、何故だろう?どうして、信頼してくれる?信用されている?


「全部言わせるなよ…」


 真理の問いかけに昼間は肩を竦ませる。それが何を意味しているのか分からないほどに真理も鈍くはない。


「…分かった」


 意思を受け取り、真理は貴船と真っすぐ視線を合わせる。


「戦います。貴女たちと」


 差し出された手を貴船は取り、強く握りしめる。真理も強く握り返す。

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