第146話 結解34(橙木サイド)

 少し前。


 無人のスタジアム。1人で待つ時間はこの後に控えている模擬戦もあって体中を緊張が支配している。

 とても落ち着かない。頭の中を不安が巡り巡っている。その度にネガティブな考えが降って湧いて、消えてくれない。


 昼間に勝機はない。そんなことは、説明されるまでもなく分かっている。実際に攻撃を受ける寸前まで追い込まれたのだ。


「どっちの応援してる?」


 隣の席に面識のない人物が腰かける。その姿に面食らった。


 年齢10代前半と思われる少女。吸血鬼と戦うと言われたところで納得などしようも無いほどに華奢な体。顔立ちもあどけない。実年齢よりも体の成長が遅れているという線は薄いだろう。


「答える必要がありますか?」


「まあ、決まってるよね。あ、あたしは糸場銀麗いとばぎんれい‼これからよろしくね‼」


 返事のついでと言わんばかりに彼女は名乗った。

 平静を装って真理も「よろしく」とだけ答えておいた。


「この勝負、どっちが勝つなぁ~」


 誰に言うでもなく、あくまで独り言を言うようにこれから行われる予定のゲームの感想を述べる。無神経極まりない言葉が嫌で真理は聞かなかったことにした。


「ね?マーリンはどう思う?」


 意図してかしていないのか糸場は無神経な質問を真理にぶつける。しかも、勝手なあだ名までつけている。それがアーサー王伝説の魔術師の名前というのが余計に神経を逆撫でる。


「申し訳ありませんが、話かけないで下さい」


 相手にするのも嫌で真理は糸場を退けようとする。だが、この行動が結果的に彼女の嗜虐心を見事に刺激することになってしまった。


「え~。何か感じ悪~い。友達いないでしょ~?」


 中途半端に時間が経過してしまったガムテープのように鬱陶しく糸場はしつこく粘着してくる。


「貴女、何のつもりですか?」


 殴りたくなるような顔をしている糸場の顔を見ながら無理矢理に真理は怒りを抑え込む。立場が上かどうかは分からないが、どうしても子どもを殴る気にはなれない。


「もっとお話ししたいだけだよ?仲良くなりたいんだよ?」


 満面の笑みを浮かべて糸場は真理に迫る。鼻先というところに来て、彼女の体が反対側に引っ張られる。いつの間にか別人が立っていた。


「すみません。うちの子が」


 後ろに現れた人物は真理に申し訳なさそうに謝罪し、糸場を睨む。それを目の当たりにした彼女の顔色はみるみる青褪めていく。


 糸場と同じぐらいの長さの黒髪と対になる赤いインナーカラー。大きめの黒目はまつ毛が長く、通った鼻筋もあって美人だ。身長は大体160cmほどで年齢は精々20代前半ぐらいだろう。黒のスーツは良く似合っている。


「銀~?何回注意すればわかるのかな~?」


 ビキビキと額に青筋を浮かべる姿は正しく鬼だ。首根っこを掴んでいる左手に対して空手の右手は握り締められ、白んでいる。あと一押しで拳骨が落ちるだろうことは想像に難くない。


「友達になろうと思ったんだけど…」


「人の気持ちが分からない子に友達は出来ないんですよ~?それも何度言えば分かりますか~?」


 抑えることが限界なのか拳は糸場の頭をグリグリしている。


「ごめんなさいは?」


「…言わないとダメ?」


「言いなさい。悪いことしたら謝らないとダメでしょ?」


 母親が幼子に言い聞かせるような口ぶりで糸場に言い聞かせる。耳にした彼女は始めこそ唇を尖らせていたが、風船の空気が抜けていくように態度が軟化していく。


「ごめんなさい」


 まだ不満に表情を滲ませている顔で謝罪の言葉を口にする。神経を逆撫でされた真理としてはまだ怒りは収まってなかったが、彼女を宥める女性の顔に泥を塗るのも忍びない。


「これ以上、私にかかわらないで下さい」


 断りを入れ、真理は立ち上がろうとして、袖を掴まれて引き留められる。グイッと体を引っ張られて席に体は釘付けになる。


「これも何かのご縁です。一緒に見ませんか?申し遅れましたが、私は貴船紡金きふねつむぎと申します」


 一難去ってまた一難の状況に真理はもう不機嫌を隠す気も無くなった。いい加減に仮面をつけるのも疲れた。


「鬱陶しいとストレートに言わなければ分かりませんか?」


 はっきりと拒絶の言葉を投げかけても貴船は袖を離さない。揃って足裏に刺さったまきびしのような鬱陶しさだ。胸がズキズキしてイライラする。


「私は独りで見ていたいんです。放っておいて下さい」


 尚も拒絶のスタンスを崩さない真理の態度を目の当たりにして貴船はそれまで見せていた温和な態度が消える。正確には引っ込めたと言わんばかりだ。


「貴女、ずっとその態度で過ごすつもりですか?」


「だったら何ですか?関わりを持たない貴女が私にどんな迷惑をかけると?」


「既にかけられてますよ」


 これから行われる模擬戦。そのことを示している。


「これから行われる戦いを目の当たりにして、自分が原因でないと言い切れますか?」


 力強い瞳に真理は後ずさりしそうになる。さっきまであった穏やかな空気と今の姿がまるで釣り合わず圧倒される。


「ずっと守られていた。でも、もう守ってくれる人は誰もいない。貴女はもう1人なんですよ。これまで通りに我儘を言っても通用しませんよ」


 ギリッと音が鳴るほどに歯を軋らせ、真理は貴船の手首を掴んだ。


「一々人の領域に土足で踏み入って偉そうに。本当に腹が立つわね」


 力任せに手を振り払うと、糸場の手が真理の口元を抑える。動きを読めず、あっさりと体を固定される。さっきまで浮かべていた無邪気な顔は微塵もなく、戦士の顔が眼前にある。あまりの変化に頭が追い付かない。


「調子に乗んなよ。クソ雑魚‼」


 怒号と共に真理の体は放り出され、壁に激突した。背中を強打したせいで満足に呼吸をすることが出来ない。立ち上がろうにも意識が明滅して立ち上がれず、もたついている間に真理の頭を糸場の足が蹂躙する。


「グッ…‼」


 躊躇いも無く頭を踏みつけ、執拗に攻撃を加える姿は完全に魔王そのものだ。しかも、攻撃の手を緩めるつもりはないようで何度も、何度も頭を踏む。踏み続ける。


「お前さぁ、自分の立場分かってないの?偉そうに物言う権利はないんだよ。こっちが下手に出てたら調子に乗りやがってェ⁉」


 台詞を最後まで言い終わる前に、糸場の体が壁に激突する。体を起こすと、貴船が糸場の顔を壁に押し付けている光景が目に入った。


「だ~から~‼止めろって言ってんでしょうがぁ‼」


 堪忍袋の緒が切れたということがよく分かるほどの怒号を貴船は飛ばす。


「だって喧嘩売ってきたのそっちじゃん‼」


「まだ手を出してないでしょ‼」


 手を出すかもしれないラインに到達していた真理としては言い訳をするつもりにはなれない。居た堪れなくなって目を逸らす。


「とっとと謝れェ‼」


 最早言い訳を何も聞くつもりがないのか、貴船は糸場の額を容赦なく床に押し付ける。ゴンッという音が聞こえ、その光景を見ないように目を瞑った。


「この度は、本当に申し訳ありませんでした」


 しおらしく貴船は頭を下げ、謝罪の言葉を口にする。目まぐるしく変わる光景に真理の頭は既に置いていかれている。ただ、彼女が悪いわけではないことは分かっている。


「私の方こそ…申し訳ありませんでした」


 真理も頭を下げた。


                    ♥


「すみませんね。お見苦しいところを…」

 謝罪の言葉を口にすると、貴船が隣席に腰かける。


「糸場さんは大丈夫でしたか?」


「少し安静していれば大丈夫とこのとです。そちらこそ大丈夫ですか?」


「大丈夫です。何かあればすぐに医務室に行きますので」


 あの土下座で思い切り額をぶつけた糸場の額には大きなたんこぶが出来てしまった上に頭がグラグラするということで医務室へ行くことになった。


「私の方こそ、申し訳ありませんでした」


「こっちこそ強く言いすぎてしまいました。思えば、無理もない話でしたね」

 互いに謝罪の言葉を口にすると、話し手が真理に移る。


「糸場さんとは仲がいいんですね」


「長い付き合いですから」


 目を少し背ける。こういうときは、下手に手を出さない方がいいと直感が働いた。話の軸を別のものに切り替える。


「パルマさんが戦うところを見たことはありますか?」


「ありますよ。模擬戦ですから本気でやることはないでしょうが、何をするか分からない。それが私たちの共通認識です」


 あの速さと攻撃の鋭さ、人を殺すことに対して抵抗を見せない冷徹さ。たった一瞬のやり取りで垣間見えただけだが、恐らく間違いない。


「葵さんの所に居らしたんですよね?2人とも」


「今は何処で何をしているのか分かりませんよ。生きているのかさえ」


 話が葵に飛んできて気分が沈む。嫌いだったとはいえ、貴船が言っていたように彼女に守られていた。


 最後の最後まで感謝の言葉を告げず、憎まれ口だけを叩いて別れた自分の愚かさ、傲慢さ、空虚さに言いえぬ怒りが湧いた。膝上に乗せていた手は引きちぎらんばかりにスカートを握り締めている。


「生きているかもしれませんよ」


「気遣いなんていりませんよ。あの状況じゃどうなってるのか…」


 項垂れて真理は顔を手で覆う。必死に考えないようにして、無理やり追い出していた闇が心の隙間に入り込んで来る。


「願えば叶うかもしれませんよ?」


「叶わないですよ。どれだけ願っても、願っても」


 必死に蓋をしていた想いが、もう止まらない。止めようがない。それだけの力も無い。


 昨日まであった日常。それが目を覚ましたら、全部が瓦礫の山になっていた。元に戻そうとしても、元に戻らない。今にして思えば、尊い日々。


 叶うなら、出来るなら、返して欲しい。


 涙が頬を伝う。拭っても、拭っても、拭っても。止まらない。止まってくれない。


「嫌だ…。止まってよ…。こんなの…」


 涙の温もりが掌に入り、染みこんでくる。それが余計に真理の胸を抉る。これまでの罪過を突き付けて来る。


 扱いきれない仮面。分不相応な自分。隠し切れない弱さ。受け入れられない本当。


「消えて、消えてよ‼私は…私はっ‼」


 絶叫しかけたところで、貴船の手が真理の手に添えられる。それによって、意識が辛うじて繋ぎ止められた。


「叶いますよ。止まっても、泣いても、躓いても。進みさえすれば」


 まるで経験でもあるのか、未来でも見えているのか。貴船は柔らかな笑顔を浮かべている。対して真理は頭を振って否定する。


「今から戦うことになる彼にも同じことが言えますか?」


 貴船の視線が会場に向く。昼間とパルマの姿が目に入った。堂々とした2人の姿は一報が余裕、一方が緊張と色が分かれている。それでも、最後まで戦うという意思が昼間からは感じ取れた。


「これだけは覚えておいてください。何を願ってもいい。それを信じる自分を否定しない、愚直に真っすぐに進み続ける。誰に何を言われ、笑われたとしても」


 対面する2人を見て貴船は口を閉ざす。


 しかし、見える横顔は目が離せなくなるほどに強く、辛そうだった。

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