第145話 結解33(昼間サイド)

 隊長、九竜くりゅう琵琶坂びわさかが居なくなってから初めて槍を握る。


 実のところ、握ることはもうないかもしれないと思った。


 誰も守れなかった。その事実に昼間の心は引き裂かれ、立ち上がるための力を失ったはずだった。


 それでも、真理が生きていた。生きていてくれた。


 それ以上の理由など、もういらない。必要ない。


 あの地獄を見ないで済むなら、何だってやる。


 彼女を守るためなら、害するなら誰でも倒す。手足を失っても、地べたを這いつくばっても、石に齧りついてでも。


 神や悪魔、宇宙人であったとしても。


 森羅万象、一切合切の全てを壊す。


                  ♥


 アリーナの中央では、パルマが陣取っている。ここには何も余計なオブジェクトはない。精々が競技場を囲む客席があるぐらいだ。


 肝心のパルマはプロテクターも何も装備しておらず元のくたびれたスーツ姿のままだ。方々を駆けずり回る私立探偵の方が余程マシな格好をしているのではないかと思えてしまう姿。武器も腰に付けているデストロイぐらいしか見られない。


 足を開き、『破王』を中段に構える。今は、互いに構えつつ動かない。


「いつでもいいぜ」

 耳にした昼間は前に出る。まずは様子見の突きだ。


「シッ‼」という掛け声とともに、パルマは右足で穂先を蹴って軌道を逸らす。更にターンを決めて左足で回し蹴りを放つ。攻撃の真っただ中だった昼間は攻撃を避けるだけの余裕はなく、ストレートに蹴りを顔面に受けることになった。勢いを殺され、フラフラと横に逸れる。なおも、戦意が折れていないことを証明するようにパルマを睨みつける。


「老婆心で教えておいてやるよ。最初から本気でやっておかないと後悔するぜ?余裕ばかり振り撒く気障な野郎より、泥臭い努力家の方が女には好かれる。何でか分かるか?」


「ここでは関係のない話です‼」


 確かに、様子見などしていられる相手ではないことが今のやり取りで理解できた。  次はより強く、速い突きを見舞う。


 しかし、連続で繰り出そうとパルマにはまるで当たる気配がない。蜃気楼が揺らめいているかのように紙一重で躱されている。


「関係大有りの話だぜ?趣味があるってのは生きる理由があるってことだ‼」


 切り替えの際に攻撃が鈍くなったところで、パルマが再び攻撃に出る。狙われたのは下腹部で同じように蹴りだ。防御は間に合わず再びストレートに入る。


「ゴホッ‼ゴホッ‼」


 手加減の一切が無いと分かるほどの一撃を受け、昼間は崩れて床に手を着く。その隙を逃さず、パルマは追撃の蹴りを加える。吹き飛び、ゴロゴロと床の上を転がる。当然、槍は手元を離れた。


「答えは単純だ。挫折を知ってる奴は謙虚だからだ。ユーモアには欠けるかもしれないけどな。それも補いようはある」


 顎を爪先で上げ、体の向きを仰向けに変えて胸を踏みつける。足をめり込ませたりはせずあくまで乗せるだけ。


「それもここを切り抜けられたらの話だけどな。ああ、安心してくれていいぜ。骨をバキバキに折ったりはしないからよ。初日早々に退職されちまったってなったら仕事を減らされちまうかもしれないからな」


「思ったより…饒舌ですね」


「仕事と同じぐらいに大好きだな。何事もコミュニケーションは重要だ。自分の精神に余裕があり、自分が優位にあると見せるのにも役立つ」


「…ということは、余裕そのものってことですか?」


「余裕も余裕だな。吸血鬼のほうがまだやりがいがある」


 痛みに苛まれてハッキリしていなかった昼間の意識がパルマの言葉で覚醒した。右手でパルマの足を狙う。


「おっ」と軽く驚きの声を上げてパルマの体は宙に放り出される。ようやく生まれた攻撃を決めるチャンスを逃さないように昼間は攻撃を叩き込む。


 しかし、命中する寸前でパルマは紙一重で躱し、独楽のように回転して昼間の顔を蹴る。鼻に命中した一撃によって血が垂れる。


「クッ…」


 手で押さえたところで指の間から血がポタポタと零れる。それに連鎖してか腹部に受けた傷も痛みを発しているように思える。


 ―勝てない。


 一部の隙も付け入る隙が無い。どうしようもないほどに、力量の差がある。


「完全に負け犬の面だな」


「まだ、負けてないですよ」


 零れた血が口に入る。生温かさと鉄の味が舌を転がる。


「諦めてるだろ?絶望してるだろ?」


 畳みかけるようにパルマが反論する。


「顔見りゃ分かんだよ。綺麗事を後生大事に抱えて何もしない奴は。いざ巨大な現実を目の当たりにしたらあっさり折れる。そんでもって全部投げ出す」


 立ち上がろうとする、昼間のところまで目線を合わせる。攻撃が来たら確実に避けることの出来ない状況だ。


「じゃ、くたばってろよ。お前を心配そうに見る女が剥かれる姿を目の前で、じっくり見ていたいならな」


 蛇のように唇を舐め、獰猛さと狡猾さと好色が混じった瞳に据えられる。これまでに何人も、何人も犯しているのだと理解できる。この男の手にかかったら、真理がどんな状態になってしまうのか言わずとも分かる。


「テメェ‼」


 頭に血が上った昼間は自分がキレたと理解したところで、止めることは出来なかった。


 振り抜いた拳があっさりパルマの掌に納まる。鋼鉄かと思えてしまうほどの硬さはとても打ち砕けそうにない。


「チョロいな。チョロすぎておじさん心配になっちまうよ」


 右足の一撃で昼間の顎を蹴る。骨をも貫く衝撃に揺さぶられて意識が一瞬途切れた。自分がどうなったのか、昼間には分からない。


 ―やっぱ、ダメか。俺じゃあ…。


 諦めの言葉が頭の中を埋める。電光が眩しく、掌で遮る。太陽を直視しているわけではないが、電光ですら眩しく思える。


 救世主。そんな言葉は、程遠い。遠すぎる。願っても、まるで届きそうもない。


 誰も失わない力が欲しいと願って力を手に入れられず、気づいたときには全てを失ってしまい、また同じ地獄を繰り返す。


「おいおい。ふて寝か?」


 日食のように電光をパルマの顔が遮る。


「任務放棄は死刑だぜ?あの女もな」


 パルマの顔が観客席に向く。昼間もそれに釣られた。


 心配そうな顔で、模擬戦を見る真理の姿があった。ピントが少しぶれていたが、彼女の顔は、しっかりと見えた。


 見たことが無い顔だ。いつもの毅然としていて、堂々とした凛とした表情が微塵も感じられない顔。


 不安に感じない方が普通じゃない。これまでにあった日常が激流に呑みこまれるかのように全てが消えた。


 2人だけ、2人だけだ。ここに居るのは、俺たちだけだ。


 だから、諦めてはいけない。守らなければ。


 腐っていていいときは、やけくそになっていいときは、終わっている。


「放棄…ですか」


 プルプルと震える手に力を込め、ボロボロの体に鞭打って奮い立たせる。


「しないってわけか?」


「しないですよ…。アンタの言う通り、彼女のこと…大好きですから」


 得物は手元にない。だから、拳で勝負をするしかない。それもまた一興かとほくそ笑む。


 1人の女を賭けて勝負をするなら、これが最も相応しいのではないかと思えたから。


「いいぜ。願ったり叶ったりだ。バトルも女も楽しめるなら本望だ」


 パルマもファイティングポーズで応える。デストロイを抜く気配はない。この距離なら抜いたところで昼間の方が早いと判断したからか、あくまで余興としての行動かまでは分からない。


「さあ、来いよ」


 試すような顔で、パルマは言った。

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