第144話 結解32(橙木サイド)
ノックをして、返事が返ってくると真理はドアノブを回して部屋に入る。後に昼間が続く。
直後に酷い煙草と酒の匂いがして口元を手で覆った。
「お前らが話に聞いていた新入りか?」
男だった。『アレッサンドロ・デ・パルマ』という名前から疑っていたが、顔立ちからして日本人ではないことは明らかだ。
彫りの深い顔。ハンサムな顔立ちは浮かべている笑顔と見事に調和している。頼りがいがあるということが第一印象だ。
周囲には彼以外は居ない。話によればあと1人はいるらしいが姿は見えない。
指に挟んだ煙草を灰皿に押し付ける。山積みになっている吸殻と
「はい。本日付でこちらに配属になりました」
名乗ろうとしたところで、パルマが手を振るう。
「話に聞いてるって言ったろ?別に構わねぇよ」
新しい煙草に火をつけると、ロックグラスに透明な液体をトクトクと注ぐ。チラッと見えた銘から日本酒のようだ。勤務中に堂々と飲酒をしている姿に思うところはあるが口には出さない。
「お近づきに一杯どうだ?」
「結構です」
きっぱりと断る。これがパルマに火を注いでしまったようだ。
「硬いね~。一杯ぐらい呑んだって誰も咎めねぇぜ?」
透明な液体が満たすロックグラスを真理に押し付けようとする。
「業務中に飲酒はしないので」
ズイズイと押し込んで来るロックグラスを真理は退けようとする。
「真面目が過ぎるねぇ。おじちゃん心配だよ~」
わざとらしい、心配などしていないことが理解できるほどに中身のない言葉だ。イラっときた真理は怒りを隠すことなく、毅然と向き合う。
「いい加減にしてください」
ロックグラスを持った手を払うと、酒が壁にかかって染みを作る。
「ったく勿体ねぇな」
ガシガシと頭を掻きながら落ちたロックグラスを手に取る。その間際に浮かべていた僅かな表情を真理は見逃さなかった。
嗤っていた。自分を拒否した相手を眼前にしながら。
ひりつく、肌が焼けるような空気が部屋を染めていく。
デストロイが手元にあるなら、抜く。そう言えてしまうほどに、真理はパルマへの生理的嫌悪を隠そうとしていない。
「まあまあ。2人とも落ち着いて下さいよ」
両者の間に昼間が割って入る。
「酒ぐらいはゆっくり飲みましょうよ」
「お、お前は乗りがよさそうだな」
口を尖らせていたパルマの顔が一気に華やかになる。
昼間の肩に手を回し、パルマはガシッと掴む。
「隊長は結構いける口ですか?」
「そっちはどうなんだ?」
「つい最近飲めるようになったのでまだあまりですね…」
ポリポリと頬を掻き、力なく笑っている。
「初々しいねぇ。今夜は寝かせねぇぜ?」
「ご容赦くださいよ?」
少し引き気味で願う昼間に対してパルマは終始楽し気で、「はっはっは」と最初と変わらず豪快に笑っている。
ひとしきり笑ってから「じゃあ、今夜は開けておけよ」とパルマが残し、この話は一段落が着く。過熱していた空気が冷却していくと、パルマはデスクに就いて煙草に火をつける。
「さて、ここに配属されたってことは、ここが何をする場所かってのは聞いているか?」
「いいえ。詳しくは聞いていません」
「おいおい‼マジかよ‼こいつは参ったなぁ‼」
真理の返答にオーバーリアクションでわざとらしく驚き、それからさっきと同じように嗤う。笑って、嗤う。ひとしきり。
あまりにも
「あーあー。こんなド素人の世話をしなきゃいけねえってのかよ‼」
今の言葉に真理たちの頭上には「?」マークが浮かぶ。
「戦力として、我々は何の過不足はないかと思いますが?」
「いやいやいやいや‼大有りも大有りだぜ‼」
真理の反論を何よりも面白い冗談だと言わんばかりに受け取るとコントの一幕のようにパルマは突っ込みを入れる。話が全く見えてこないため真理も昼間も何を取っ掛かりに話をすべきか分からない。
呼吸を落ち着けると、パルマは新しく出したロックグラスに再び酒を注ぐ。氷は入れていない。それを勢い良くグビッと吞んだ。
「お前ら、掃滅隊って聞いたことあるか?」
目が、真剣味を帯びる。さっきまで存在していたふざけた雰囲気は何処へ行ってしまったのかと思うほどの変貌ぶりだ。
「噂程度には…」
『羽狩』に反旗を翻す人間、契約を破った民間人の始末。噂の存在で、実在するとは思ってもみなかった。
これからは、吸血鬼を相手にしていたこれまでと全く違う業務内容になる。
殺す。その行為に変わりはない。
しかし、人を殺すために、生きてきたわけではない。そんなことのために、吸血鬼を殺し続けてきたわけじゃない。
これまでに積み上げてきたものを、全て否定するもの。
今日、この瞬間まで、人を守れと言われて育ち、忠実に職務に励んできた。
大のために小を切り捨てるようなことも、やってのけた。
それを、今後の業務として行えと?しかも、この状況でここに回されたということは、確実に葵や
葵は、死ぬほど嫌い。吸血鬼は大っ嫌いだ。だとしても、彼女の力はこれからも必要な力。付き合いも
一方で、彼が持つ純粋さと強靭な精神は、本物だ。何があっても折れはしない。そう言えてしまうほどに強い。
情は、ある。付き合いは浅いが、手のかかる不器用で愛想のない後輩。どのように強くなっていくのか、これからも見てみたいとようやく思えた。
3人を殺すなんて、考えられない。
「おい、大丈夫か?」
耳元で声が聞こえ、真理は顔を上げた。パルマが怪訝そうな顔で見ている。
「いえ、大丈夫です。続けてください」
平静を装いながら真理は話を続けるように促す。その様子を気にしつつもパルマは話を続ける。
「噂でも知っているなら、何をするかは言わなくても分かるよな?」
「けじめは自分たちでつけろ。
「まあ、そういうことだ。別に取って食おうって話じゃあないから変に身構えなくていいぜ?俺もちゃんとサポートするからさ」
どんな言葉も、棘があるように耳に引っかかる。
優れた容姿に対して、中身がまるでない言葉。詐欺師と相対したことはまるでないが、こんな感じなのだろうか。
「ところで、君たちは付き合ってるの?」
唐突な質問に真理たちは鳩が豆鉄砲を食ったような顔をして絶句した。が、言葉の意味を認識した瞬間に、真理の顔は一気に赤く染まる。
「つ、付き合ってない…です」
普段の頑として他者を寄せ付けない険しさ、冷たさ、強さがまるで感じられない声。あまりの勢いのなさに昼間は居心地の悪そうな顔をし、パルマは面白いことを聞いたといわんばかりに笑みを浮かべる。
事実として、真理は異性と付き合ったことなどない。恋愛はあくまで幻想の世界での出来事に過ぎず、箱庭で純粋培養されたお嬢様故に仕事で必要になる知識、技術、礼儀作法、倫理観。徹底的に叩き込まれた以外のことは持ち合わせてはいない。性的なことは知識として有してはいても、経験はない。
パルマの視線が昼間にずれ、目を逸らす。その行動が何を意味しているのかは、彼には予想がついた。
「似合いのコンビだと思うけどね。君たち。別に今日会ったばっかりって関係でもないわけだろ?」
「それは…まあ…」
煮え切らない言葉を昼間は口にする。
「やることは早めにやっておくべきだぜ?言いたいことを言えずに終わるってのは中々辛いもんだ」
「セクハラは願い下げですので、失礼します」
話の流れが望まない方に転がりそうになることを察知した真理は早々に立ち去ろうとする。これ以上の探りを入れられるのは、耐えられない。自分が認識したくないこと、意識したくないことに手を突っ込まれるのは、耐えられない。
「お前の人生だから何を選んでも自由だぜ?だけどな、運命って奴はどんなに逃げたところで、逃がしちゃあくれない」
「人のプライバシーに足を突っ込むのは止めてください。これ以上口にしようものなら…」
「ああ、構わねえぜ?バトルは何よりも大好物だからな」
真理の脅しを先読みしたように、パルマが口にする。余程自信があるのか、表情にも変化が見られる。
深海魚が顔を出すように凶悪な笑みが浮かび上がる。口を開いたら、人骨すら噛み砕いてしまうほどの威力がある牙が口内から見えてしまうのではないかと思えてしまう。
パルマは立ち上がり、煙草を灰皿に押し付ける。また吸殻の山に一つ積みあがる。それは、これまでに彼が積み上げた死体の山を目の当たりにしている気分だ。
「気に入らないことは、力でねじ伏せる。それがここでのルールだ」
「野蛮極まりない話ですね」
口に出し、真理は自らの境遇を嘆く。
「だよなぁ。でもよ、郷に入っては郷に従えってやつだ」
気怠そうに、それでいながらヘラヘラした笑みを貼り付ける。表裏の入れ替えを行ったのかと疑ってしまうほどの速さだ。
「それも嫌だっていうなら、黙って従え」
直後に、真理の顎下を尖った何かが触れている。
視線を少し、少しずつ落としていくと、パルマと思われる浅黒い肌の手とボールペンが視界に入り込む。
「高々ボールペンごときで大袈裟なって思うだろうけどよ、人を殺すのに下手な武器は必要ないんだよ。拳1つ、ペン1つ、フォーク1つ。そんなもんがあれば、人一人は余裕で殺せる。吸血鬼ほど頑丈じゃないからな」
押し付けられた圧力で肌が僅かに凹む。
「で?どうするんだ?言っておくが、下手に逆らった敗者に人権なんざ無いってことだけは予め言っておくぜ?あとで喚かれると上がうっさいからな」
女である自分が負けたらどうなるのか。考えるまでもない。
ボールペンを持っていない手が、ブラウスの第一ボタンを外す。解放された胸元に生温かい空気が入り込む。引きちぎったりせず、敢えて時間をかけながら外しているのは、この状況を楽しんでいるということが嫌でも分かる。
抵抗しないといけない。そう頭では認識しているのに、体が動いてくれない。首から下が無くなってしまったかのように、命令を受け付けない。
第二ボタンに差し掛かろうとしたところで、パルマの手を昼間が掴んだ。パッと真理のブラウスを掴んでいた手が離れ、胸元を抑えて力なくへたり込んだ。
「これ以上は…止めてください」
底に封じ込めようとしても出来ようのないほどの怒りが声から感じ取れる。
「お前が戦うってことなら、止めてもいい。こいつが受けるはずだった咎をお前が受けるって言うならの話だけどな」
「…具体的に何を?」
「一戦交えてもらうかな。そろそろ一汗かきたいんだよ」
「自分1人でも構いませんか?」
「構わねえぜ。1人でどうこう出来るって考えているならの話だがな」
沈黙が部屋を包む。壁掛け時計が刻むコチコチという音とがなり立てる換気扇の音だけがここぞとばかりに自己の存在をアピールしている。
責任。自覚があるなら、手を挙げるべき局面だ。
しかし、手は動かない。心根まで全てが砕かれてしまったかのように、戦意が沸きあがらない。さっきまで確かな存在感で真理の心を埋めていた反発心も何処へ行ってしまったのか消えてなくなっている。
「分かりました。それでお願いします」
毅然とした態度で、声で昼間はパルマに宣言した。
「ダメ…。待って…」
その声に真理は反対して、パルマの袖を掴む。だが、普段と違う余りにも弱々しい言葉は誰の耳にも届かない。
パルマと戦えば、確実に勝てない。昼間は叩き潰されることになる。
「待ってって台詞はお前が言える義理じゃないだろ?協調性のない子どもは悪い子だって小さい頃に教わらなかったか?」
蔑むような目で、パルマは真理を見て、虫でも払うかのように手を振り払う。抵抗するだけの力が残っていなかった彼女はそのまま床に倒れ込む。
「じゃ、行こうか」
真理を存在していないものとして扱い、パルマは出入り口へ向かっていく。
姿が見えなくなると、昼間が駆け寄って手を伸ばす。
「大丈夫か?」
差し伸ばされた手を掴み、立ち上がろうとするが、パルマに為されるがままにされていたときと同じように力が入らない。
「ゴメン…。腰抜けちゃったみたい…」
緊張の糸が全て切れてしまったのか、真理は立つことが出来なかった。
♥
部屋を出ると、「ふぁ~」と欠伸をし、背を伸ばす。殆ど座ったままで体をまともに動かしていないせいでバキバキだ。
「あれ~?パルマじゃん」
背後から声が聞こえ、少し涙が溜まった目じりを軽く指で払ってやってきた
「おう。暇そうだな」
「うん。今日は皆が休んでいいってくれたから甘えることにしたんだ」
ニカッと向日葵が咲き誇るような満面の笑みを浮かべる。姫川には『悪魔』だと口走ったが、こうして見ていると純真無垢な子どもにしか見えない。
「そっちはどっか行くの?」
「ああ。新入りのパワーを試してみようってなってな」
「あー。弦巻のところから押し付けられたってアレ?」
言った直後に糸場の頭を貴船がぶっ叩く。言葉遣いに難ありと受け取られたのだろう。いつも通りの折檻だ。スパンという素晴らしい音がした。
花がしおれるように糸場の顔が暗くなる。無理もない話だとパルマは納得する。ライバル視していた姫川を殺されてしまったのだから。
「見てみるか?どれだけの実力を持ってるのか?」
「え~?どうせ雑魚でしょ?」
折檻がもう一発頭に入る。耐えかねたのか次は糸場が貴船に噛みつく。ここまでくると狙ってやっているとしか思えないほどに面白い。
「どれくらい強いかは実際に見てみりゃあいい。丁度時間あるんだろ?」
「はい。折角のお誘いなので行かせていただきますね」
銀麗の扱いは片手間だと言わんばかりに押さえつけながら貴船が応じる。
「じゃ、善は急げってことで行くか‼」
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