第143話 結解31(エウリッピサイド)

「盗み聞きなんて趣味が悪いわね」


 カツカツとヒールを鳴らしながら彼方からデスモニアが近づいてくる。視界に入った途端に黒子の機嫌が悪くなる。


「入れないわよ。取り込み中だから」


「別に構いませんよ。話があるのは貴女にですから」


「ここじゃ出来ない話?」


 デスモニアは笑みを浮かべる。つまりは、yesということだろう。


「分かった」と返すと、デスモニアは来た道を戻る。黒子は後に続いた。


                   ♥


 席に着くと、デスモニアは2人分の紅茶を用意した。お茶菓子はマドレーヌとクッキーだ。設えられているものはテーブルと椅子のみで他には何もない。殺風景を通り越した部屋に言いようのない悍ましさを覚える。時間の経過を示すものは紅茶とお菓子だけだ。


「話は姫川のことかしら?」

 カップを持ち、口をつける。


「彼女も、同じでしょうか?」

 何を意味しているのかは、すぐに分かった。


天長あまながか誰かと接触したということ?」


「そういうことです。彼らが何者なのか教えてもらえないでしょうか?」

 一々癪に障る物言いに黒子はムッとした。


「命令していいのよ?言えって」


「私たちは対等ですからね。ご不満ですか?」


 あくまで建前上という話だ。実際には、対等な関係などない。必要になれば、あっさりと圧力をかけてくる。力でねじ伏せられたところで文句は言えない。


「姫川たちは何者ですか?」

 段取りを終えたデスモニアは口火を切る。


「あれは明らかに人間ではありませんよね?」


「まあ、一戦交えたなら隠す必要はないわね」

 カップを置くと、黒子は胸元から小さなケースを取り出す。


「概要はこの中にあるわ。でも、私の口から聞きたいんでしょ?」


 中には、これまでに収めた研究データのエッセンスをまとめてある。とはいえ、このデータを理解できているのは黒子のみだ。いくら彼女が切れ者とはいえ、このデータを読めたところで理解は出来ないだろう。


「とても知りたいわ。当事者の口からね」


 テーブルを爪でひっかく。ギギッ、ガリッという耳障りの音がした。緊張しつつあった体は突然のノイズを耳にして気分が悪くなる。


「…他言はしないでね」


 逃げ場が無いと悟った黒子は釘を刺し、話を始めた。


                  ♥


 空になったティーカップ。それだけの時間を会話に費やしたのかと問われると、答えは否だ。大して時間は経過していない。それでも、空っぽになっているのは、偏に話の内容が聞くに堪えないものだったからだ。


「というのが、姫川たちの正体」


 話を終えると、琵琶坂びわさかは溜息を零す。一気に話した疲労か話したくもない内容を口にしたせいなのかは分からない。


「質問はあるかしら?」


 琵琶坂びわさかが溜息をついて、口を開く。


「何処から質問すればいいのやらってところなんですがね…」


『Ⅶ計画』。またの名を人造吸血鬼計画ヴァルフェクト・プラン。内容が明かされると、荒唐無稽が過ぎて驚いた。

 当初は全ての力を再現しようとした『Ⅴ計画』。それが数多の死体を積み重ねて頓挫するや打ち立てられたのが『Ⅶ計画』。

 身体機能、再生能力の再現を目指すことを放棄し、『共鳴リベラス』にのみ特化させた模造品。

 成果としては満足のいくものではなかったと語っていたが、私たちに劣るも人間を上回る力を手に入れて戦闘力はメン具足ブラルと相対しても互角に打ち合うことが出来るほどの水準にまでは上げられたのだから試みとしては成功していると言えるだろう。

 尤も、コストの問題やそれを担当した人物の心情に影響を与えたという観点を無視した場合の話であるが。


「人の手で私たちを造るなんて未だに信じがたい話ですね」


「そっちじゃないと上手くいかなかったからね。とはいえ、人間ベースの量産化も上手くはいかなかった。結局のところ意味を持たせることには失敗した」


 琵琶坂びわさかはマドレーヌを手に取ると口に運ぶ。倣ってエウリッピもマドレーヌを手に取り、口に含む。しっとりした食感と甘さが口内に広がる。


 通説によると吸血鬼は吸血によって眷属を増やすと言われている。とはいえ、それは後に付け加えられた話で、そのような行動は出来ない。少なくとも、エウリッピは見たことがない。


「人の手でコントロール出来る私たちを作り出し、寝首を掻くって腹積もりだったのでしょうか?」


「多分そうね。詳細については芥子川けしかわの頭の中にしかないと思うけど。でも、その不安はある程度取り除けているじゃない?」


「その心は?」


 エウリッピが尋ねると琵琶坂びわさかはマドレーヌを手に取って小さく千切る。数は十ほどだ。


芥子川けしかわが固執している駒は全部で10。そのうち九竜くりゅう、私、姫川が今はこちら側。元々は芥子川けしかわの身内だった姫川はこちら側につく可能性は無いとしても、カルナを切り捨てようとしている委員会の側につくということはないでしょう。わざわざ勝ち目を潰すような連中に味方をするほど愚かじゃない。他の面々は別としてもね」


「彼以外は委員会の連中の側につくと?」


 1つを手に取ると、琵琶坂びわさかは欠片の1つを離れた位置に移す。


「1人がアンタたちを酷く嫌っているからね。こちら側に味方をするぐらいなら自ら死を選ぶことに抵抗はないだろうから」


「その口ぶりだともう1人が突破口になりうると?」


「どうかしらね。そっちの説得も難しいと思うわよ。家族を眼前で殺された経緯があるから」


 欠片を2つ手に取ると琵琶坂びわさかは口に運ぶ。味方に例えていながら余りにも躊躇が無い。


「殺すつもりかしら?その2人を?」


「そこまで極論で臨まなくていいと思うわ。向こうも2人を殺そうとする可能性は十分にあるでしょうね。ハードルはとても高いって話ね」


「そちらの方が面白いですよ。ゲームは手ごわいほどやりがいがありますから」


 別皿に盛られているクッキーを手に取り、口に運ぶ。


「下手に上げすぎて失敗するよりはマシよ」


「いつだって戦争は高いハードルですよ。超えられないなら超えられる努力をするだけ。これまでもこれからも何ら変わりません」


「無関係の者たちを巻き込んでおいて随分な言い草ね」


「断ることは出来た。降ることを選択したのはそちらでしょう?」


 指摘に琵琶坂は言葉を詰まらせる。


「その首輪があるうちは全て私の命令に従う。今享受している自由も、これから味わう美酒の味も、知識がもたらす快楽も。全てが私の掌から与えられるものに過ぎない。そのことをお忘れなきように」


「分かってるわ」


 琵琶坂びわさかは席を立ち上がる。残りの紅茶を一飲みして一息をつく。


「精々肝に銘じておくわ」


「別に気にしなくて結構ですよ。依頼についてもお忘れなきように」

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