第140話 結解28(橙木サイド)
カチャカチャと分解した銃器を弄る音が無音の部屋に流れる。カーテンは閉じられ、明かりはデスクに設置された照明だけだ。この絵面なら一昔前の機械工と言った方が説得力があるだろう。
コンコンとドアをノックする音がして、デスクに釘付けになっていた顔を上げる。
「お待たせしました。お嬢様」
ティーポットとカップを載せた盆を手に持った衣川が部屋の扉を開ける。
「ありがとう」
強張っていた体を伸ばす。パキパキと体は嬉しい悲鳴を上げる。立ち上がるとカーテンを開き、陽の光をいっぱいに浴びる。暗闇に閉ざされていた世界も光に満たされる。
作業用に使っている部屋は機材を大量に置いているため広くはない。足の踏み場が無いというわけではないが、気を付けて歩かなければ機材を倒して阿鼻叫喚の只中に放り込まれる。
今日の茶葉は何だろうかと思いつつ、顔を動かしたところで、車が門前に止まるのが見えた。中から2人の人間が出て来る。
スーツ姿にサングラス。身長は175~185cmほど。体つきは筋肉質。そのうちの1人がチャイムを鳴らす。
「来客のようですね」
衣川が動こうとしたところで、真理は手で制す。
「羽狩よ。私が出るわ」
取っ手を引き、玄関まで駆け足で移動する。意外と敷地は広いため呑気に移動していると時間が必要になる。ポニーテールに纏めた髪、タンクトップとジーパンとラフな格好のまま玄関まで猛ダッシュだ。残念ながら休憩時間はしばらくお預けだ。
玄関の鍵を解き、ドアを開ける。目と鼻の先には、男二人が直立不動で立っている。
「
高圧的な態度に若干カチンとくる。とはいえ、突っかかるわけにはいかないため、冷静に努めようと気を鎮める。
「そうですが何か?」
「話がある。中に入れてもらいたい」
「理由を教えていただけないでしょうか?」
尋ねると、控えていた男がタブレット端末を操作し始める。終わると男は画面を真理に見せる。
『話を聞いてもらっても構わないか?』
何処とも知れない場所に、芥子川の姿があった。
♥
部屋に通さないわけにもいかず、応接室に2人を通した。だが、芥子川は真理と一対一での対話を望んだ。信用がならないため、断りたいというのが本音だったが、「トップシークレット」と言われてしまったため逆らうことは出来なくなった。
中央に置かれたテーブルに立てたタブレット端末。相対するように真理は対峙している。
『いい屋敷だな』
「お褒めに預かって光栄です」
タンクトップにジーパンとこの場にふさわしくない服装であるが、特に
あいさつ代わりの言葉を返し、真理は話すように促す。
『第二支部での事件は聞いたか?』
「聞きましたよ。犯人は誰なのか知りませんし、被害がどれほどの規模になったのかまでは何も知りませんでしたが」
ついでにネットニュースではガス爆発として処理されていた。先日の出来事はテロとして処理されていたが、揃いも揃って苦しい言い訳という印象を受ける。ビルが倒壊するほどの爆発なのだ。
『やったのは、
「え?」
寝耳に水。返す言葉も浮かばず、状況が全く理解できず、真理は何を聞けばいいのか分からない。
『もう一度聞きたいか?』
「いえ、大丈夫…です」
気丈に振る舞おうとして、振る舞えない。足元が一気に崩壊していく感覚に襲われて、頭が全く回らない。
『驚かせてすまないな』
「どういうことなのか、説明を求めます」
その言葉を皮切りに、判明した事実を話し始める。
まず、
吸血鬼と行動を共にしているというのは、現時点では確実であると言える根拠はない。
しかし、被害の状況を踏まえると、
それに、先日に吸血鬼が振るった強力な炎。あれと同じ力の痕跡が現場付近で発見されたことが行動を共にしていることの根拠らしい。
『
「私が知っていると思いますか?」
知っているか以前に心当たりがない。分かっていることは数少ない。
何かと生意気で、一々意見してくる可愛くない後輩。おまけにまだまだ力が無いのに敵に突っ込む危なっかしいところがある世話が焼ける後輩。
それでも、真面目で正直、ひたむきに努力をし続ける、とてもいい子。
理由もなしに、そんなことをするとは到底思えない。
「2人が逃げたことをご存じであるのなら、2人の凶行が何に起因しているのかも調べがついているのではないですか?」
『恐らくは、弦巻を奪うつもりだったのだろうな。経緯は不明であるが、私が弦巻を殺そうとしたと嘘を吹き込まれたのだろうな』
言っていることは最もに聞こえる。彼女を殺されてしまえば、吸血鬼と戦う手段をすべて失うことになる。煽り文句としては確かな威力があるだろう。
とはいえ、そんな根拠のない話を
「ところで、弦巻はどうなっていますか?」
『現在私の元で治療を施している最中だ。戦えるかどうかは本人次第だがな』
「見ていましたが、あれは何者ですか?」
少しの逡巡を挟み、
『吸血鬼の女王で、弦巻の実姉らしい。本人から聞いた話によると既に繋がりはないとのことだ』
色々と聞きたいことは山ほどあるが、腑に落ちることもある。それに過去のことを聞きだそうとしても、ずっとはぐらかされてきた。
圧倒的な戦闘力は言わずもがなだが、洗練された振る舞いと教養。前者は吸血鬼なら取り立てて疑問に思わない能力だが、後者は滅多に目にするものではない。精々が貴族か騎士階級程度かと考えていただけに王女というカミングアウトには面食らった。
「私に
『それが君たちにとっての最善だと思うが?』
「その物言いですと、昼間は残っているようですね。彼は何と?」
あの戦闘以降は軟禁生活と通信制限を受けていたせいで連絡を取れていなかった。戦えるほどには健康体のようだ。
「彼は戦うことを選んだよ」
予想通りの答え。別に焚きつけもしてはいないだろう。昼間の過去を思い返せば、当然の反応だ。
『君はどうする?』
「私を求めるのは、私の実力故ですか?それとも、私が『橙木』だからですか?」
『君の実力を見込んでのことだ』
この状況下で、誘いに乗るのは明らかに悪手だ。それを理解しているからこそ、芥子川は昼間を抑えに動いたのだろう。仮に真理を真っ先にスカウトしても断られる確率が高いと判断したからこその行動か。
しかし、従わないという選択肢を取ってしまえば、確実に殺されることになる。実際のところとしては、殺されるだけならばまだいい。半殺しにされた挙句に、どんな拷問を受けることになるか分からない。
「実力を見込んでくれるということはとても嬉しいことですが、私の存在を疎んじている連中は山ほどいますよね?それに私が裏切っていない可能性もゼロであると断ずることは到底できる状況ではありませんが」
『だからどうした?』
毅然とした態度で
『君の立ち位置を考えれば確かに裏切りを疑うというのは無理からぬ話であるな。だが、仲間の不始末を片付けるのも君の仕事ではないのか?弦巻は君たちの保護を望んでいたが、こうなってしまった以上はやむを得ない』
「私に、
『出来なければ、我々で始末をつけよう。しかし、君たちがどのような状況に追いやられるか…考えた方がいいのではないかね?』
黙ったままでいる真理へ芥子川は獲物を追い詰めるハンターのように言葉を重ねる。
―九竜を、殺す?
認識して、自分の手を見る。表面は白い。だが、筋繊維から骨の髄まで血で毒々しく赤く染まった悍ましい手。
―吸血鬼ではなく、仲間を、私の手で?
それでも、結末は変わらないだろうと予想はつく。
時期がいつかなんてことは関係ない。これは、絶対だ。
―なら、自分がすべきことは何であるか?
家のために死ぬ?
死んでいった仲間たちに報いる?
それしかないことは、分かっている。それ以外の選択肢が初めから用意されていないことは、生まれて来てしまったときから決まっていることは、分かっている。
幾許かの沈黙を挟み、真理は唇を開く。乾いていた表面は中々剥がれず切れた。
「分かりました。私が処理します」
♥
「では、これにて失礼します」
一礼してスーツの二人組が屋敷を辞す。それによってか淀んでいた空気が清浄されたように思えたのは気のせいではないだろう。
「大丈夫ですか?お嬢様?」
「大丈夫」そう答えはしたが、気分が悪い。眩暈がして倒れてしまいそうだ。
しかし、ここで呑気に倒れていられるような状況ではない。
「ふぅ…」と小さく息を吐く。普段通りに、美しくて正しい自分になり切るために。
真理は衣川に顔を向ける。
「1つ、お願い」
彼の顔は、普段と変わらず柔和だ。
「今日中に荷物をまとめてここを出て」
「それは出来ません。お嬢様の帰る家を守るのが私の務めです」
「それが終わりだと言っているのよ」
「出来ません」
真理の言葉を頑として衣川は拒絶する。何が先にあるのか、分かっているにもかかわらず。
「死ぬのよ?このままここに居たら」
「覚悟は当の昔に済ませております」
その言葉を突き付けられて尚、衣川は首を縦に振らず「はい」とも口にしない。
「じゃあ、今日でクビよ。今すぐに出て行って」
冷淡に、努めて残酷に言おうとして、出来ずに語尾が震える。
もう、冷静な態度を装っていることは出来ないのだと、普段の自分を演じることは出来ないのだと。
「お一人だけ行かせるつもりはありません」
「無理よ。まともな武装もしないで吸血鬼には勝てない。無駄死よ」
しかし、魔術は戦闘向きではなく、補助的な役割しか果たせない。それに加えて科学技術の発展に伴って神秘は消え、奇蹟の多くが奇蹟として成り立っていない。かつての力が今は力足りえない存在になってしまっている。
「お嬢様が倒れるまで私は倒れませんよ。私はあくまで私の出来る範囲でお嬢様をお支えする所存です」
と言うと、衣川はスーツの内側をまさぐってレコーダーを取り出す。暗に盗聴していたことを意味している。
「いつの間に…?」
「念のために普段から持ち歩いているまでです。『羽狩』が襲われた直後にやって来たとなれば何も無いと考えるのは不可能ですから応接室に用意しておきました」
「お嬢様」と膝を折り、衣川は真理の手を取る。
「何をどのように言われようと、私は何処までもついていきます」
断固とした強い言葉に真理は思わず「フフッ」と噴き出してしまった。
「愛の告白みたいね」
自分で口にしながら鼓動が早くなり、体が熱くなる。
「それはありえませんのでご安心を」
与えられるのは、望んだ言葉ではなかった。
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