第134話 結解22(琵琶坂サイド)

 胸が痛い。エウリッピに撃たれた心臓付近の傷がズキズキと酷く痛む。ベットリした血の粘り気が鬱陶しい。


 指が、動く。普段通りとは言えない弱い力だ。


 瞼が、開く。光ではなく、闇が真っ先に目に入る。


 肌を、生温かい何かが撫でる。正体は全く分からない。


 顔を上げ、その正体を知ろうとする。知って、驚愕する。


 九竜くりゅうが浮いている。それだけでも驚嘆すべき事実であるが、台風の目であるかのように周囲には強烈な熱風が渦巻いている。中心で光を放つ姿は神々しく見えなくもない。


 何が何だか分からない。だから、状況を理解しようと九竜くりゅうの状態を細かく理解しようとジッと観察する。


 体中に付いた傷が次々に消えていく。正確には、逆再生をするように傷が塞がっていくと表現した方が適切なほどの速度だ。


 ギロリと言わんばかりに動いた九竜くりゅうの瞳と、黒子の瞳がぶつかる。


 人ならざる者の瞳だ。色はそのまま。そのはずなのに、色がまるで抜けてしまっているように感じられた。体中の毛穴という毛穴から冷や汗が噴き出す。


 ―あれは、何だ?


 理解しがたいモノ。自分がこれまでに積み上げたものすべてが、通用しないと悟れてしまうほど高度に在る存在。


 風と光が収まると、九竜くりゅうが地面に降りる。黒子と同様に事態を全く読み取れていない王隠堂おういんどうたちは九竜がどのように動くかを見ている。


 先に動いたのは、九竜くりゅうだったのだが、動きが見えなかった。誰一人として。


「え?」と男の声が聞こえた直後に、兵士の胴体が倒れて頭を失った首から花瓶から水が流れるように血が滂沱と流れる。


 見返り美人の如く九竜の首が動く。美しさなど欠片もない、ただ恐怖をあおるだけの動作。


「全員距離を…‼」と口を開いた矢先に王隠堂おういんどうの声が途切れ、腹部からはらわたがボタボタと零れる。それでも、ドスを振り上げて反撃しようとしたところで、今度は右手が千切れ飛んだ。


「おんのれェ‼」


 大声を上げた王隠堂おういんどうの体が後ろに傾き、そのままグラッとふらついて倒れる。手には、舌と喉の一部が握られている。一瞥した九竜くりゅうは興味なさげに投げ捨てる。


「な、何だよ‼あいつはぁ⁉」


 兵士の一人がビーハイブを乱射する。それをあっさり回避し、攻撃してきた兵士に標的を定めたと思いきや死不忘メメントモリで一文字に斬り捨てる。


「ぞ、増援だ‼増援を…‼」


 指示を送ろうとしていた兵士の首が、周囲にいた兵士が次々に九竜くりゅうの手によって死んでいく。あまりにも機械的で、滑らかな動作はこの動作をずっとしていたのだと言われても納得してしまいそうなほどに無駄がない。


「はぁ…」と短く息を吐くと、九竜くりゅうは残りの兵士に虚ろな瞳を向ける。


「こ、降参だ‼た、頼むから…‼」


 既に戦意喪失している兵士たちは完全に浮足立ち、武器を捨てて逃げ出す。


 しかし、その背中を死不忘メメントモリの刃が次々と襲い掛かる。一切の容赦がない一撃は味方であるはずの黒子でさえ怖気を催さずにはいられない光景だ。


 次々に悲鳴が、命乞いが空を飛び交い、尽くが血の海に沈んでいく。


 あの日迷っていた少年はいない。残酷に、合理的に人を殺している。


 芝刈り機が芝を切り捨てるように人が死んでいく。虐殺という言葉がこれほどに相応しい状況というのも存在しえないだろう。


 チャプン、チャプン。


 小さな音を立てながら死を振り撒く者は血の海を進む。


 残った兵士は、独りだけだ。戦ったところで勝てない、逃げたところで逃げることが出来ない完全に詰みの状況だ。


「ク、クッソォ‼」


 やけくそとばかりにビーハイブの銃口を向けるが抵抗も抵抗として用をなさない。銃弾は空を切り、死不忘メメントモリが容赦なく残りの1人を刈り取る。呆気なさすぎる幕引きだった。


 ―終わった?


 刃を一度下ろした九竜くりゅうの姿を見て戦いは終わったと理解が出来た。


 残ったのは、月を写す鉄臭い海と佇む九竜くりゅうのみ。湖面に佇む妖精か人魚のように見える。


 目が、合う。眦が細くなる。


 心胆が底から冷えるほどの恐怖が湧き上がる。


 ―拙い‼


 逃げなければと思いながらも四肢に力が入らない。焦燥感に駆られながらどうにか力を入れようとするも、途中で回路が切れてしまったかのように筋肉が動かない。足掻いている最中に九竜が動く。


 ユラリ。腕が上がり、死不忘メメントモリが月光に煌めく。獲物を見つけた猛禽類のような獰猛さが宿っていると錯覚しそうになる。


 血飛沫が盛大に上がり、レールガンの弾のように飛び出す。


 ―死ぬのかな?こんなところで…。


 迫る九竜くりゅうの姿を目の当たりにして、黒子は覚悟を決めようとして決めきれない。諦めずに逃げようと足搔くも、未だ四肢は動く気配がない。


 直視できず目を閉じる。だが、痛みは一向に体に走らない。


 一撃で殺されてしまったのか。そう思いつつ、黒子は瞼を動かす。不思議なことに動き、景色が反映される。


 切っ先が、真横にあった。あと少し逸れていれば、顔面を刺し貫かれていた。


 直後に死不忘メメントモリが手から落ち、九竜くりゅうの体は電池が切れたかのように崩れる。さっきまで顔にあった能面を思わせる化け物の顔はなく、穏やかに寝息を立てる少年そのものだった。

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