第127話 結解15(琵琶坂サイド)
真っ暗闇の中にキーボードを叩くカタカタという音が鳴る。黒子の目には弱々しく光るディスプレイがあり、連続して並ぶ文字にイライラが募る。普段は気にならない文字量も焦りが加わると全く違うものに見える。その先にはウインウインと低い機械音を鳴らす大型の電子レンジサイズほどのボックスが設置されている。
「ったくめんどくさいわね」
作業自体は手慣れているが、時間が迫っているという状況が打ち込む手を焦らす。その心証を表わすように手汗が浮かび上がる。
普段通りなら必要になる時間は、30分。だが、集中力の賜とでも言うべきか普段よりも5分ほど早く作業が完了した。
緑色の『開封』という文字が画面に浮かび上がり、ボックスがプシューと内側から煙を吐き出す。
「さてさて…」と言いつつ立ち上がると、黒子は近くに置いておいた肘まで覆う特注のゴム手袋を装備する。
近づき、ボックスの上を両手で挟んで持ち上げる。中からボックスよりも一回り小さなキューブが姿を現す。まるでマトリョーシカだ。
アタッシュケースを開け、キューブを両側面から挟む。ずっと低温の環境で保管されていたため手袋を通して冷たさが手を通して伝わってくる。
落とさないように、衝撃を与えないように、慎重な手つきでアタッシュケースに仕舞う。特注のアタッシュケースにはボックスと同様の処理が為されている。
アタッシュケースを締め、カチッと音が鳴って処理が終わる。見届けた黒子は胸を撫で下ろした。それから腕時計を確認する。
指定された時間は、0時。現在の時刻は23時30分。
デスモニアが宣言通りに
これまでの研究データをハードディスクも含めて全て消去し、脱出するべく黒子は扉へ近づく。そこまで歩いて、違和感に気づく。
気配が、ある。1人ではない。複数人だ。明らかに待ち伏せされている。
外へ出た瞬間に、どのルートを辿っても体に風穴を開けられることになる。
「最悪ね…」と小声でつぶやき、黒子は踵を返して扉を完全にロックする。
しかし、鉄と鉄がぶつかる音が聞こえ、直後に外で待っていたであろう者たちが雪崩を打って部屋に侵入してくる。
侵入者たちは手慣れた動作で黒子に銃口を向ける。勝ち目がないことは明白で、抵抗する気はあっさり失せた。両手を上げ、降伏の意を示す。
「まさか、アンタがこんな真似をするとは思わんかったぜぇ」
パンチパーマと目元にある傷が目を引く。体つきはがっしりとしていて普段から鍛えていることが伺える。プロテクターではなく、スーツや柄物のシャツを身に着けていれば裏社会の人間として十分に通用する迫力を持っている。クリクリした目さえなければの話である。
第二部隊副隊長の
「その割に、私を待ち構えていたのね」
「命令だからなぁ。俺の意思は介在せん」
抜いたドスを黒子に向ける。
「大人しくついてきてもらうぜ?女に手を挙げるのは嫌だからなぁ。断らないでくれよぉ?殺すのも俺は好きじゃあないからなぁ」
黒子の胸の中央に、ドスの切っ先が付けられる。
「そのケースを渡してもらうか。中は『メルクリウスキューブ』だろ?」
「今渡せば、ちゃんと口添えするぜぇ?一時の気の迷いだったってなぁ」
目の前に黒子がいるにもかかわらず、王隠堂はベラベラと一人で饒舌に喋っている。
「アンタの口添えなら鳥のあばらの方が役に立つわね」
「自分の立場ぁ分かってのかぁ?」
言った直後にドスが引っ込み、代わりに胸ぐらを毛深い手が掴む。勢い良く体を引っ張られ、黒子の見ていた景色は反転する。顔から勢いよく床に激突する。床の冷たさと痛みが発する熱と相反するものが交錯する。
「言った傍から女に手を挙げるのね」
「裏切った女にまで義を貫く謂れはないんでなぁ」
ギリギリと腕を締め上げられ、ケースを取り上げられる。
「こいつはどうしますか?」
後ろからやって来た隊員が
「そうさなぁ…」と呟くと王隠堂の目が黒子の目を見据える。クリクリした愛らしい目と相反する剣呑な雰囲気を纏うアンバランスさが途轍もなく不気味だ。
「お仲間はどれぐらいいるのかなぁ?」
「沢山としか言いようがないかしらね」
「ほぉ?」と
ガンッ‼と巨大な音が耳元でなる。鼻先にドスが鎮座している。
「舐めんのもいい加減にせぇよ?」
グリグリと床を抉る音が耳障りだった。いくら自分が作ったものとはいえ、眼前に
「正確な人数を言え。或いは、降伏しろ」
苛立ちの混じった声は脅しではないと証明している。
「殺すつもりなら、さっさと殺すことね。敵に私が回る方がよっぽど面倒くさいでしょ。でも、アンタたちはしない。いや、傷一つ付けることが出来ないんじゃないかしら?」
組み伏せられたままの姿勢で話をするのは思ったよりも骨が折れる。だが、効果はあったようで、
「あくまで、
「つまり、私をどうしたいの?」
強気な態度で黒子は王隠堂を睨む。その支払いと言うべきか手を絞める力が強くなる。見た目通りに力は強く、本気で力を込めれば骨が折れかねない。
「殺してえよ。今すぐにな。でもよ、殺すなって言われてるからな」
この言葉を聞いて、乾いた笑い声が零れた。
「つまり、私を最後の最後まで利用しようって腹なわけだ」
「どうだろうなぁ。駒は駒らしく命じられた仕事をするだけが芸だからなぁ。お前も余計なことしなきゃ良かったんだよ」
散々捲し立てて疲れたからか王隠堂は小さく息を吐き、「おい」と後ろにいる部下に声をかける。
「こいつを連れていけ」
乗りかかっていた
立ち上がると、黒子は手招きをした部下に身柄を引き渡される。ヘルメットとゴーグルを着用している顔は素顔が伺えずどんな感情で自分に目を向けているのか分からない。
左右を挟まれ、体が固定される。今まさに連れて行かれそうになったところで、王隠堂が進もうとした足を止める。
「何だぁ?」と苛立ち紛れの声で端末を取り、通信に応じている。
「あ?外で待ってろだと?阿保抜かしてんじゃねぇぞ」
怒鳴りつけてはいないにしても、ドスの利いた声は十分すぎるほどの迫力がある。
「怖くない?彼」
自身の両脇を固め、ジッと待機している兵士に声をかける。
「静かにしろ」と一喝された。余計なことを口走れば次は無いということが容易に分かる。
「あークソ。好き勝手抜かしやがって」
ガシガシと頭を搔きつつ、ぶつくさと文句を言いながら王隠堂が戻り、黒子の鼻先まで顔を近づける。
「外へ行く。そこでお前の今後を決めるぜ」
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