第124話 結解12(姫川サイド)

 コンコンと扉をノックすると、「入れ」と言葉が返ってくる。耳にすると「失礼します」と言って姫川はドアノブを下げ、扉を前面に押し出す。


「弦巻葵のグループに動きは?」


 部屋に入るなり、芥子川けしかわは問いかける。目はパソコンに釘付けで業務の真っ最中のようだ。影の如くいつも一緒にいる天長あまながの姿はない。


「後にした方がいい?」


 忙しなくキーボードを叩く小気味いい音が聞こえて居心地が悪い。


「いや、丁度終わるところだ」


 言う通りに待っていると、5分もしない内にパソコンを閉じた。


「改めて聞かせてくれ」


 芥子川けしかわは作業を終えたことを証明するかのようにパソコンの上に手を置く。倣って、姫川も机の前まで移動する。


橙木とおのぎ、昼間両名に不審な動きはなし。普段通り。でも、九竜くりゅうはちょっとだけ気になることがあったよ」


 脇に抱えているA4サイズの書類を芥子川けしかわの前に置く。封を解くと、仕舞ってあった書類を吟味する。普段と変わらない鋭い目は粗を探す厳しい上司を思わせる。


「吸血鬼である可能性は?」


 一通り書類を見終えた芥子川けしかわは姫川に尋ねる。写真には九竜くりゅうと身元不詳の人物が取っ組み合いをしているように見えるシーンが現像されている。


「不明。影に穴はないし、距離の問題で匂いも分からない」


 懐からチョコを取り出し、口に含む。粘り気のある甘さが口内に広がった。書類に向けていた目が姫川に向けられる。欲しいのかと思ってチョコを手に取る。


「食べる?」


「いただこう」と断りを入れると伸ばされた掌に乗せ、すぐに口で含んで嚙み砕いた。


「念のため琵琶坂びわさかの監視を強化しろ」


「ビジネスパートナーじゃなかったの?」


「結局はそれだけの関係だ。条件が良ければどちらにでも靡く。怪しい動きがあれば問答無用で捕らえろ」


「分かった」と答えようとしたところで、芥子川けしかわは更に言葉を被せる。しかも、強く、念押しするような物言いだ。


「『メルクリウスキューブ』の回収も忘れるな」


 その言葉を口にするときに、芥子川の顔が一瞬だけ強張ったように見えた。


「写真も実物も見たことないんだけど」


「これだ」


 抽斗から1枚の写真をとりだす。姫川は受け取り、まじまじと、それこそ目を皿にするように写真を見る。琵琶坂びわさかに預けていた物ということは、この事態で重要な役割を担う物体になる可能性が高い。


「思ってたよりまんまだね」


 キューブの名前通りに形状は立方体。大きさは掌に納まる程度の大きさだ。だが、傷1つないメタリックな色合いと光を反射させる姿は極限まで洗練された芸術品のように見える。


「結局のところ、これは何なの?」


「不明だ。琵琶坂びわさかも詳細は不明だと言っている」


「パンドラの箱かもね」


 ボソッと姫川が呟くと芥子川けしかわは席を立ち、電気ケトルが設置してある棚へ向かう。


「もうすぐ帰るよ?」


「俺の分だ」


「だよね」


 コーヒーの芳醇で、少し酸味のある匂いが部屋に漂う。カップに黒い液体がなみなみと注がれる。


「あれがパンドラの箱ならば、中の災厄は出し切っているだろう」


 淹れたカップを手に、芥子川けしかわは机ではなく面談用のソファに腰かける。


「希望だっけ?最後に残るの」


 朧げな記憶にアクセスし、うろ覚えの知識を口にする。


「そういうことだ」と口にすると、芥子川けしかわは補足説明を行った。


 プロメテウスがしでかしたきっかけ、激怒したゼウスの報復。精を凝らして作られたパンドラという装置と神罰のための箱。開けたことでばら撒かれた災厄。


「つまるところ、神という愚者が仕込んだ盛大な嫌がらせだ」


 口にし、芥子川けしかわはコーヒーを口に含む。カップの取っ手を掴んでいる右手には随分と力が入っているように見える。


「随分と恨みが深そうだね」


 カップから口を離す。苦さのせいか普段の渋面が10倍ほど増しているように見える。


「お前は神というものをどう思う?」


「いるなら、とりあえず一発は殴っておきたいね」


 澄まし、口に出したところでここに所属するまでの記憶がない姫川にとって説得力のない話だ。そんなことを口走ったのは、耳にした瞬間に強い嫌悪感覚えた結果だ。


 話が長引きそうだなと思った姫川は自分でインスタントコーヒーを淹れ、スティックシュガー3本とポーションを2個投入した。黒から明るいブラウンに変わる。掻き回したまま残る渦の中心を見ていると吸い込まれてしまいそうで、怖くなって顔を逸らす。


「素面で面白いことを言うな」


「ボクは普通のことを口にしただけだけど?」


 紙コップを持ち、ゆっくりと傾けて口内に含む。舌の上を強い甘さが跳梁跋扈した。


「普通なら興味ない、或いは居ないという答えが返ってくる。ましてや、殴りたいなどと口にすることはないだろう」


「どうかな?腹の底で今の自分に不満を抱いている人間なんて珍しくないんじゃない?自分はもっと評価されるべき、自分はもっと能力がある、自分より劣るあいつに負けるはずがない、生まれてこなきゃよかったとかね。不幸が降ってきたのが先か後かなんて知らないけど、何処かで一度は思うんじゃないかな?憎むものとしては、分かりやすい標的だと思うけど?」


 自分でも驚くほどに饒舌だ。


「言うとおりだな。だが、大半は胸の内にそれを胸に仕舞って生きていく。怒りのぶつけどころが何もないからな」と芥子川けしかわは賛同の意を示し、言葉を重ねる。


「それも解釈次第という話だ」


「いるって考えれば神は存在するって?」


「そういうことだ」


 珍しくオカルトチックな言葉を口にした芥子川けしかわに姫川は少し拍子抜けした。


「熱でもあるの?薬って何処に仕舞ってある?」


「平熱だ」と芥子川は素面で返す。


「神を殺す。それさえ果たせば、全てを…」


 普段は全く仕事をしていない表情筋が動く。浮かべた笑みは想像を絶するほどに恐ろしい。ここまでおっかない笑みを見たことがない。一言で表すなら、悪人面というやつか。


「ぶっ飛んでるね。聞いてる分には面白いけど」


 途中で話をぶった切る。端に捕らえた目は笑っていないからだ。マジの目という奴は1秒でも見ていたくない。鋭い光を放つ、ぎらついた眼に見据えられている状況というのは肝が冷える。


 本能が、危険だと訴えている。


「じゃ、ボクは戻るよ」


 残っていたコーヒーを一息に呷り、逃げるように部屋を辞した。

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