第123話 結解11(九竜サイド)

 自宅に戻るやオレは先ほどの不審者にポケットへ仕込まれた端末を取り出す。百葉ももはは仕事でいないため知られる心配はない。


 何か仕込まれているのではないかと疑って表面や裏側を確認してみるも特に何もない。恐る恐るといった手つきで電源を入れ、ディスプレイを操作する。


 特に初期設定からアプリが追加された痕跡は見当たらなかった。「言伝」という言葉からの連想でメールのアプリを調べてみるも空で、何を目的にしているのかを把握することは困難だ。

 最後に電話のアプリをタッチする。調べてみると、履歴に「琵琶坂黒子びわさかくろこ」と残っている。


 放置すべきかと迷っていると、端末が揺れた。ディスプレイには「琵琶坂黒子」の表記がある。


 訝しがりながら、オレはディスプレイに触れる。


「もしもし」と答えるが、緊張で声が少し上ずった。


「もしもし」と向こうも返す。緊張しているオレとは対照的に琵琶坂びわさかの声は普段通りだ。


「どういうことなのか説明してください」


 前置きをすることも面倒で、オレは本題に直行する。


「ちょっと待ってね。今から呼ぶから」


 断りを入れるとディスプレイに「待機」と表示され、無地のアイコンが出現する。ネームは「D.E」と表記されている。


九竜くりゅう君で間違いないかしら?」


 艶やかな声音が耳に通る。


「誰ですか?」


 言葉遣いは丁寧にしつつ警戒を解かずに対処する。聞き覚えのある声であるも、思い出せそうで思い出せない。


「エウリッピ・デスモニア。あの夜はご無沙汰です」


 声、ワード。これらが揃い、ようやく声の主が何者であるか思い出した。


 端末を握る手に力が入る。それこそ、握り潰してしまうのではないかと思えてしまうほどだった。


「どういうことですか?」


 動揺を隠しつつオレは琵琶坂に問いかける。


「こういうことよ」


「ふざけるな」


 通話を解除しようとしたところで、デスモニアの声が割って入る。


「話を聞いてみるだけでも価値はあると思いますよ。少年?」


「敵の話を聞いているほど暇じゃない」


 語気を強めて前に出る。


「では、手短にお伝えしましょう」


「聞くつもりは無いと言っている」


「感情に振り回されて戦略を誤るのは得策とは思えませんね」


 平行線になりかけていたところに、デスモニアが打って出る。


「火種をばら撒いたのはそっちだ」


「ええ。その点は謝罪します。ですが、それは互いにとって落としどころが無かったころの話です」


「意味が分からない」


「我々は争う必要がなくなるかもしれない。という意味です」


 身勝手極まりない言葉を耳にして、端末を叩きつけそうになる。


「勝手なことを抜かすなよ?」


 叩きつけそうになる衝動は、無理やりひねり出した言葉に還元するだけで精一杯だった。


「今までに貴様たちがどれだけの人間を殺した?」


「こちらも相応に同胞を殺されていますが」


 吹き出しがあるなら「クスリ」という言葉を入れたくなるほどに小馬鹿にしたような笑いが聞こえた。


「ですが、これ以上の均衡状態は保てませんよ。これからは、本腰を入れさせてもらいますから」

 と、デスモニアは脅しの言葉を続ける。


 脅しには屈しない。そう突っぱねることが出来れば、どれほど良いだろうかと思う。


 実際に旗色が悪いというのは、どうしようもないほどに事実だ。


 葵は行方知れず、小紫は殉職。第二支部に頼れるような状況でもない。この調子では、琵琶坂びわさかも向こう側だろう。兵站(武器弾薬面)は潰されている。姫川たちは指揮系統が違うため戦力として換算していいのか分からない。指揮系統を束ねる委員会はとても信用ができない。


 つまり、勝てる要素が欠片もない。


「死屍累々の地獄絵図をお望みならば、全力で答えさせていただきましょう」


 締めくくりの言葉を言い終えたのかデスモニアの口が閉じる。


「…貴様たちは何をするつもりだ?」


 言葉に詰まりながら、辛うじて口に出す。


「安全圏の確保…と申し上げておきましょうか」


 含みを持たせた物言いが引っかかる。それが、聞いてはいけない何かを意味しているのかは直感で判断できる。


 しかし、この先にある話を無視してはいけない何かがある。


 何か反論すべきと思いながらも、言葉が出ない。それを好機と受け取ったのかデスモニアが口を開く。


「名代を務める私としてはこれ以上の争いを望んでいない。和睦を望んでいる。これは紛れもない事実です。しかし、条件として提示した『弦巻葵の引き渡し』は委員会の方々に蹴飛ばされてしまいました」


 語尾は消沈気味で先ほどまで生き生きとした語りだっただけに落差が目立った。それ故に、最後の部分が嫌でも目立つ。


「弦巻を殺すこともアンタたちの目的か?」


「殺すつもりは毛頭ありませんよ。彼女の帰還を女王陛下が望んでいらっしゃる。実妹が生きているとなれば逢いたいと思うのは当然でしょう?」


「弦巻が女王の妹だと?」


 言っている意味が理解できず、無意識に鸚鵡おうむ返ししてしまう。


「やはり誰にも教えてはいなかったようですね」


「ああ、知らない。だが、それでどうする?」


「と言うと?」


 ばっさり切り捨てたオレの言葉にデスモニアは事もなげに切り返す。


「言ったはずだ。敵の妄言に耳を傾けるつもりは無い」


 口にしたは良いものの、内側は強い動揺に襲われている。


 もう一手。何か来てしまったら、最後のよりどころにしている砦は崩れ去る。


「では、多くが助かる選択肢を切り捨てると?」


「確証がない」


 言葉が途切れた。回線が切れたのかと思ってディスプレイを確認するも、通話状態になっている。


「フッフフフ…」と忍び笑いが聞こえる。それは少しずつ大きくなっていき、やがて品のない高笑いへと変貌していく。心の底から面白いものを見つけたと言わんばかりだ。


「何が可笑しい?」


 耳障りな声音、傲慢極まる態度にオレの我慢が限界に到達しそうになる。余計な話を聞き、判断力を鈍らせる原因にしかなりかねないこの通話は危険だ。キンキンと鳴り響く音が耳障りだ。


「賢しさも過ぎれば愚かとなりますねぇ」


 粘り気のある言葉が耳を通し、脳にまで届く。


「どういう意味だ?」


「委員会。彼らほど口が上手い連中はいませんよ」


 ジットリ、ゆっくり、蕩かすように。言葉がオレの意識を食い破らんと進む。


「防人面をしながら不死を土産に私たちと手を結んでおきながら、最後の局面になって骨の髄まで全てを食い尽くそうとする貪欲さと浅ましさ。余程、私よりも悍ましいと思いますが」


 彼女の言葉を否定しようとして、雁字搦めにされる。

 それほどに、彼女が語る話がもっともらしく聞こえる。


 戦場に一切姿を現さずに無駄に戦力を減らす無能ぶり。


 獅子奮迅の活躍を見せていた葵に対する冷遇ぶり。


 これだけの状況であるにもかかわらず、何の対応もしない愚鈍さ。


 死者に対する気遣いの無さ。


 思い返すだけで、彼女の言葉の方が余程説得力があるように感じられる。空虚な委員会の言葉よりも厚みがある。


「これは予想していませんでしたか?」


 口が動かない。発音機能が無くなってしまったかのように唇、舌が言うことをきかない。


「ハッキリ申し上げましょう。そちらに勝ち目はない」


 握っていた端末が手から落ち、膝から崩れ落ちる。


 ―どうすればいい?


 何をすればいいのか、分からない。


 オレに何が出来る?この覆しようのない試合で何をしろというのか?


「さて、ここまで話を聞いて、どうしますか?」


 急転換した冷たい声音にオレはびくついた。


「私たちと真正面から戦って意味のある死を受け入れるか、委員会に後ろから刺されて無意味な最期を遂げるか。お好きな方を選んで下さい」


 衝撃でまともに働かない頭を回転させようとするが、錆びついてしまったかのように頭は動かない。ギィ…ギィ…と、耳を塞ぎたくなるような音が鳴っているかのように錯覚する。


 どっちの選択肢も取りたくない。別の選択肢はないかと考える。


 しかし、四方八方が敵だらけ、信頼が出来る後ろ盾も存在しない。何処を頼りにしたところで結局は「羽狩」との繋がりがある。必ず足が着くことになる。


「少しだけ、時間を…」


「ダメですね。私たちも時間がありませんから」


 橙木とおのぎたちに相談するという選択肢も封殺される。


「どうして、オレなんだ?」


「一番毒されていない。冷静な判断が出来る人間だと判断したからです。私の求める条件に合致した。それだけの話ですよ」


 結婚相談所で見合う相手を見つけただけ。そんな口ぶりだった。


 まともに動かない手でオレは端末を手に取ろうとして失敗しながら耳元まで戻す。


 違う答えを誰かに教えて欲しい。全部が、夢であればいいと思ったところで、現実は覆らない。変わりはしない。


 全てが嘘であると証明してくれるモノがない。

 全てを払いのけるほどの力も無い。

 全てが共に戦ってくれるという確証がない。


「お前に、協力する」


                    ♥


「何だか顔色悪いけど大丈夫?」


 寝起きのオレを見た百葉ももはが驚きの声を上げる。


「ちょっと、寝不足。別に大丈夫だよ」


 心配かけまいとオレは当たり障りのない言葉を返す。実際のところは大丈夫ではない。


 電話の後、眠ることが出来なかった。


 何度も、何度も眠ろうとして、瞼を閉じたところで無駄だった。諦めて睡眠薬を飲んでようやくだった。

 今にして思えば、睡眠薬を大量に服用して終わらせてしまえば良かった。


 …逃げたい。


 正しいことをした。これしかなかったんだと。


 ずっと、ずっと自分に言い聞かせても、疑う。疑ってしまう。


「その顔で言われても説得力はないけど?」


 顔を洗いに行こうとしたところで、百葉ももはの手がオレの肩を引っ張られる。


 力強い目が、ジッとオレを見据える。見ていられず目を逸らす。


「言えないんだ。…仕事のことだから」


 力なくオレは返す。


「そうなんだ」と百葉も返してくる。普段なら何があったのかを強く問い詰めて来る局面だ。しかし、それ以上何も言わない。


「聞かないんだ」


「約束は守るよ。信じてるから」


『信じてる』という言葉が、オレの胸を打つ。


 そんなことを、言われる立場にオレはいない。大きな決断を失敗してしまったかもしれないのだ。


 必要に迫られたとはいえ、大切な人たちを、人類すべての命運を決めてしまうような重さがある決断を独りで。


 正しい答えがあるのなら、教えて欲しい。


 願ったところで、遅いにもかかわらず、そう思ってしまった。

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