第116話 結解4(琵琶坂サイド)

 琵琶坂黒子びわさかくろこが再び席に着く。最初に見せていたような力強さは何処にもない。


 顔色は非常に悪く、恐怖が張り付いた顔は見るも無残だ。見ていて面白いことこの上ない。


 この場にホイホイと来たことが、既に勝負がついていることの証左。


 自分の力を信じて疑わない奴ほど備えが疎かだ。足元を掬いやすい。


「では、話を最初に戻しましょうか」

 組んでいた足を解き、エウリッピは顎の下で手を組む。


「協力していただけますね?」


 誘いの言葉を再び口にする。だが、まだ戦意は折れていないのか琵琶坂黒子は顔を上げてねめつける。


「私を監視していたのは誰?」


「手札を晒すのは主義じゃないんですよ」


「油断も隙も無いのね」


「わざわざ自分を窮地に追い込むような趣向はありませんからね」


 ジュースを飲むと既に氷が解けて味が薄くなっている。美味しくない。

 嫌々ながらも一息で飲み干し、屑箱へ入れに行く。


「ジュースのお代わりはいりますか?」


「毒を盛ることに何の躊躇いも無い女に奢ってもらう飯は無いわ」


 憮然とした顔で琵琶坂黒子びわさかくろこは吐き捨てる。それを見たエウリッピもすぐに話は終わると判断したらしく注文を止める。


「取引の内容は何かしら?そちら側に付けって言うんだから多少の条件はあるんでしょ?」


 指が触れれば出血してしまいそうなほどに刺々しい雰囲気を撒き散らしながら黒子は口を開く。


「『メルクリウスキューブ』か『カルナ・アラトーマ』の身柄。どちらかをこちらに渡してもらいたいのですが」


「私にそんな重大事項を左右する権利があると思う?」


「芥子川には通達してありますよ。気になるならこの場で問いただしてみましょうか?」


 エウリッピは胸元から端末を取り出して黒子に向ける。


「繋がっているのは芥子川けしかわ?」


 疑念を滲ませる視線がエウリッピを貫く。当然といえば当然の話だ。黒子にしてみれば、今後の進退が決まる重要なワンシーンなのだ。


「違いますよ」


 金剛石すら割断するようにはっきりと否定の言葉を返す。


「そこの答えを教えてもらえないと協力のしようがないわ」


「選択の権利とは悠長で呑気な台詞ですね」


 強気に出たエウリッピの勢いに気圧され、黒子の勢いが弱まる。この勝機を逃すわけにはいかないと、エウリッピは畳みかけるように仕掛ける。


「今や貴女も狙われる身。勿論、護ってくれる存在は誰もいない。カルナには今も部下が存在するようですが、彼らにも既に監視が付けられている頃合い。さて、矛も無ければ楯もない、文字通り言葉通りに八方塞がりの状態で何を偉そうに要求できる立場にあると思いますか?」


 ずいッと顔を前に押し出し、鼻先まで迫って止めの言葉を口に出す。


「他人の利益のために自分の命を捧げる義理なんて、何処にもないでしょう?」


 指を伸ばせば触れることの出来る距離にある綺麗な瞳が水面のように揺れる。予想していた通りの反応だ。


「仮に私が奴らに狙われることになるとしても、アンタたちだって同類よ。私を護るはずはない」


「あら、私は約束をちゃんと守りますよ」


「寝言は寝てからにしてもらえるかしら?」


 ここまで警戒を露にされると多少は折れざるを得ないとエウリッピは頭を切り替え、すぐに答えを算出する。


「では、『キューブ』の引き渡しだけお願いします」


「それだってとんでもないリスクよ。バレたら殺される程度で終わらないわ」


「モルモットにされてしまうと?」


「死ぬまでアンタたちを殺すための手段を研究させられるでしょうね。私の変わりは誰もいないもの」


「自己評価が恐ろしいほどに高いですね」


 とは言ったものの、琵琶坂黒子びわさかくろこが口にしていることは事実だ。故に狙った理由。


 彼女が居なくなれば、敵の兵站(武器弾薬)の質は著しく低下することになる。特に武器のスペックを底上げすることは真っ先に不可能になる。良くて現状維持。確率的に、戦力の大きな低下を免れない。


「作業している当人が言うのだから間違いないわ。それに衣食住の保証については今と大差ないと断言できるわ」


「虜囚の身にしては随分な好待遇ですね。VIP待遇と間違っているんじゃないかと疑ってしまいますよ」


 お道化た風に手を挙げる。だが、琵琶坂黒子びわさかくろこという女にとってこのことが重要事項でないことは、顔を見ていれば分かる。


 それを、自分の口で言わせる。


「拷問以外の何物でもないわ」


「フカフカの絨毯よりも有刺鉄線を編み込んだ絨毯がお望み?」


「何処の変態よ。本物のクレイジーでも嫌がるわ」


「では?何を望むのかしら?」


 エウリッピの言葉に黒子は間髪入れずに答える。


「私の知りたいことを知るだけよ。私たちのルーツ、この世界のこと、宇宙のこと」


「壮大すぎて私には分かりませんね」


 テスト勉強についていけない学生を思わせる投げやりな態度でエウリッピは答える。実際に興味はない。


 しかし、黒子の纏う空気が変わるのを、見逃すほどエウリッピは投げやりな態度はとっていない。


 はらわたを見せる覚悟を決めた。そんな雰囲気を目ざとく感知する。


「その壮大なことをするには時間が必要なのよ」


「つまり、余計な雑務はこれ以上したくないと?」


「正解。いい加減にうんざりよ」


 望んでいるものは、十分に読み取れた。答えられる範囲内の話だ。


「いいでしょう。時間は好きに使ってくれて構いません」


 虚を突かれたように黒子の表情が変わり、直ぐに疑念を滲ませたものに変わる。無理からぬ話であるが。


「一体、私に何を望んでいるの?」


「同じ説明をするのは好きじゃないんですけどね」


 溜息の1つでも付きたくなる一幕であるが、そんな無礼な真似をしてはこのテーブルを設けた意味が無くなってしまう。


「申し上げたはずですよ。『キューブ』が必要だと」


「つまり、私には梟の役目しか期待してないってわけね」


「どのように解釈してくださっても結構ですよ」


 少しの間を置き、コートを掴んで黒子は立ち上がった。


「話に乗るわ」


「ありがとうございます。では、友好の証にこれを」


 色よい返事を受け取るとエウリッピは胸元から端末を取り出し、黒子に渡す。


「もうちょっとお洒落な友好の証はないものかしら?」


「これ以上ないほどに有用なものですよ。命綱の1つとして見るならね」


 ブー垂れながら黒子は端末を受け取り、早速弄り始める。


「連絡帳には何もありません。こちらに連絡先を記してあるので、直ぐに覚えてください」


 ポケットからメモ用紙を取り出して渡す。エウリッピが業務用に使用している端末の番号だ。

 受け取った黒子は覚えようと数字を口に出している。


「覚えたわ」


 宣言すると、お試しのメールの送信を実践してみせる。直後にポケットに仕舞ってある端末が揺れた。取り出し、送り主を確認した。


「結構です」


 エウリッピの言葉を受け取ると黒子は端末をコートのポケットに納める。


「最後に1つだけ、お願いがあるのですがよろしいでしょうか?」


 頼みの重ね掛けを行ったエウリッピに黒子は不快さを隠そうともしない顔を向ける。


「カルナの部下をこちら側に引き込んでください」


「無理な話よ。葵が囚われの身であったとしても『羽狩』が敵でないのだから…」


 そこまで言いかけたところで黒子は言葉に詰まる。


「まさか、残らず暴露するつもりでいるの?」


 信じられないと言わんばかりに目を大きく見開き、問い詰める。


「当然でしょう。防人の顔をした売国奴に鉄槌が下るのは」


「仕掛けている当人が言うなんて笑えない冗談ね」


「お膳立てですよ。手を下すのは、当人たちの役目ですから」


 エウリッピも立ち上がると端末を取り出して操作を行う。今後の戦略についてのメールだ。ついでに『Ⅰ』と記された人物にも送る。すぐ返信が来るかは不明である。すぐ隣でバイブレーションが聞こえた。


「今後の指示ですよ。すぐに目を通して削除してください」


 念を押すように言われ、黒子はディスプレイを操作する。


「馬鹿げてるって言いたいところだけど、本気なの?」


「本気も本気ですよ」


「堅実な手法が持ち味だと思ってたけど、想像以上のギャンブラーね」


「どうしても欲しい宝をドラゴンが持っているなら、殺してでも手に入れますよ」


 エウリッピの言葉を受けた黒子は肩をすくめて端末をポケットに入れ、歩き出す。


「試してはみるわ。期待はしすぎないでね」

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